少女は、そもそも呪いの力など無かった。家は医者もいない貧しい山村の、呪術師の家系だったらしいが、その実呪力など無く、薬草を使って人の病気を治すとか症状を軽くするとか、怪我を癒すと言った類いのものだった。

 彼女自体、呪力など有り得ないと思っている主義の人種で、薬草の効果は認めているけれどそのことを奇跡みたいだとか、魔法のようだとか讃える村民によく複雑な気分になっていた。

 そして、物心が付く前から、薬草を教えられ病人怪我人を診て来た彼女は、いつしか病状や傷の状態で、その人の回復の見込みがわかるようになった。そう。
 死期さえも。

 あるとき、村で疫病が流行った。原因を終ぞ少女は知らなかった。貧しく、発展とは無縁の村だ。

 よもや近くに建てられた工場からの工業排水工業排煙などで地域汚染が起き、村が被害を受けているなど及びも付かなかった。彼女も薬草には詳しくても、世俗に疎い人間だった。

 汚染は、家畜、水、野菜だけでなく薬草にまで至った。
 今まで人を助けて来た薬草が、汚染によって毒草に代わっていたのだ。

 疫病の猛威からしばし経ち、少女の父母も倒れる。薬草を煎じたものが効かない中、少女の看病も虚しく逝去した。

 失意の最中、少女は薬草に効力が在るものと無いもの────汚染され毒草と化しているものが在ることに、気が付いた。薬として残る薬草、その数は少なく。

 また、少女は人の死期を察した。少女は、死期の近いと判断した者には薬草を与えなかった。理由を問われれば少女は容易に口にした。

“死が近い者に、薬草は渡せぬ”と。

 山に囲まれ閉鎖された村の、有り難がられる家の娘だった少女。無意識に傲慢であった可能性は否めない。両親を亡くし、諌める者も無く幼いところ、思惟の足らぬところも在っただろう。だけれど、少ない薬草でそれでも人を救いたいと言う気持ちは本物だった。

 だとしても、親を失う子に、子を失う親に、家族を亡くした村民が、悟れるはずも無い。徐々に、薬草を渡される人数が減って行く。

 つまり、死人が、少女に死ぬと告げられた人数が増えたと言うこと。

 少女を擁護する声が消え始めたと言うこと。

 程無くして、少女と村民たちの攻防は終わりを迎えた。

 街から、医師と調査団が来たのだ。

 村民たちは、医師の的確な治療で万全と言わずとも快方へ向かい、調査団から村の会合で疫病の調査結果を聞かされる。

 疫病の元となったのは汚染された水、土壌、家畜、野菜、─────薬草。この結果に、村民たちは慄いた。

 無論、根源は工場であり工場を建てた役所だ。けれど知る由は無いのだ。

 村民たちは、薬草の一部は汚染されていなかったことを。

 調査団は、その事実を明確にしなかったことの重大さを。

 更に最悪なのは、少女がこの場にいないこと。少女に会合が在ることを教えるものは、誰一人いなかったのである。

 村民たちの中で膨れ上がったのは、怒りだった。

 あの娘は、毒を渡していたのだと。
 あの娘は、人を救ってなんていなかった。
 そうだ。自分たちの家族だって見棄てられた。何れ死ぬからと。

 あの娘は死期を当てていたのではなく、あの娘が死なせていたのではないか。

“死ぬ者に薬草は渡せない”と娘は言った。要は、健康な者にこそ薬草を渡していた。

 薬草は毒だった。あの娘は健康な者も殺そうとしたのだ。

 もともと呪術師の家系────あの娘は魔女だ!

 薬草以外も汚染され、摂取していたと言うのに。
 少女へ積日募らせて行った不満が決壊したのだ。

 少女は悪だと、これは報復だと、自分たちは被害者だと、こう言う心理が、歯止めを壊していた。

 唯一部外者の医師と調査団はこのとき村を離れていた。
 止める者など無かった。止まる者もいなかった。

 村民たちはまず、少女の家を襲撃した。男手も無く、独りで暮らす少女だ。押し寄せた村民の数に一溜まりも無かった。

 髪を掴まれ四肢を拘束され、乱暴に引っ立てられ村民たちの輪の中に突き飛ばされた少女。

 無表情、もしくは憤怒の表情が少女を取り囲む。

 少女は、初めて、恐れを抱いた。

 村民は、彼女の家を崇めていた。生まれたときから。生まれる前から。
 およそ、彼女にとって村民など、警戒するに当たらない相手だったのだ。それが。

 取り囲み、少女に危害を加えようとしている。

 少女が戦慄し動けないでいると、母さんの仇だ! ────一人が叫び石を投げて来た。合図だった。

 一斉に、彼女への攻撃が始まる。彼女の髪を引っ掴み、身包みを剥がし、拳で殴り平手で叩き、仕舞いには棒など無機物で打ち据えて来る。

 彼女の制止を求める悲痛な叫声は村民たちの怒号により掻き消される。助けを求める声は、だんだん小さくなり無くなった。少女が動かなくなると、一旦村民たちの暴力も止んだ。生死の確認をする。少女は瀕死だったが生きていた。気絶し動かなくなった少女を、数人の村民が引き摺って行く。他の村民は無感情に眺めていた。

