――X年、Y月Z日。世界はあと一日で終幕を遂げる。

 それは、テレビやラジオをジャックして、唐突に流れたものだった。

 ジャックと言っても、人々が武装し、テレビ局を制圧するような野蛮なやり方では無い。いつも通りに流れていたコマーシャルが途切れ、字幕、そして一人の男の声によって人々に知らされたのだ。

世界の終幕など、非常に陳腐なウソだ

 サラリーマンの男は呟いていたが、これは非常に陳腐でも、決して嘘ではない。少女だけは、確信していた。

 少女は、一人の青年から手紙を受け取っていた。宛名を智(さと)、少女の名があり、差出人の名はマイクと書いてあった。

これは?

君に、読んで欲しいんだ

 マイクは、智が中学一年生の六月頃に転校してきた生徒だった。

 マイクは日本語が上手く話せなく、生徒達とのコミュニケーションが難しい状態だった。

 彼が思い悩んでいた時、英会話塾に通っていた智に話しかけられ、二人は次第に仲良くなっていった。

 マイクがクラスに来てから二年。日本語もみるみるうちに上達していき、それと同時に、クラスメイト達も英語の授業を通し、マイクの言葉を少しずつ理解してくれるようになっていた。

 他の生徒達とも仲良くなり始めると、マイクは智とあまり話さなくなった。彼としても、大人しい見た目の女子より、明るい男子の友達が欲しかったのだろう。二人の会話が無くなったのは、必然であった。

 それから一年。二人は同じ高校に進学したものの、すれ違っても挨拶すらしない仲になっていた。

しかし、二月に入った頃。突然彼から手紙をもらったのだ。

じゃあ

 マイクは、それだけ言うと、走り去っていった。

 ここ最近、彼とは一切話していなかった。まずラブレターはありえないだろう。ならば、此処で開けても問題は無い。智はすぐに手紙を開封した。

 その手紙が、世界を揺るがす重要事項であるとも知らずに。

……なにこれ

 手紙を持つ手が震えた。

 そこに書いてあった言葉、それは。

――X年、Y月Z日。世界はあと一日で終幕を遂げる。

 正に、先程流れた映像、音声と同じものであった。

 半数近くは冗談だろう、どうせ勘違いに決まっている。そう決めつけて笑っていたが、残りの半数は不安がってガタガタと震えていた。

 どちらにせよ、この世界はもう終わるのだ。

 誰もいない展望台の頂上。智は蟻のように小さな人々を見つめていた。

 世界が終幕を遂げる。智宛てのあの手紙には、この続きが書いてあった。

世界は終幕を遂げるが、僕は君を救いたいと思っている。君は、僕が上手く話せなかった頃から、話しかけてくれた恩人だ。だから、僕は君が好きだ。君の返事を聞きたい。明日の二十三時五十九分まで、港で待っている

 あまりに信じがたい事実。そして彼からの告白に、智はどうすれば良いのか分からず手紙を机の引き出しに放り込んだ。

 そんなわけあるはずない。智はそう言い聞かせて眠りについた。

 しかし翌朝、この言葉が全世界を震撼させた。

 現在、正午。空を見上げるも、特に隕石が落ちてくるような様子もなく、人々が襲いあうでも宇宙人が攻めてくるわけでもない。あまりにも平和すぎる。

 現在イヤホンで聞くラジオでの追加音声によると、世界の終幕方法は、そういった目に見える絶望的なものでは無いのだそう。

 パタリと世界が、一瞬にして消える。そんな呆気ない方法なのだとか。それはまるで、読み終えた本のように。

……本、か

 手持無沙汰に揺れていた手を握りしめ、智は展望台を下りて行った。

 世界の終幕が近づく中、智は日曜を自室にこもって過ごしていた。真っ暗な室内を電気をつけることも忘れ、黙々と手紙を見直す。何度も何度も。

 十九時、二十時、二十一時、時は刻々と迫ってくる。時計の針が十時半を指したその時、智は手紙をスカートのポケットにしまって立ち上がった。

 十時四十分、智は家を抜け出した。

 リビングで話し合う家族達には悪いが、どうしても、彼に会わなくてはならない。彼女には曲げられない意思があった。

 会って、彼に伝えなければならないのだ。彼の告白の答えを――。

 家の近くのバスに乗り、指定の港へと降り立つ。ここまで来るのに、約三十分。桟橋の近くまで行くと、マイクは智の足音に気付いて振り返った。

来てくれたんだ

 智に話しかけるマイクの表情は、どこか嬉しそうだった。

来るよ。だって、世界が終わるんだもの

だからこそ、家族で過ごしたいって思わなかった?

思ったよ。けれど、マイクに伝えなくちゃいけないって思ったから

 マイクは微笑んだ。その笑顔だけを見れば、あと一時間で世界が終わるとは到底思えない。

どうして僕が世界の終幕を知ってると思う?

