鬼いさん

へぇ、コイツが流行りのカラクリ人形ってやつか。面白そうだ。ちと、起動ってやつをしてみっか

 ここ最近、江慕(エボ)の町で流行っているのが、伝言板の代わりとされる、この辞書ロボット”コトハ”であった。しかし、皆からは辞書ロボの名で支持されている。

 江慕の町と言っても、住むのは人の子。鬼とは一切関わり合いの無い存在だった。

 しかし、鬼だって好奇心と言うものがある。面白そうな存在の登場に、皆密かに心躍っていたのだ。

 鬼の首領である鬼いさんもまたその一人で、眠りにつく人の子の目をすり抜けては、このカラクリの前まで来ていた。

 ポチっとな。手の甲の起動ボタンを押すと、カラクリは、まるで人の子のようにゆっくりと目を開けた。

辞書ロボ

ごきげんよう

鬼いさん

ご、ごきげんよう

辞書ロボ

私は、辞書ロボット”コトハ”。貴方の知らないことを教えます

 早速喋りだす辞書ロボに、鬼いさんは手を叩いて喜んだ。ボンキュッボンのサイズ、好みのタイプ、休日の趣味。聞いても答えないような質問ばかりが浮かんだが、鬼いさんはそれより一番聞きたいことがあった。

鬼いさん

コトハちゃん、優しさって何なんだ?

辞書ロボ

優しさ、ですか?

鬼いさん

ああ、昔むかし、じっちゃんから聞いた話なんだけどよ

 そう言って、鬼いさんは話し始めた。

 鬼の姿をした鬼いさんだが、こんな鬼いさんにも、祖父と言う存在がいた。

 昔、鬼いさんは祖父に聞いたことがある。

――おじいちゃん、どうして俺は、人間になれなかったんだ?

 そう聞くと、祖父はふぅむと考え込んだ末にこう答えた。

――ちょっと人より、優しさが足りなかったんだろうなぁ。もうちょっと優しくなったら、きっとお前さんも、人間になれるはずだよ。

鬼いさん

だから、俺は優しさを知って、人間に近づきてぇんだ。今更だけどな

辞書ロボ

優しさ、優しさ……思いやりがあること。と出ました

鬼いさん

難しいなぁ。他に無いのか?

辞書ロボ

気配りが出来、つつましやかで、けなげなこと

鬼いさん

それなりに、仲間には気ぃ配ってる気がするんだけどなぁ

辞書ロボ

……

 答える役目を終えた辞書ロボは、言葉を失って黙り込んだ。

 鬼以外で、唯一怯えないでいてくれる存在。鬼いさんは辞書ロボが喋らなくなったのが寂しくなり、更に辞書ロボに質問する。

鬼いさん

コトハちゃんは、自分が優しいと思うかい?

辞書ロボ

はい。皆さんに何時も分からない言葉、今日あった出来事などを知らせております

鬼いさん

そうか。でも、コトハちゃんはカラクリのままだよな。綺麗だし、コトハちゃんはこのままでいっか

 冗談っぽく笑う鬼いさん。辞書ロボは再び黙りこんだが、やがてその口を開いた。

辞書ロボ

優しさがあっても、鬼は人間にはなれません。ロボットも、人間にはなれません

 表情を変えず話す辞書ロボ。鬼いさんは彼女の言葉に愕然としたが、彼女の言葉は紛れもない事実だ。

鬼いさん

……それでも、優しさってやつを知りたいんだよ

 鬼いさんは、呟いた。

辞書ロボ

優しさは、目には見えません。耳には聞こえません。口で話しても分かりせん。全て、嘘かもしれないから

鬼いさん

じゃあ、俺は一生優しくなれないのかな?

辞書ロボ

……

辞書ロボ

死ねと言われたら死ぬ。そんな素直な方が、優しい人

鬼いさん

……!?

辞書ロボ

信じましたか? でも、これは嘘ですよ。

鬼いさん

本当かい?

辞書ロボ

だから言ったでしょう。全て、嘘かもしれないと

 それから、辞書ロボは言葉を発さなくなった。鬼いさんもまた、彼女の言葉に重さを感じ、黙って考え込んだ。

 だが、気づけばもう空も明るくなりつつあった。このままでは、人々が目覚めてしまう。

鬼いさん

コトハちゃん、それじゃあな

辞書ロボ

はい。また今度

 鬼いさんは辞書ロボに別れを告げ、帰ることにした。

 辞書ロボをシャットダウンすることも忘れて。

鬼いさん

……嘘、か

 森の中、鬼いさんは、辞書ロボの言葉を思い出しながら歩いていた。

鬼いさん

じゃあ、誰の何を信じたら良いんだろう

 鬼いさんが呟いたその時、自分のものとは違う足音が聞こえてきた。

狩人

鬼め!!

 町の狩人だ。狩人は火縄銃を構えて、鬼の方へと駆けだした。

鬼いさん

チッ!

 鬼もまた、捕まらぬようにと駆けだしたが、その途中で彼女の言葉が頭の中をよぎった。

辞書ロボ

死ねと言われたら死ぬ。そんな素直な方が、優しい人

 嘘だと彼女が言っていたが、もしその嘘こそが本当だったら。

 よく、転生と言う言葉を聞く。もしその言葉が本当で、素直に死んだ自分が人間に生まれ変われたならば。こんな風に誰かに追われることも無かったのか。それを思うと、少し速度を緩めていた。

鬼いさん

……いや、しかし

 生きるか死ぬかをうだうだと考えていれば、何時の間にか足元は崖になっていた。

狩人

くっそ、どこに逃げやがった

 少し向こうからは、狩人の声がする。

 前へ出て、狩人に殺されるべきか。それとも、後ろへ下がって、崖から落ちて死ぬか。

 他人の手を汚すくらいならば、自分で身を投げる方が良い気がした。

 意を決すると、鬼は崖から飛び降りた。

ガッ

 突然手首を掴まれる感覚。鬼いさんは瞑っていた目を開けた。

辞書ロボ

行きますよ

鬼いさん

コトハちゃん……行くってどういう

 鬼いさんが喋っているのも気にせずに、辞書ロボは鬼いさんを力任せに持ち上げた。

鬼いさん

うおっ!?

 重量のある鬼いさんが、華奢な辞書ロボの、たった一本の手で持ち上げられた。

 そして鬼いさんが辞書ロボの両腕の中にすっぽりと納まると、辞書ロボは疾風の如く駆け出し、鬼の里へと向かった。

 遠い鬼の里へ着く頃には、辺りは明るくなっていた。

 此処へ来るまでのその道中、辞書ロボがいる理由や、ボンキュッボンのサイズを聞いてみたものの、ことごとく無視された。

 入口へ着くと、辞書ロボは鬼いさんを降ろした。町へ戻ろうと背を向けた辞書ロボに、鬼いさんが声をかける。

鬼いさん

なぁ。あれがコトハちゃんの優しさか?

 鬼いさんの野暮な質問を聞くと、辞書ロボは初めて吹き出して微笑んだ。そして振り返ると、たった一言答えた。

辞書ロボ

真実は何時か分かるさ、生きていればね

優しさって

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