いつか、人の脳にチップを埋め込んだとき。
アンドロイドが人間にしか見えず、誰が本当の人間なのか、さっぱり見分けがつかなくなったとき。
人の臓器とナノマシンが共存して、人体の半分がマシンと化したとき。
痛感するだろう。
人間の不完全さを。
人間がどれほど人間をやめたくて、どれほど人間に留まっていたいのかを。
それが僕らの現状で、マザーズの現在。
やがて僕らみたいになりそうな星系があることを、僕は知っている。
太陽系、とかいうらしい。
マザーズのように、人体の生息可能な惑星がいくつもあるわけじゃないけれど、そこにも人がいる。
忘れてはならない。
自分が人であることを。
人が人以上の力を発揮するのは意外にも簡単で、けれどその力の使い道を誤ってはならないことを。
ユーリ、リュカ。
親愛なる息子たちよ。
私は元研究員ではなく、ロドルフという一人の父親として、このメッセージを送りたい。
懐かしい声が、
僕の鼓膜に優しく触れていた。
私はもうすぐ、青い星へ行く。
お前たち家族と一生を過ごすことのできる、安全な場所を探すためだ。
先に謝る、なんて野暮なことはしない。
私は後ろ指を差されてしかるべき存在だ。
好きに罵るといい。
しかし忘れるな。
私は生きている。
マザーズの監視網を抜け、もう一度、必ずお前たちの前に現れる。
また一緒に暮らそう。
約束――
父さんの声を携えたDDG(ドッジロール)ファイルがそこまで言い終えると、
突然、砂嵐のようなノイズが走り、
音声はぷっつりと途絶えた。
罵るわけないじゃないか。
大好きだよ、父さん。
――と。
僕を心地よくさせてくれる音がまた一つ。
それは聞き慣れた、
宇宙船内に響く足音で――
なんだ兄貴。
また聞いてたのか?
やあ、リュカ。
何度聞いても飽きないよ。
それに、父さんのDDG(ドッジロール)ファイルがいつ更新されるかわからないだろう?
リュカこそ、寝なくていいのかい?
振動センサの調子が悪ィ。
今日は不眠の日だ。
僕の腕でも抱いて寝る?
おちょくるんじゃねえ。
そういうとこ、親父にそっくりだ。
血ィつながってねえくせに。
それはリュカだって同じことでしょ?
安心しなよ。
僕らと父さんは、たしかに家族だ。
……ん……そうだな。
場所は?
そろそろ、統括衛星マリアの防衛圏内だよ。
元中央政府の軍用機でも、穏便には抜けられないかもね。
はあ……お前、一人でやるつもりだったのか?
弟の安眠を邪魔するやつは僕が許さないよ。
たとえそれが、マザーズネットワークの統括衛星だったとしてもね。
答えになってねえし。
ふふん♪
リュカ、フロンティアの電源を切っておいて。
あれはマザーズネットワークに接続しちゃうからね。
電子タグつきのマシンは全部切ったから、これでだいたいはやり過ごせると思う
全部は無理か。
マリアの防衛部隊だからね。
俗にいうチルドレンさ。
彼らは僕よりもずっと回転の速い脳みそを持っているし、リュカよりもうんと敏感なセンサー群を装備しているから。
でも、行ける。
その通り。
航路案内プログラムから、パイロットに通達。
マリア第一防衛ラインに到達しました。
これよりステルス航行を行い、目標惑星ルナへ向かいます。
到着時のエネルギー残量は21.5%と推定
ありがとう。
その調子で続けて。
かしこまりました。
見なよ、リュカ。
こっちのモニタ。
……無骨だな、うちのマリア様は。
ああ。
ここから肉眼で見えるほど大きい。
マザーズの誇りとまで言われた統括衛星も、今じゃすっかり戦闘要塞だ。
侵入者が〝食われる〟って噂、マジなのか?
さあね。
けど、あれを見る限り、おそらく事実だ。
ほら。
マリアのところどころ、色がくすんでいるだろう。
打ち上げ当初は、ミラーボールみたいな銀色の玉だったんだよな?
らしいね。
けど今は違う。
防衛圏内の戦闘機や衛星を撃ち落して、チルドレンがそれを解体する。
解体された資材はさらに加工されて、マリアやチルドレンの新しい装備になる。
あの鈍い色は、マリア様がかっ食らったジャンクフードの塊なんだよ。
主な栄養源は、旧中央政府のガンシップだったらしいね。
えげつねえな……なんであのクソビッチに自我なんて与えたんだか。
で、俺らは肥しにならずにすむのか?
全部食われることはないよ。ただ、少しは覚悟した方がいいかもね。
もう、バレてるみたいだし
は!?
パイロットに通達。
マリア第二防衛ライン付近より、救難信号をキャッチ。
救難信号?
発信源は?
不明機です。
信号は捨て置いて。
航路は、あくまで信号に気づいているフリをしよう。
その方が、向こうもギリギリまで動かないはずだ。
僕が指示を出したら、一定距離を保ったまま少しづつ左に迂回して。
かしこまりました。
準備すっか。
うん。お願い
おい。
この船の装備は?
当機は小型荷電粒子砲台を二か所、大型パルスボムを一発。
加え、広範囲EMPを一回分、保有しております。
オーケー。
まずはボムの準備を。
EMPは兄貴の指示で動かせ。
迎撃はちょっと待っとけよ?