 少女が連れられたのは、村の外れに在った洞穴だった。自然に出来たこれは、後に彼女の棲み処となる。

 結局、村民は皆彼女に怯えていた。少女に見られ告知され、死に囚われることを一等に怖がっていた。

 ゆえに焼き鏝で目を潰し、口を縫い付けた。椅子に縛り付けて。

 男が現在座る、椅子に縛り付けて。

 そうしてから、放置した。暴虐の末弱っていた少女。洞穴内は冷気が漂い、彼女が身に付けているのはスリップと下着のみ。ただ打撲による酷い傷、目と口の傷で全体的に熱を持っているのか寒さは感じなかった。けれども何の慰めにもならない。

 少女は放置から十日後、息を引き取った。

 いきなり暴力に晒されゆっくり命を奪われた。訳もわからず。少女は考える。自分はよくやっていた。自身も両親を亡くしながら、村民のために薬草を選び、出来るだけ採り、命在るものが残れるよう尽力したではないか。

 だと言うのに、仕打ちはどうだ。医師が来たからか。仕方が無いではないか。ならばどうして医者に診せに行かなかった。……簡単なこと。辺鄙な山奥の、自給自足が当たり前の村には金も無く、診に来てくれる医者もいないから。加えて、始めの症状は体調を少々崩したくらいだった。死者が出るころには手遅れだった。何より少女の家が在った。薬草が在れば暮らして行けたから。村民には、病や怪我は少女の家に頼れば良いと言う頭しか無かった。

 少女はこの期に及んで、知らない。
 村民の勘違いを。

 判明しているのは、村民が少女を嬲り者にしたこと。光を奪ったこと。口を塞いだこと。

 殺そうとしたこと。……殺したこと。

 それだけだ。

 溶けてくっ付いて、暗い視界と縫われ息苦しい上、誰もいない寂寞とした空間。少女の脳内を占拠したのは憎悪だった。

 憎い。憎い。憎い。
 激情が、ぐるぐる駆け巡る。

 死ぬ直前まで、タールやニコチンが汚れたマーブル模様を描くみたいに、少女の頭は怨嗟で満たされていた。

 ともあれ、今や詮無いことだ。村民たちはとうにこの世にいない。死した少女を葬ろうとした村民から次々死んで逝った。死ぬたびに、少女は村民を取り込んで行った。

 すでに呪いは少女のものだけではなくなっていた。皆殺しにした村民たち、街の医師に調査団。調査や旅行や冷やかしでこの洞穴を訪れた者たち。こう言った者の無念が少女に纏わり付き、少女と一体化していた。

 そこへ、学術的な調査で教授と共に訪れた男の姪。

 風来坊で海外を渡り歩き、家族親族とも疎遠となっていた男性にとっては唯一、懐いてくれた姪だった。

 その姪が助けを求めて来た。呪われると十日後死ぬのだと、泣いて電話をして来たのだ。

 十日。少女が現れて追い詰める十日間は、少女が命を落とすまで苦しんだ期間だった。少女がすべてを呪った期間だ。

 男は、姪のために少女の過去や呪いの経緯を調べていた。少女の知らない疫病の原因までも。

 知ったところで、解けるはずも無いのだけど。
 だからこそ、男は可愛い姪のために身代わりとなったのだろう。

 男が覚えている姪の顔は、泣き顔だった。笑ってくれたら良かったのに。男は思った。亡くなった義姉さんによく似ていた。

 自分の死んだ娘にも。男は少女を見据えた。

 ぼろぼろの身なり、惨い有り様の顔面、紫に変色している肌。視線を逸らしたくなる惨状だった。

 少女が呪った者は最期、似た風貌の死体となっている。両目を焼き潰され、口を縫われ、全身の骨は砕けていた。男は複雑な気分になった。

 男は、世界のいろんな場所へ行った。戦争地域にも足を踏み入れたし、未開の地へ、密林の奥地にも行ったことが在る。凄惨な現場に出くわしたことも在った。

 こんな男でも、少女の姿、死の真相は余りにも残酷だと感じた。悲愴だと。少女の両親はどう思うのだろうと、思い馳せては、心痛だった。

 己も、子を亡くした親であるがゆえに。もし娘が、同じだったら。想像するだけでつらかった。

……なぁ

 男の最優先は勿論姪の安全だった。だけれども。

俺で、最後にしてくれないか

 少女を、憎み切れない心が在った。

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