12月31日 11時30分 椎倉家

椎倉百花

あ、またこんなところからBB弾が……

 椎名家の広いリビングダイニングの床を、家具を避けながら隅々まで拭いてまわっていた百花は、次から次へ発見されるBB弾に大きな溜息をついた。

 次女の千歳がパニックに陥ってエアガンを乱射するのは、いつものことだ。

 その度に持ち前のもったいない精神を発揮してBB弾を回収しているのだが、普段はなかなか動かすことのない家具の裏側などから拾い損ねたものが出てくることも多い。

 ある意味、椎倉家の大掃除の名物でもあった。

椎倉千歳

うぅ、ごめんね、ももちゃん……

 妹の溜息を耳にした千歳は、今にも泣きそうな声で謝罪する。

 その手に握られているのは掃除用具――ではなく、今まさに百花の溜息の元となったエアガンだ。

 涙目になりながらも、慣れた様子でエアガンを分解し、手入れを施していく。

 ほとんど無意識で行われているだろうその動作に、百花は再び溜息をついた。

椎倉百花

もう。そう思うなら、部屋の掃除を手伝ってよ

 千歳に苦言を呈したところで、もう一人の姉の姿がないことに気づく。

椎倉百花

あれ、まーちゃんは?

椎倉千歳

そういえば……さっきまで、そこで観葉植物にお水をあげてたのに……

 どこへ行ったのだろうと辺りを見回す。

 そのとき、キッチンカウンターの向こうから声が聞こえてきた。

椎倉万季

すごーい! 涼花さん、料理上手で美人さんで、まるで若女将みたい

大佛涼花

あら、嬉しいこと言ってくれるわね~。万季ちゃん、伊達巻も味見する?

椎倉万季

わあ、いいんですか? ぜひぜひー!

 年末年始にかけて泊りがけで遊びにくる代わりにと、おせち料理を作ってくれている涼花と、もう一人。

 今まさに探していた人物の楽しそうな声に、百花はわざと大きな足音を立てながらキッチンへ歩み寄る。

 しかし、万季はまったく気づく様子はなく。菜箸で黄色味鮮やかな伊達巻を摘み上げた涼花だけが、目元に笑みをのせて百花を流し見た。

大佛涼花

はい、あーん

椎倉万季

あーん

 万季の口の中に放り込まれた、その瞬間――

椎倉百花

こらー!

 とうとうキッチンに足を踏み入れた百花が、叱責の声を上げた。

椎倉万季

んぐっ!?

椎倉百花

何してるの、まーちゃん!

椎倉万季

んんんん……っ!

椎倉百花

サボってる暇ないのよ!

椎倉万季

っ……!!

大佛涼花

はいはい、百花ちゃん、ちょーっと待ってね。万季ちゃん、伊達巻が喉につまっちゃったみたい

 涼花は、軽い調子で百花を宥めると、もごもごと呻いている万季の背中を撫でた。

椎倉百花

えっ!? ごめん、まーちゃん!

椎倉千歳

お姉ちゃん、大丈夫? はい、お水

 いつの間にやってきたのか、水の入ったコップを千歳が差しだす。

 万季は震える手でそれを受け取ると、一気に水を呷った。

 ごくり、と大きく喉が鳴る。

椎倉万季

ぷはー! 生き返ったわあ、もう一杯!

椎倉百花

もう一杯、じゃないでしょ! びっくりしたー……

椎倉万季

えへへ。ごめんね、ももちゃん

椎倉百花

…………はあー

 万季の笑顔に毒気を抜かれた百花は、三度、大きく息を吐く。

 けれどその顔には、確かに笑みが浮かんでいた。

椎倉百花

ほら、大掃除再開するわよ! アースレイの三人が鍋パの材料買ってくるまでに、終わらせなきゃいけないんだから!

 腰に手を当て、高らかに声を上げる末妹に、姉二人は顔を見合わせて笑みを交わす。

椎倉万季

大丈夫よ! お姉ちゃんに任せて!

椎倉千歳

私も、がんばるね

 微笑ましいわね、と。三姉妹のやりとりを、見守っていた涼花は微笑む。

大佛涼花

ふふ。私も、もうひと頑張りしないとね

 

12月31日 12時45分 駅ビル地下一階 食料品フロア

 駅ビルの地下にある食料品フロアに、目立つ影がふたつ。

一ノ瀬透子

豚肉はこれでいいかしら?

神楽柚希

え? このメス豚と罵ってほしい?

一ノ瀬透子

誰もそんなこと言ってないでしょ!