あと、粒子砲の一本は俺がやる。
射的ゲームでもしたくなったの?
ん。
そんなとこ。
パルスボム、投下準備完了。
不明機の接近に合わせ、パイロット手動の粒子砲台は機体下部前方、モニタースリーに表示されております。
あんがと。
兄貴、スワロー(情報収集ソフトウェア)は?
もう接続したよ。
僕らがパイロット登録したからかな?
かなり深いところのシステムまで読み取れてる。
変な資料もあるけど……とりあえず、パルスボムは戦前の兵器で、基本は接触式の爆発だけど、接触がない場合のために時限式にもできるみたい。
食料を積んだ緊急脱出用ポッドもあったみたいだけど……エンプティ、だってさ
なにそれ超面白え。
あははっ。
そうだねえ。
……。
……。
ボムは一〇秒ちょいでいいか。
おい、信号は?
救難信号、なおも受信を継続中。
継続中――
継続中――
途絶えました。
全機器系統、スリープを解除っ。
ステルス航行を中止して、速度をうんと上げて。
直線で突っ切るよ!
かしこまりました。
北北東から三機接近。
南東からも二機接近中。
後ろは迎撃しろ!
正面の野郎は俺がやる!
迎撃プログラム、起動。
リュカ。
遠くから新たなチルドレンが来てる。
一三機……いや、今一五になった。
うへえ。
飢えた猛禽類と大差ねえな、っと!
六機撃破。
最大速力に到達しました。
うえ、すげえいる。
兄貴、そろそろボム落とすぞ。
オーケー。
あとちょっとで第二防衛ラインを抜けるよ。
行こう。
了解。
パルスボム投下、っと。
リュカがパルスボムの発射コマンドを入力すると、
ややあってから、一瞬の青い煌めきが広がった。
弾撃ってこねえ、ってのだけはありがてえな。
火薬が用意できないんだろうね。
打ち上げの頃はたんまりあったんだろうけど、数十年の間に撃ち尽くしてる。
ただ――
ただ?
嫌な予感がする。
パルスボムにより、敵機撃破。
パルスボムの残弾はありません。
了解。
迎撃は君に任せるよ。
索敵は――リュカ、東南東!
あ?
モニターには映って――って!?
回避!
ぐっ……ざっけんな、なんだあの速さ!?
どこの馬鹿だ、あんな高出力エンジン積んだまま死にやがったのは!?
機体、損傷。
速度低下。
マズい、ワイヤーを打たれたっ。
EMPの準備を!
最低限以外の機器系統全部切って!
おいおいまだ来てやが――うおっ!?
くそ、もうちょいぶっ潰してやんねえと……!
不明機、接触。
機体損傷、重度。
食われ始めた……!
パイロットに通達。
未確認ユーザーから、航路案内プログラムへのアクセスが試みられています。
システムの自動シャットダウンを開……始……カイ、シ、カ、■……☒!$#Ψ……%Φ§¥!?
おい大丈夫なのかそいつ!
くそ、システムまで食べるなんて聞いてないぞ……!
リュカ、悪いけど攻撃は手動で――
パ……パイ、ロット、に通、達。
マリア、防衛圏内、との、通信、開始。
は――
……待っ……て……
お、おい、これ……。
ねえ……待っ、て……。
マリア、なのか……?
あな、た、も……一緒、に――
僕らはその戦慄の数十秒を、
最後まで堪能することはできなかった。
少女と思しき声が突然途切れ、
システムの一部が立ち上がったからだ。
航路案内システムの自動修復を完了。
未確認の通信を遮断しました。
九五%のシステムをシャットダウン。
EMP、準備完了。
いけえ!
死んでくれ……!
音を立ててシステムがダウンし、
機体が一瞬大きく揺れたかと思うと、
直後、眩い閃光が僕らを包み込む。
やがて、世界に静寂が横たわった。
はあ、はあ……。
ふーっ……。
第二防衛ラインは?
とっくに抜けてるよ。
そろそろ第一も抜ける。
よかった……って、まだ来てるやついるけど。
はあ、しょうがないね。
餌でもあげよっか。
航路案内プログラム、再起動。
破損施設をパージして。
航路案内プログラム、再起動完了。
損傷した施設の中で、航行に影響の少ない施設をパージします。
これでギリギリ撒ける。
防衛圏脱出まで、あと――
パイロットに通達。
マリア防衛圏内部より、通信をキャッチ。
え。
またか……。
通話を開始します。
……さよ……なら……。
通話終了。
通話時間、七秒六三。
兄貴。
今の……。
ああ、多分ね。
お見送り……ありがとう。
大規模な内紛が始まって二十年。
最愛の父は、音のない穏やかな夜に姿を消した。
一本の音声ファイルを、僕らに残して。
そして僕らも踏み出した。
マリアに唾を吐き、彼女の見守る戦争地帯から飛び出して、幸せを取り戻すと宣言した。
もう、後戻りはない。
選択の余地はなくなり、選択の是非もなくなった。
そういった諸々の権利を、僕らは自ら捨て去ったのだ。
ようやく行ける。
行かなければならない。
世界にたった一人の、父さんのもとへ
バイバイ、マリア。
黒い宇宙に、ただ二人。
僕らは今、旅に出た