霧雨が降る夜だった。林道でひとりの少女の死体が発見されたことにより、現場付近一帯は立ち入り禁止の厳戒態勢が敷かれていた。


 少女はつい昨日、両親によって捜索願が出されていたばかりである。絞殺されており、その他の暴行の形跡はない。失踪当時の服装はセーラー服だったのだが、発見された死体には真っ白いローブが着せられており、その周辺には鳥の羽が散らされていた。


 この一ヶ月で十人もの少女が、同一の方法で殺害されており、現場の具体的な状況などは報道されていなかったものの、その犯罪はすでに日本中の話題を攫っていた。変質的な猟奇殺人犯、おそらく同一犯による凶行――推理が、憶測が飛び交い、加熱した。


 その頃、ひとりの男が一件の邸宅に向かって歩みを進めていた。霧雨が男のまとったレインコートを濡らす。時間が経てばこの雨は強さを増し、引きずるような足跡を洗い流していくだろう。


 男が辿り着いた先には古く大きな洋館があった。あらゆるところに蔦が絡み、住居としては今どきの日本ではなかなか見かけない、シックで歴史を感じさせる装いであった。薄暗い林の奥で静かに佇み、霧雨に囲まれたその様相は、どこかしらゴシックホラーの風情が漂う。


 男がチャイムを鳴らす前に、扉が静かに音を立てて開いた。来訪者の存在を察していたのだ。光が漏れる扉の間から、色が白く、痩せた男が姿を見せた。

はじめまして、刑事さん。そろそろ来る頃だろうと思っていましたよ。なぜなら僕はわざと現場に証拠を残していったのですから


 白い男は来客を洋館の中へ招き入れた。豪華な装飾が施された館内で一際目を引いたのは、大きなシャンデリアでも真っ赤な絨毯でもなく、暖炉の上に飾られた、一人の老女が描かれた大きな絵画である。


 白いワイシャツと黒いパンツ、背中まである金髪に、まるで女性と見紛うほど淡麗な顔立ち、長い睫毛がシャンデリアの光を弾き、それは古い少女漫画から飛び出したかのような美しい青年だった。


 レインコートを脱いだ男が口を開こうとした時、白い男がそれを制した。

言わなくても用件はわかっています。僕を捕まえにきたんでしょう。あの連続殺人。
今ここではっきりと自白しますよ。ええ、僕が犯人です。全て僕が行ったことなんですよ


 まるでポエムでも読んでいるかのように、白い男はあっさりと犯行を自供した。自分の行ってきたことの残酷さを理解していないのか、その表情には憎らしいまでの余裕が見受けられる。

ええ、そうです。僕は捕まりたいんですよ。
なに、安心してください。貴方達をおびき寄せて何かしたいわけじゃない。
その証拠に、武器になると判断されそうなものは全て廃棄しました。なんなら、丸腰であることを証明したっていい


 そういうと白い男は身にまとっていた衣類を全て脱ぎ捨て、全裸になった。シルクのように白く滑るなめらかな肌。細いがどこか力強さを感じる肢体。一糸纏わぬ姿になった男は、全てを曝け出したまま再び相手をまっすぐに見据えた。

これだけ殺してしまえば死刑は免れませんね。思い出深いこの館とももうお別れなんだ。
噛みしめるためにも少し、自分のことを語っていいですか。
どうせ、拘置所や裁判の場でも語ることになりますが――僕はこの洋館で母と二人、静かに暮らしていました


 雨脚が強まってきた。窓を叩く雨粒の音が響く館内で、白い男は全裸のまま滔々と語り始めた。

母は僕を『神の与えた子』だと言って大事に愛してくれました。お前の美しすぎるその存在は、人間の生殖の結果ではなく、神の意思によってこの世に授けられたものだと。
まるで花を愛でるように、僕を育ててくれた素晴らしい母……母は知っていたのです。
洋館の外にはあまりにも、醜くて、愚かな人間達が多すぎる。僕はそんな外の世界とは隔離されて育っていきました


 まるで一流の楽器を奏でているかのように、澄み切って麗しい声色だった。なるほど、母親が絶賛したがるのも無理はない美しさだ。まるでこの世のものとは思えない存在である。あの絵画の老女は白い男の母親だったのだ。