神楽柚希

あら、顔が笑ってますわよ、透子さん

一ノ瀬透子

なっ――!?

 ことあるごとにそんなやりとりを繰り返している透子と柚希は、少なからず周囲の目を集めていた。

 柚希はそれに気づいていたものの、気にかけることはなく。幸か不幸か、透子は気づいていなかった。

神楽柚希

まあ、それはさておき。国産の方がよいのでは?

一ノ瀬透子

はあ……そっちは高すぎるわ。予算オーバーで百花に怒られるわよ

神楽柚希

パックのお肉なんて、そうそう変わるものでもないと思うのですが。天音さんも、国産の方がいいですわよね? ……あら?

 振り向いた柚希は、そこに求めた姿がないことに首を傾げた。

一ノ瀬透子

どうしたの……って、あれ、天音はどこに……

 続けて天音がいないことに気づいた透子が辺りに視線を巡らせるも、それらしき影は見当たらない。

 いつの間にか、逸れてしまっていたようだ。

神楽柚希

オーラがなさすぎて、人ごみに紛れてしまったようですわね

一ノ瀬透子

悠長に言ってる場合じゃないでしょ!

 年末ということもあってか、食料品フロアは家族連れで賑わっている。

 ただでさえ影が薄いところのある天音をこの中から捜しだすのは、至難の業だった。

 

12月31日 12時50分 駅ビル地下一階 エレベーターホール

 天音は、透子と柚希と一緒に食料品売り場で買い物をしていた、はずだった。

 しかし、ふとした瞬間に団体客に飲み込まれ。レジに並ぶ人々に押し流され。気づけばエレベーターホールにまで来てしまっていた。

葛城天音

なんか、最近はオーラどころか、人としての影が薄くなってる気がするよ……

 フロアは大勢の買い物客で賑わっているというのに、天音に気づく者は一人もいない。

葛城天音

透子ちゃんと柚ちゃん、私がいないことに気づいてるかな……? いやいや、きっと今頃捜してくれてる、はず!

 ふと湧き上がってきたイヤな想像を、慌てて振り払う。

 落ち込んでいたところで、何もはじまらない。

葛城天音

とにもかくにも、早く二人のところに戻らないと!

 意を決し、食料品フロアへ向けて一歩踏みだしたそのとき、頭上のスピーカーから小さなノイズが聞こえてきた。

 マイクの電源が入った音だ、と反射的に顔を上げる。

 程なくして、女性の声でアナウンスが流れはじめた。

アナウンス

本日もご来店、誠にありがとうございます。ご来店中のお客様に迷子のお知らせをいたします。髪に赤いリボンをつけ、白いワンピースを着たあまねちゃんを、お姉さんたちが捜しておられます。お心当たりの方は、地下一階サービスカウンター、もしくはお近くの従業員までお知らせくださいませ

 途中までは心配だなと思いながら聞いていた天音だったが、心当たりがありすぎるアナウンス内容に、次第に顔色が悪くなっていく。

葛城天音

え、え……ええ!?

 赤いリボン、白いワンピース、あまねちゃん。

 あまりにも、あまりにも自分に符号しすぎている。

 そして、こんなことをする人物にも天音は心当たりがあった。

葛城天音

ひどいよ、柚ちゃん!

アナウンス

繰り返し、迷子のお知らせをいたします

 悲痛な声を遮るように、非情にもアナウンスが繰り返される。

 きっとこれは、自分が見つかるまで終わらない。

 柚希は、そういう人なのだ。

 仲間への奇妙な信頼を胸に、天音はサービスカウンターに向かって駆け出した。

 

12月31日 12時55分 駅ビル4階 レディースファッションフロア

 ウィンターセールで賑わうレディースファッションフロアにも、迷子アナウンスは流れていた。

琴平さくら

迷子なんて心配だね……大丈夫かな?

 これ絶対にうめちゃんに似合うよ、と。今日も今日とて、着せ替えショーを繰り広げていたさくらだったが、ふいに飛び込んできたそのアナウンスに表情を曇らせる。

東雲うめ

赤いリボンに、白いワンピースのあまねちゃん……? まさかね

琴平さくら

うめちゃん? どうしたの?