わからないよ。マイクが神でも無い限り

神、か

 マイクは微笑を浮かべる。その表情が、真意を物語っているように思えた。あの手紙の、真相も。

ウソ。分かってるよ、本当は

 手紙には、彼の予告と告白が書いてあった。そして、封筒には宛先と、差出人、そしてもう一つ。

――僕は、この物語が大好きなんだ。

 実際には送られなかったものの、その思いは一枚の捨てられた手紙越しに強く残されていた。

 彼は、この物語が誰よりも大好きだったのだ。そして、智のことも。

バレちゃってたのか

 マイクは照れくさそうにはにかんだ。

 手紙を目を通した時から、この言葉について気付いていたが、智にはその言葉の意味がすぐには理解出来なかった。

 世界が終わるだけでなく、この世界が一人の人物の創造から作られたものだと、誰が気付けると言うのだろう。

 だが、この事実は、ラジオの追加情報を聞いた時からずっと引っかかっていた。もしや、そんなことがあるのだろうか。と。

 何度も何度も読み直し、その引っかかりは確信に変わる。自分が、作られた存在だと。

僕はね、人々から天才、なんて崇められる物書きだったんだ。書いた小説は色んな人に読んでもらった

これは、その一つだったんだ

うん。でも、これは、今までの話とは違ったんだ。編集者に、好きなように作って良いって言われて、普段ミステリーばかりを書く僕が、初めて作った青春だった

 マイクは、十代の頃より人気を博した有名作家だった。それゆえに、幼い頃から文章漬けの日々を送り、青春と呼べる日々を経験出来なかった。

 友情をはぐくみ、恋心を募らせる。この世界は、彼にとって唯一の青春だったのだ。

けれど、僕が好きなものに限って、皆にとっては興味が無かったりしてね。この物語は、最終回を迎えることになってしまったんだ。それも、まさかこんな形で迎えることになるなんて……

変えることは出来ないの?

うん。これは、編集者からの決定事項だったんだ。意外性のあるラストを持たせようって

 人の心など、そのようなものだ。幸せなラストはありきたりだと言い、壮絶なラストは期待を裏切られる。作者を裏切るくらいならば、読者を飽きさせてでも幸せなラストを見せてくれれば良いのに。

 智が思ったところで、事態が変わるわけでもない。何も出来ない自分がもどかしい。

でも、幸い僕は主人公で、君がヒロインなんだ。だから、僕の説得によっては、せめて君だけは救えるんじゃないかって思ったんだ。だから、君が僕のことを好きなのか、答えを聞きたい

 夜風が通り抜けた。

 智は肌寒さに身を震わせ、視線をマイクから逸らす。時刻は、十一時半。時は、皮肉にもあっと言う間に過ぎ去っていく。

 もう、時間もあまりない。視線をマイクへと戻すと、智は唇を動かした。

マイクにとって、英語を話せた私はすごく良い人に見えたと思う。私にとっても、必死に私に話しかけようとしてくれるマイクはすごく良い人に見えたんだ。話も合うし、可愛いし、弟みたいに思ってた

そうか

そんな良い人のこと、好きじゃないわけないでしょう?

え……?

 智は冷え切った体をマイクへと近づき、そのままぎゅっと抱きしめた。彼女の肩の中、マイクは頬を赤く染める。

好きよ

 短い返事に、マイクの胸は大きく震えた。

「本当に?」

 そう返そうとしたマイクに、智は言葉を続ける。

でもね。私も、この世界が大好きなの

 触れていた体を離し、智はマイクの腕を掴んだ。

家族だって大事だし、一人だけ生き残るなんて、絶対に出来ない。でも、マイクも大好き

智……

だからね。私、ここにいるよ

 智は微笑んだ。彼女の笑顔があまりにも素直で、マイクの胸が痛んだ。運命をかけて、彼女の気を引こうなんて。自分は愚かだったと。

考えてみなよ。物語は、一回終わらせても続けることが出来るんだよ。マイクが、私達のことを大好きでいてくれたら。だからね、私はここにいるよ。もしマイクが辛くなったら、迎え入れられるように

 終幕の時刻は、秒ごとに確実に近づいていた。目の前の彼女が消えるまで、残り三百秒。

わかったよ。最後に、もう一度抱きしめても良いかい?

 マイクの問いに、智は笑顔で頷いた。

 マイクは智を抱きしめ、今この時を噛みしめるように目を瞑った。世界が終わるまで、十秒。九、八、七、六、五、四、三、二、一……――。

 世界は、途端にパタリと閉じた。

これが、最後です

 マイクは、一枚の原稿を編集者に手渡した。

 物語のマイクは顔つきが幼く、目が丸く優しげな印象であったが、今のマイクは多くの文字を読み書きすることによって、細く鋭い目つきになっていた。

 その表情に、初見の者は一つ距離を置きたがるものだが、編集者にしてみれば何時ものことだ。最後の一枚を受け取ると、「どうも」と原稿に目を通す。

おや。主人公も亡くなったのですか? 確か主人公とヒロインは救う予定では

 編集者の言葉が、非常に陳腐に聞こえた。マイクはクスリと微笑んで答えた。

死んだよ。僕も彼女も

はい?

いや、何も

 大好きな物語すら続けられない。その時点で、自分の心は死んでいたのだ。この真意を彼に言ったところで、馬鹿にされるのがオチだ。

 それに、彼も彼女もあの世界も。確かに一度は死んだが、まだ彼らは生きているのだ。

でも、この展開の方が良いですね。安心して下さい。きっと通りますよ

 バラバラの原稿用紙を机の上で整えると、「では」と編集者は部屋を去って行った。

 また一人になり、静まり返った書斎。

ああそうかい

 彼は呟くと、机の端に置いてあった鉛筆書きの原稿の山を、机の引き出しの中へとしまった。

(了)

最後の一枚

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