 まさに演奏とも言える白い男の言葉。所々で言葉に感情がこもり、その度に囁くようであったり、弾むようであったり。その適度な抑揚が、上質なオペラの如く心を掴んで離さない。

僕が成人に近付く頃、母は病で床に伏せました。僕は何度も医者を呼ぼうと言ったのですが、罪で手が染まった者達の施しを受けて生きるくらいなら、この洋館で僕に見守られて逝きたいと告げたのです。
僕は母の強さを、そして魂の美しさを感じました。やがて母は神に導かれて、天に還っていったのです。残された僕は孤独に悩む一方で、母に強い嫉妬を覚えました。
母は絶望したこの世界を捨て、魂の昇華を遂げた。僕も母の後を追って、本当の意味で神の領域へと辿り着きたい、と


 白い男の言葉は止まらない。カンバスのような色のない表情が、語気を強めていくとともに豊かな表情で彩られていく。怒り、悲しみ、笑い、そのどれもが美しく、完成された芸術のような品格を漂わせている。


 雫を垂らすレインコートを小脇に抱えたまま、男はその話を聞き続けていた。

刑事さん、この世界は腐っていると思いませんか。憎しみ、争い、奪い合う。
神が遠い昔に我々に与えた慈しみ、悼み、愛しあう美しさなんてものは、すっかり影を潜めてしまった。人は皆、生まれた時は天使だった。
やがて羽をもがれ、悪を覚え、醜く老いていく。僕はそんな世界で孤独に生きることがもう耐えられなかった。
しかし、自らの手で自らの命を断つわけにはいかない。それは最も神の逆鱗に触れる行為。母が与えた僕の美しき魂を、そんなことで汚すわけにはいかなかった


 何か我々に見えないものが見えているのか、白い男は時折仰ぐように、何かを求めるように、天を見上げた。恍惚感に満ちた表情が、言葉の節々に狂気を孕ませていく。


 話はいよいよ佳境に入る。雨の強さもまた最高潮に達していた。

そこで僕は考えた。それならば貴方達に手をかけてもらおうと。僕の魂は深い業を背負った貴方達によって葬られることで悲劇となり、神の救いを受けることになる。それが魂の昇華です。また、それには僕を神のもとへ導く天使達の存在が必要だった。
希望とはいつの時も残されているもので、この世界にはまだ美しさの欠片が残っていた。あの少女達です。彼女達はまだ天使になる資格を有していた。世俗にまみれ、欲望に染まり、魂が汚辱される前に、僕が魂の昇華を手伝ってあげたんです。
僕は彼女達を殺したんじゃない。救済したんだ。そして彼女達は神の使いとなり、僕の魂が運ばれてくるのを待っているんです。これが、真相の全てです


 白い男は憑き物が取れたかのように満足そうな顔を浮かべた。まさに自分勝手としか言い様がない論理。市井に生きる人々の尊厳を侮辱し、ささやかな命を次々と手にかけた男。我々の倫理観を軽々しく飛び越える理屈。


 しかし、どんな言葉で言い返しても、白い男の心には届かないだろう。そこには確固とした世界が存在しており、それを狂っているか否かを判断することは、我々が本当に『魂が汚れ、醜く育った生き物』であったなら、おそらく永遠に適わないのだ。


 世俗にまみれた世界で造られた法に則り、彼を怒りのままに裁くことだけが、我々のできること。しかしそれは彼の理屈では救済に繋がる。もはやお手上げの状態であった。

高尚すぎて貴方達には理解できないでしょうが、僕の話はここで終わりです。あとは貴方達から然るべき裁きを受けるだけだ。
抵抗はしませんよ。僕は業の深い貴方達によって死刑台に送られることで、本当の意味で魂の昇華を遂げるのです。
一足先に天使になったあの美しい少女達に導かれて、ね。さあ、僕を連れていきなさい。罪深き凡人達よ


 白い男が足を一歩踏み入れると、それまでずっと相手の話を黙って聞いていた男は、カバンの中から一台の小さな機械を出してついに口を開き、こう告げた。






NHKの者ですけど、受信料の徴収にお伺いしました……

天使が受け取った電波

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