東雲うめ

ううん、なんでもないわ

 自身の知り合いとよく似た特徴を持つらしい迷子に引っかかりを覚えたものの、そんなわけはないかとうめは首を横に振った。

 もこもこパーカーのうさ耳が、それに合わせて左右に揺れる。

 その愛らしい姿に、さくらはほうと感嘆の息を吐いた。

琴平さくら

うめちゃんもちっちゃくて可愛いから、迷子にならないように気をつけないと……

東雲うめ

そこまでちっちゃくないわよ! 子ども扱いしないで

 うめは、腰に手を当てて抗議する。

 傍目から見ると、子ども扱いされて怒っている子どものようにしか見えなかったが、懸命なことにそれを口にする者はいなかった。

東雲うめ

さくらこそ、危なっかしいんだから、あんまりふらふらしないのよ

琴平さくら

じゃあ、あの……手を繋いでてくれる?

 わずかに頬を染め、おそるおそる伺ってくるさくらに、うめは小首を傾げる。

東雲うめ

なんでそうなるの

琴平さくら

えー……ダメ?

東雲うめ

だって、手を繋いでたら服を選びづらいじゃない。私のだけじゃなくて、さくらに似合う服も見つけるんだからね

琴平さくら

うめちゃん……!

東雲うめ

あ、さくら、うしろ危ないっ

 感極まって身悶えたさくらの後ろに人影があることに気づいたうめが、慌てて声をかける。

 しかし、その声が届くより先に、さくらと人影がぶつかってしまった。

琴平さくら

え、きゃっ!

???

あっ、すみません、大丈夫ですか?

琴平さくら

いえ、こちらこそすみません! あの、お怪我とかっ

 慌てて体勢を立て直したさくらは、相手の顔も見ずに繰り返し頭を下げる。

カーミラ

ちょっとぶつかっただけですから大丈夫ですよ……って、さくらさん?

東雲うめ

あら、カーミラじゃない

カーミラ

うめさんも……。奇遇ですね。実は先ほど、ありすさんにもお会いしたんですよ

加賀美ありす

ねぇ、カーミラ。このワンピース、ピンクと青、どっちが似合うと思う?

 そこへ、両手にワンピースを持ったありすが姿を現した。

加賀美ありす

あれ? なんで、うめとさくらもいるの?

東雲うめ

それはこっちの台詞よ。ここまで偶然が重なるとすごいわね

カーミラ

そうですね

 まさか駅ビルのレディースファッションフロアで、アイドルが四人も顔を合わせるこよになろうとは、誰も思いもよらないことだった。

琴平さくら

カーミラさん、こういうガーリー系のお洋服も着るんですか?

カーミラ

いえ、デザインの参考にさせていただくことは多いのですが、自分ではなかなか……

加賀美ありす

ねぇ、そんな話よりも! どっちのワンピースがありすに似合うのか、ちゃんと選んで!

東雲うめ

もう仕方ないわねぇ

 そこから、あれがいい、これがいいと、かしましいやりとりがはじまった。

 普段、仕事でもほとんど一緒になることのない、趣の違うメンバーのため、好みも千差万別ではあったものの、洋服が好きという共通点によって場は盛り上がり。最終的には店員まで巻き込んでファッションショーが開催されたりもしていた。

 そうして、それぞれに紙袋を抱えた四人は、揃って店を出たのだった。

カーミラ

たくさん買いましたね

琴平さくら

はい。みんなでお洋服選ぶの、楽しかったです

東雲うめ

結局また、さくらより私の服のほうが多くなっちゃったのが心残りだわ

加賀美ありす

ねぇねぇ。ありす、お昼食べてないから、お腹空いちゃった~! 何か食べに行こうよー

東雲うめ

そういえば、私たちも食べてなかったわ。せっかくだし、一緒に年越し蕎麦でも食べに行く?

加賀美ありす

えー、麺ならパスタのほうがいいなー。あとショートケーキも食べたい!

東雲うめ

ありすって、ほんっとわがままね!

琴平さくら

まあまあ、うめちゃん、落ち着いて

カーミラ

どちらも食べられそうなお店を探してみましょうか

 ありすが、わがままを言って。
 うめが、ありすに怒り。
 さくらが、うめを宥めて。
 カーミラが、全体をまとめる。

 偶然出会ったときよりも少しだけ近くなった距離感で、今度は年越し蕎麦とパスタとショートケーキが一緒に食べられる店を求めて、四人は歩きだした。

 

12月31日 14時25分 メイド喫茶

 歳末セールで賑わう電気街から少し外れた通りにあるメイド喫茶。

 その店先にメニューボードを設置していた深春は、

七瀬深春

よし! これで完璧!

