あの坂の向こう































病床の窓から見えるあの階段坂。
















聞いた話だと、あの坂の向こうには




海が広がっているらしい。














見知らぬ土地の病院に




長期入院することになった私は




もっぱら坂の向こうの海を想像するのが日課だ。







































昔話に出てくるような砂浜だろうか?







そこには今でも浦島太郎のような






格好をした漁師がいたりするのだろうか?













































いや、砂浜じゃなくて





ゴツゴツした石ばかりの磯かもしれない。









その向こうには誰も棲んでいないような






離島が見えるかもしれないな。











































予想に反して、








造船所が立ち並ぶ近代的な港かもしれないぞ。








風情なんてあったもんじゃないな。































ある日の事。





それは手術の前日。


















どうしても坂の向こうが気になった私は






思わず看護婦さんに聞いてしまった。
















あの坂の向こうの海は




どんな海なのか?と。






















永い間、私の担当をしてくれていた




看護婦さんは




少しだけ困ったような顔をした後




ニッコリと笑ってこう答えた。








私の口から
それを聞いてしまって
良いのですか?













そうだ!





明日の手術が終わったら、




歩けるようになるんだ。







そうしたら、この脚であの階段坂を登って




自分の目でその海を見よう。




そうだ、そうしよう。
















ふふふ、今からとても楽しみだ。


























とても、楽しみだな……。





































1963年8月3日
患者手記より





























《了》

あの坂の向こう

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