 と、自画自賛の声を上げた。

 ハートやデフォルメされたクマなどが描かれたファンシーなボートの中央には、これまた丸くて可愛らしい文字で『年越し蕎麦はじめました』と書かれている。

 うんうんと笑顔で頷き、その出来栄えに満足していると、一際強い風が路地に吹き込んできた。

七瀬深春

ふえっ、風つめたーい

 メイド服のスカートが捲くれ上がりそうになるのを、慌てて押さえる。

 上着も羽織らずメイド服のみで外に出ていたこともあって、すっかり身体が冷えてしまった。

 震える身体を自分で抱き締めるようにしながら、深春は足早に店内へと戻った。

 からんころん、とドアベルが鳴る。

 開店したばかりのため、まだ店内にお客さんの姿はない。

 お客さんの姿がないのは、決して店が流行っていないとか、そういう理由ではないのだ。

 店内BGMの切り替えを行ってから、深春はキッチンへと移動した。

七瀬深春

トキコちゃん、お蕎麦の準備どうですか?

 メイドが三人も入ればいっぱいになってしまう、あまり広くはないキッチンの作業台は、いま蕎麦の生地に占拠されている。

 その作業台の前で大きな出刃包丁を握っているのは、メイド――ではなく、深春と同じ事務所に所属するアイドル、トキコⅢだった。

トキコⅢ

現在、三分の一までは作業を完了させたところです

 答えている間も、トキコの目は作業台に落とされたまま。一切の油断ない眼差しで、麺の側面に当てられた定規のメモリに合わせて、包丁を動かしていた。

七瀬深春

え!? トキコちゃん、定規で測りながら切ってたの!? そこまで正確じゃなくていいですよ!

トキコⅢ

いえ。用意されためんつゆで、もっとも美味しく食べられる黄金比は、統計上、この麺の細さでなければ実現しえないのです

七瀬深春

さ、さすが、アンドロイドアイドル! 何言ってるのかよくわからないけど、すごい……!

トキコⅢ

それよりも、こんなに蕎麦を用意して、採算は取れるのですか?

 開店から五分。

 未だ誰も訪れる気配はない。

七瀬深春

だ、大丈夫! な、はずです! たぶん……

 次第に自信をなくしていく深春をちらりと横目で見やり、トキコを何を言うでもなく作業を再開した。

 ひどくゆったりとしたリズムで、たん、たんと包丁がまな板に当たる音が響く。

七瀬深春

一人だと大変だったから、トキコちゃんに手伝ってもらえて本当に助かりました。ありがとうございます

トキコⅢ

いえ、探していた部品を見つけていただいたお礼ですので。私のほうこそ、助かりました

七瀬深春

ふふふ、お役に立てて光栄です。これでも秋葉原のメイド代表なので、穴場のお店とかにも結構詳しいんですよ

トキコⅢ

頼もしいです。私のデータベースにあるマップはまだ情報が不足しているようなので、今度ぜひその情報をアップロードさせてください

七瀬深春

えーと……よくわからないけど、お任せください!

 深春が根拠もなく胸を張った、そのとき。

 からんころん、とドアベルの音が聞こえてきた。

七瀬深春

あ、お客さんかな?

トキコⅢ

客……? 夕方に手伝いにくると言っていた、つぐみでは?

七瀬深春

なんですかその、お客さんくるわけないみたいな反応! ちゃんとお客さんもきますよ!

 抗議の声を上げながら、深春は足早にフロアへと向かう。

 訪問者は待ちきれない様子で、大きな声が聞こえてきた。

加賀美ありす

深春ー? オープンになってたけど、誰もいないのー!?

東雲うめ

『年越し蕎麦はじめました』って書いてあったけど、ここならパスタもショートケーキもあるわよね?

12月31日 15時50分 郵便局

 ダンボール箱を抱え、よたよたと歩く棗の足元を見守るように、大柄な猫がその斜め後ろを歩いている。

 段差や通行人が迫ると一声かけてくれるので、棗は転ぶことも迷うこともなく、目的地である郵便局にたどり着くことができた。

猫屋敷棗

マルケスは、ここで待っていて

マルケス

にゃ~

 入り口脇の、人通りの邪魔にならなそうなところに座ったマルケスが、心得たと言わんばかりにひと鳴きする。

 それにゆるりと微笑み返してから、棗は郵便局の中へと足を踏み入れた。

???

あ、お客様、大丈夫ですか? お荷物お持ちしましょうか?

 自動ドアをくぐり抜けてすぐ、従業員らしき女性に声をかけられる。

 その声に聞き覚えのあった棗は、少し顔をずらしてダンボール箱の向こうを窺い見た。

猫屋敷棗

ああ、やっぱりつぐみだったのね

凪沙つぐみ

え、棗ちゃん?

 案の定、そこにいたのは郵便局のロゴ入りのジャケットを羽織った、つぐみだった。

 声をかけた相手が棗とは気づいていなかったようで、驚きに目を瞬かせている。

猫屋敷棗

もしかして、ここで働いているのかしら? っとと……

 首を傾げた拍子に重心がずれ、ダンボール箱が腕からすべり落ちそうになる。

凪沙つぐみ

あ、危ない。私が持つよ

 つぐみはすかさずそれを支えると、棗の手からダンボール箱をひょいと取り上げた。

猫屋敷棗

ありがとう。重いのに持たせてしまってごめんなさい

凪沙つぐみ

いえいえ、これもお仕事ですから! 私、今日は年賀状の臨時販売所でアルバイトしてるんだ

 そう言ってつぐみが視線をやった先には、この時期によく見かける年賀状の販売を行っている台があった。

 さすがにこの時期に買い求める人は少ないのか、たくさんの年賀状が手つかずで残っているように見える。

凪沙つぐみ

棗ちゃんのこれって、もしかして年賀状?

猫屋敷棗

ええ。昨日まで原稿の締め切りに追われていて、書く時間が取れなかったものだから、すっかり遅くなってしまったわ

凪沙つぐみ

それは大変だったね、お疲れさま。あ、棗ちゃん、この後って予定ある?

猫屋敷棗

予定は、特にないわ。何かあるのかしら?

 眼鏡のズレを直しながら問うと、つぐみは嬉しそうに目を輝かせた。

凪沙つぐみ

私、ここのバイトが十六時までなんだけど、終わったら深春ちゃんのメイド喫茶に行く約束をしてて。お店で出す分の年越し蕎麦打つのを手伝ったら、ただ食べさせてくれるんだって!

猫屋敷棗

メイド喫茶で年越し蕎麦……一見、相容れぬように見える関係性でも、そこにある幸いを願う心だけは変わらないということかしら……そうね、そんな日があってもいいのかもしれないわ

凪沙つぐみ

えっと……それはオッケーってこと?

猫屋敷棗

ええ。外にマルケスを待たせているのだけれど、一緒にいいかしら?

凪沙つぐみ

もちろん!

 ダンボール箱を受付まで運んでもらい、一旦、そこで別れた。

 発送の手続きを済ませ、一足先に外へ出る。

 しかしそこに在るはずの姿が見当たらず、棗は辺りを見回した。

猫屋敷棗

マルケス? どこへ行ったの?

 小さいながらもしっかり通る声に、遠くから応えがあった。

マルケス

にゃー

猫屋敷棗

何か、面白いものでもあったのかしら?

 声の聞こえたほうへと足を向ける。

 マルケスは、神社に続く石段の脇、『年忘れ餅つき大会! 飛び入り参加大歓迎! お雑煮をみんなで食べよう!』と書かれた看板の前で丸くなっていた。

猫屋敷棗

イベントが開催されているのね……

 棗の呟きに答えるように、マルケスは耳を動かしてみせる。

 石段の下からでは神社の様子を窺うことはできないが、餅つき大会に興じる人々の賑やかさをマルケスは感じているようだった。

 それに倣って耳を澄ましてみると、

凪沙つぐみ

棗ちゃーん!

 と、石段の上からではなく、後方から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。

猫屋敷棗

ああ、そうだった。つぐみと約束をしていたのだったわ。マルケスも一緒に行きましょう?

 そう声をかけると、マルケスは何やら石段のほうへ向かってひと鳴きしてから、棗の足元へと歩み寄ってきた。

 

12月31日 16時15分 神社 境内

 年忘れ餅つき大会の会場である神社の境内には、大きな赤い布が敷かれていた。

 その上に年台物の杵と臼、ついた餅を好きに形作ってもらうためのテーブルなどが並べられている。

 いつの間にか、コタツも一台も増えていたのだが、それに気づいている者は少なかった。

由羽坂星良

よーし、いっくよー! 必殺! マジカル・ハンマー!

杏菜・リンドバーグ

星良ちゃん、危ないってばー!

 境内に、高らかに響く声。

 例年通り参加者こそ少ないものの、商工会の伝手で呼んでもらった若いアイドルたちのおかげで、大会は至上かつてない盛り上がりをみせていた。

杏菜・リンドバーグ

そんなに力任せに連打されたら、お水つけられないよー

 臼から少し距離を置いて抗議の声を上げる杏菜に、杵を振るっていた星良はきょとんと目を瞬かせる。

由羽坂星良

杏菜ちゃん、宇宙人なのに?

杏菜・リンドバーグ

そ、それとこれとは関係ないっていうか……本当は、宇宙人じゃないし……

由羽坂星良

え?

杏菜・リンドバーグ

あ、ううん! 違うの! その、宇宙人でもできることと、できないことがあるっていうか! こういうのは、私よりナディファちゃんのほうが、向いてるんじゃないかなあ?

 困り果てた杏菜は助けを求めるように、コタツから手と頭だけを出して器用に餅を丸めているナディファに話を振った。

ナディファ

ナディファ、寒いの苦手。コタツから出られない

杏菜・リンドバーグ

え~。じゃあ、みるるる~*ちゃんは?

 ナディファの隣に座っているみるるる~*へと水と向ける。

 しかし、その手元の異様さに気づいた瞬間、

杏菜・リンドバーグ

って、みるるる~*ちゃん、どこからあんこを!?

 と叫び声を上げた。

 ついた餅が、お雑煮にして参加者に配られることになっているのだが、みるるる~*はナディファが丸めた餅を回収しては、あんこと絡めているようだ。

みるるる~*

お雑煮だけじゃ物足りないの~。おもちにも、やっぱり小倉なのるる~*

杏菜・リンドバーグ

えー、あんこならこしあん、じゃなくて! ダークマターがいいなー

みるるる~*

う~ん、ダークマターって可愛いのかな? かな?

由羽坂星良

あー、お餅がくっついちゃった。誰かこっち手伝ってよー!

 星良が声を上げるも、あんこ談義に花を咲かせてしまった二人は気づかない。

 コタツから出る気のないナディファは、一人マイペースに餅を丸めつづけていた。

ナディファ

あれ? まだ丸めてないおもちがここにあったのに。どこへ行ったんだろう?

 

12月31日 17時35分 山道

 究極のダンスを求めて、りゃなそんは大晦日でもいつもと変わらず、否、むしろいつも以上にハードな練習に取り組んでいた。

赤嶺七海

理名、まだいける?

片ヶ瀬理名

もちろん。私はどこまでも七海についていくわ!

赤嶺七海

『ついていく』じゃなくて、『一緒に隣を走っていく』でしょう?

片ヶ瀬理名

な、七海……っ!!

赤嶺七海

あれ、あそこにいるのって……

 合宿所の近くにある山道を、麓に向かって走りながら話していると、前方の竹やぶの中に酷く見覚えのある人影があることに気づいた。

 一人は赤、もう一人は青を基調とした、ライダースーツを身にまとっている。

 七海はペースダウンしながら、竹やぶへと足を踏み入れた。

 かさり、がさりと、足元で枯葉が音を立てる。

 ふたつの人影はしゃがみ込んだ状態で何かに夢中になっているようで、七海たちの接近に気づく気配はない。

だから、お前は餅は食べられないんだってば!

 突然、人影から大きな声が上がり、七海は思わず足を止めた。

茜、大きな声を出したら猫が驚く

いやだって、こいつが言うこときかねぇから!

 どうやら、そこには猫もいるらしい。

自業自得だと思う

はぁ? なんでだよ

だって、茜、甘やかしてばかりだから……

別に甘やかしてねえ! ただ、こいつ懐っこいからつい構いすぎちまうだけで……!

そういうのを、甘やかしてるって言うんじゃないかな……?

 しばらく様子を見守っていたが、このまま見ているだけではどうしようもないと、七海は口を開いた。

赤嶺七海

あなたたち、こんなところで何をしているの?

 声をかけた瞬間、人影は脇に抱えていたヘルメットを素早く被り、顔を覆い隠した。

…………

…………

にゃー

 ふたつの影は、今まで話していた猫を、さっと脇に抱え込みながら立ち上がる。

 そして――

赤嶺七海

あっ、ちょっと!

 止める間もなく、七海たちがいるのとは反対の方向へ駆けていってしまった。

赤嶺七海

今のって、QEの二人よね?

片ヶ瀬理名

うん。茜って呼んでたし、間違いないと思うけど……こんなところで、何してたんだろう?

 QEの二人が座り込んでいた辺りまで歩み寄ってみると、そこには餅らしき白い塊だけが残されていたのだった。

 

12月31日 20時10分 山頂 東屋

 山頂付近に位置する東屋で、一斗は望遠鏡の調整に勤しんでいた。

 そんな相棒の姿を少し離れたところから見ていたアレクシスは、本日何度目かの大きなため息をつく。

 気温が三度近いせいで、一瞬、目の前が白く染まった。

岬アレクシス

僕は日本らしい正月の迎え方の一環として、初日の出を見てみたいと言っただけなのに。なんでこんな時間からこんなところに……

春名一斗

ここなら日の出もよく見えるぞ

岬アレクシス

日の出の時間まで、あとどれだけあると思ってるんだ

 望遠鏡から目を外すことなく即答され、アレクシスの眉間の皺が増していく。

嵯峨山陸

とか文句言いながらも、結局来てるんじゃねえか

岬アレクシス

あー……そう言うキミたちも来たんだね

 ツッコミを入れたのは一斗ではなく、買い物袋を両手に提げた陸だった。

 そのうしろには、同じく買い物袋を持った光流の姿もある。

逢沢光流

寒いから、いろいろ温かいもの買ってきたよ

嵯峨山陸

アウトドアグッズも、いくつか借りてきたぜ

 なんとも言い難い顔をしているアレクシスをよそに、陸たちはランタンなどの準備をしはじめる。

 今回、この奇妙な天体観測を実現させたのは、光流だった。

 以前、雑誌で対談をしたとき、『四人でやってみたいことは?』という質問に対し、一斗が『天体観測に行きたい』と答えたことがあった。

 レイアウトの関係でその部分は雑誌に載らなかったのだが、光流はいつか実現させたと思っていたらしい。

 年越しの話題になった際、一斗が星を見に行くと答え、アレクシスが初日の出を見たいと言ったので、せっかくだから両方一緒にやろうということになったのだ。

 光流に甘いところのある陸が反対するわけもなく、一斗は我関せずといった無表情ながら、密かに楽しみにしているようだった。

 手持ち無沙汰になってしまったアレクシスは、ため息をつきながらも陸たちを手伝いはじめる。

逢沢光流

あれ、こんなところでお餅が落ちてるよ?

 東屋の隅にランタンを設置していた光流が、不思議そうな声を上げた。

嵯峨山陸

はあ? 餅?

逢沢光流

もう、すっかり硬くなっちゃってるみたいだけど……

嵯峨山陸

なんでこんなところに……アレクたちが食べてたとか?

 訝しげに問われたものの、アレクシスにはまったく身に覚えがない。

 肩を竦め、首を横に振ってみせる。

岬アレクシス

いや、僕たちは食べてないよ。麓の神社で餅つき大会をやっていたから、もしかしたらそれが関係あるのかもしれないけど……

逢沢光流

麓に神社あるんだ! じゃあ初日の出を見たら、そのまま初詣に行けるね

岬アレクシス

初日の出が見られるのは、だいぶ先になるけどね

 言いながら、横目で一斗の様子を窺うと、先ほどとまったく変わらない姿勢でレンズを覗き込んでいた。

逢沢光流

お餅の話をしてたら、お腹空いてきちゃった

嵯峨山陸

先に飯食うか。一斗、それ、まだかかりそうか?

春名一斗

いや、もう終わる。俺のことは気にせず食べていてくれ

 顔を上げないまま、素っ気なく答える一斗に、アレクシスは大股に歩み寄った。

岬アレクシス

そんなこと言って、放っておいたまた食べないつもりだろう。許さないからな

春名一斗

ちょっと待てくれ。今夜は月と木星が接近して、南東の空が――

岬アレクシス

待たない

 いつもよりだいぶ下にある襟首を掴み、東屋の中央に設置されているテーブルまで連行しようと試みる。

 ひとりでは難しいなと思っていると、陸がやってきて一斗の脇に腕を差し込み、引きずるのを手伝ってくれた。

岬アレクシス

悪いね、陸

嵯峨山陸

なあに、世話のかかる相棒を持つと大変だよな

逢沢光流

えー、それって誰のこと?

嵯峨山陸

さあ、誰のことだろうな?

春名一斗

自分で歩く。離してくれ……

 光流と陸が戯れている間に、一斗は体勢を立て直し、いそいそとベンチに腰を下ろした。

 その姿に、他の三人は顔を見合わせ小さく笑う。

嵯峨山陸

さあ、飯にするか

逢沢光流

いつもならこの時間は、家のコタツで歌番組見てるころかなぁ。たまにはこういうのもいいよね

岬アレクシス

まあ、たまには、ね

 少なからず楽しいと感じている自分に気づきながらも、アレクシスはそう嘯いた。

 

12月31日 21時55分 ホール 通路

 大晦日に生放送される、国民的歌番組がある。

 多くのアイドルが、いつか自分もと夢見るその番組に、誌乃と美雪はゲスト枠としてだが出演することになっていた。

 機材トラブルにより一切の音が出なくなったコンサートでの突発的な共演が、微妙に脚色のついた美談としてネットで話題になったらしい。

 出演できることは純粋に嬉しいけれど、自分の実力で呼ばれたわけでないということが誌乃は少しだけ不満だった。

 美雪は、どう思っているのだろうか。

 ステージ裏につづく通路を歩きながら、隣にいる本日の共演者を横目で見やる。

 その顔にはいつもと変わらない柔らかな表情が浮かんでいて、何を考えているのか、さっぱりわからなかった。

 思わず漏れそうになるため息を、なんとか呑み込む。

晴海詩乃

あら? いま、除夜の鐘が鳴った……?

 開け放たれたままの窓の向こうから鐘の音が聞こえたような気がして、誌乃は足を止めた。

姫野美雪

え、除夜の鐘にはまだだいぶ早いですけど……

 どうやら美雪には聞こえなかったようで、不思議そうに目を瞬かせている。

晴海詩乃

そうよね……柄にもなく緊張してるのかしら。またこの番組に出ることになるなんて……

姫野美雪

あれ? 誌乃さんも私と一緒で初出演ですよね?

晴海詩乃

は、初めてよ! 初めて! その、そう、またあなたと歌うことになるなんてね!

姫野美雪

そうですね。すごく緊張してますけど、誌乃さんと一緒だと思うと心強いです

 容易く誤魔化せた安堵と同時に、こんなに素直でそのうち悪い大人に騙されやしないだろうかといういらぬ憂慮が湧き上がってくる。

 誌乃は気を取り直すようにして、美雪へと向き直った。

晴海詩乃

陽光の歌姫と星影の歌姫なんて言われてるらしいけど、あなたの引き立て役になる気はないわよ。覚悟しなさい

姫野美雪

はい! 望むところ、です!

 

12月31日 13時40分 寺

真行寺里織

世界の頂点に立つ者として、除夜の鐘くらい鳴らせなくては!

 と、里織が思い立ったのは、十二月になる前のことだった。

 それからというもの、アイドル活動の合間を縫って寺で修行を積んでいた里織は、今日という日を心から待ちわびていた。

真行寺里織

とうとう、修行の成果を見せる日がきましたのね

 ショッキングピンクを基調とした袈裟姿は、異様に目立っている。

 しかし、目立つことに慣れきっている里織が、周囲の目に気づくことはなかった。

真行寺里織

百八回を一人で打ちつづけるのは無理だと言われたときには、珍しく落ち込んだりもしましたが、小夜子が手伝ってくださって本当に助かりましたわ

鶴巻小夜子

いえ、私も貴重な経験ができて光栄です

 里織と色違い――こちらは落ち着いた浅黄色の袈裟を着た小夜子が、涼やかに微笑む。

鶴巻小夜子

それに、いんたーねっとで日ごろお世話になっている賢者の皆様が、煩悩を払えなくて困っていらっしゃるようでしたので、そのお手伝いができればと思いまして

真行寺里織

ふむ、持ちつ持たれつというものですわね

鶴巻小夜子

しかし、練習の際に一度だけ打ってしまった鐘の音のことが、いんたーねっとで噂になっているようです

 小夜子が手にしているスマホの画面には、匿名掲示板が表示されており、師走の坊主うっかり説から煩悩を払いきれずに成仏できない霊による怪奇現象説まで、様々な憶測が飛び交っている。

真行寺里織

先ほどは、うっかり力を入れすぎてしまいましたわ。体重のかけ具合がなかなか難しいですが、もう感覚は掴めました。小夜子も準備はよろしいですわね?

鶴巻小夜子

はい

真行寺里織

さあ、参りますわよ!

 撞木の綱を握り、勢いよくうしろへ引く。

 そのまま綱にぶら下がるようにして、全体重を撞木にかける。

 次の瞬間。

 世界中の人々に届きそうなほど大きく、大きく、鐘の音が響き渡った――。

 

1月1日 0時00分 事務所

 年末年始関係なく仕事に追われているプロデューサーをサポートしていた里見は、ふいに聞こえてきたその音に、席を立って窓を開けた。

 途端、冷たい風が吹き寄せる。

 思わず目を伏せると、先ほどよりもはっきりと鐘の音が耳に飛び込んできた。

香谷里見

プロデューサーさん、除夜の鐘の音が聞こえますよ。あけましておめでとうございます。今年も、いい年になりそうですね

――I wish you a happy new year!

それは、とある暮れの日のこと

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