ちょっと皆を驚かせてみない?
八月十九日。あの日、彼女は私にそう持ちかけた。他のクラスメイトが落ち着きもなく無邪気にはしゃいでいる中、グラウンドの傍に隣接する空の部室にて私達は話し合っていた。と言うより、一方的に連れ出されて、一方的なお願いをされたの方が合っているだろうか。
驚かす?
そう、と言って彼女は穏やかな笑みを浮かべて返した。
こういうイベントってただ終わらせるのってつまらないじゃない? だからちょっとびっくりさせてみたいから
最初に思ったのは、珍しいという感想だった。いつもの彼女はこういう行動的な感じではない。どちらかというと、明るくはあるが誰かを驚かせるようなことはしないようなイメージだった。そんな彼女が急にそんな提案をするとは意外であり、珍しいというのが本音だった。
別に構わないけど何をするつもりなの? あまり度が過ぎたものはダメよ
大丈夫だって、すぐに終わるから
そう言って彼女が提案したのは、『自分が行方不明』になることだった。当然、それは如何なものかと意見をした。彼女の言ってるそれは明らかに度が過ぎている。下手をしたら生徒だけではなく色々な人を巻き込むだろうからだ。しかし、彼女は笑みを崩さずに続ける。
だから言ったでしょ? すぐに終わるから。そんなに時間はかからないって
でも……
じゃあ、こうしましょう? 一度私が消えたことを先生や皆がいる時に言ってみて。たぶん、誰かが確認に来るからその時にタイミングを見計らって私が現れてネタバラシする。これでどう?
それなら短時間であり、皆を驚かせることができるかもしれない。それなら私としても文句はない。ただ、一つ思ったのが彼女がこのドッキリを考えたのは純粋にイベントを盛り上げたいがためだけなんだろうか、ということ。ただ、直観的なことだけにあまりちゃんとした根拠はないのが事実である。
場所はどうするの?
場所はトイレ辺りにしましょうか。そこならグラウンド側からも死角になるし
まるで最初から考えていたのかのように、すらっと彼女は軽く答えた。
ちゃんと考えてあるなら別に良いけど、浪木さん……本当に隠れるだけよね?
これに深い意味はなかった。ただ単純に、彼女が隠れるだけに止まらず、何か別のことも追加して皆を驚かせるんじゃないかと思ってしまったのだ。もちろん、普段の生活を見てる限りそんなことをするような子ではないことは知っているけど、念の為だ。
当たり前でしょ? それ以外に何があるの。隠れて皆の反応をジッと見て、時間が来たら出てくるわよ
……分かったわ
私は彼女の言葉を信用し、計画の片棒を担いだ。主な流れはこうだった。まず、浪木さんがトイレに行きたいことを言う。それに乗じて私も一人では危ないということで付いて行く。浪木さんがトイレの中のどこかに隠れてそれを見届けたら、私は先生や皆に伝える。捜索しにトイレに向かい、少し探した辺りで浪木さんが出てくるという内容になっている。
キャンプ会場に戻り、浪木さんがトイレに行きたいと言うまで待つ。地べたに座り、宙に舞い上がる煙や、炎を呆然と眺めながら私は思う。
こういうの、良いなぁ……
純粋にこういうクラスの行事は嫌いじゃなかった。普段とは違うクラスメイトの顔が見られるし、今までちゃんと話せていなかった子と話せる良い機会にもなる。
普段は何も感じていなかったが、いざこういうイベントが思ってもいない方向へと人を動かすのだろう。この企画を提案してくれた南方先生に感謝しなくては。
そう思い、視線をチラッと南方先生の方へと送る。
わらわら寄ってくんなお前ら。こんなおっさんより他の男子の一人や二人口説いてきたらどうなんだ
ええ!? だってこのクラスの男子そんなにかっこいい奴なんていないし!
ばぁか、男は見た目じゃねぇよ! 中身だろ中身
だったら南方で決定でしょ! 見た目も良いし、中身もイケメン。はい、決定!
お前らな……
そんな会話をしつつ、取り皿を持ちながら南方先生は大勢の女子から強歩で逃げていた。まったくもって相変わらずの光景でクスッと笑ってしまった。
また皆と集まって、こうやって話したり食べたりしてみるのも良いかも
そういえば、今日は一人欠員が出ている。確か体調不良で休むことを先生から聞かされていた。よりによって今日体調を崩すとはつくづくツイてない。これだけ楽しく、思い思いに過ごせる時間は滅多にないというのに、それを逃してしまうのは勿体ない。
そうだ、今度もまたこのクラスで集まってキャンプをやろう。次はその彼も連れて、正真正銘の全員でご飯が食べられれば良い。一人の欠員もなく、全員で。
ごめん、ちょっとトイレに行ってくるね!
すると、合図である彼女の言葉が聞こえてきた。私は急いで立ち上がり、お尻の砂埃を払って手筈通りに言う。
待って、こんな暗闇で一人で行くのは危ないから私もついて行くわ
ありがとう國澤さん。でもちょっと恥ずかしいかな。どちらにしろここは校舎だし、危ないなんてことはよっぽどないとは思うけど
ここで彼女の言葉に違和感を感じた。いや、彼女の言葉に何かあるというわけではない。ただ、直感的にというか本能というべきかは分からないが妙なとっかかりがあった。
まるで何もない所で足をつまずいてしまうような、不思議な感覚だ。だが、こんな感覚を胸中に抱いても尚も、決定的な証拠は見つからない。そう、普段の会話にただ自分が勝手に違和感を感じているだけなのだ。
ダメよ! ついでに私も行くんだから!
もう! ただトイレに行きたいだけじゃない!
あはは、バレちゃったか!
そんなやり取りを他の子に見てもらい、私たちは自然にその場を離れる。内心少し不安だったが、数人の子達が今の様子を見て軽く笑っていたので記憶には留めてもらえたはずだ。
焚火の灯りが徐々に届かなくなっていく。たったそれだけでキャンプ会場から大体どれくらい離れているのかがなんとなく分かった。
ねぇ、國澤さん
どうしたの?
その時、急に彼女は私にあることを聞いてきた。
南方先生のこと、好き?
ッ!?
不意を突かれた。私は予期もしていない言葉に頭の中が真っ白になり、口をパクパクと開閉させていた。一応否定の言葉を述べてはいるのだけど、声が上ずって説得力がまるでない。
あ、ごめん。違うの。先生として好きかどうかを聞きたいの
…………?
いきなり何でそんなことを聞くのか少し不思議に思ったが、私はうんと頷いた。それを見て、彼女はそう、と案外素っ気ない返事をしてきた。
別に深い意味はないわよ。ただ、あの人はアレで好かれているんだなーって思っただけ
この時の浪木さんの言葉はいつもと違って冷めていた。虚ろと言うべきなのか、嫌悪していると言うべきなのか、それかまた、どちらにも当てはまらない心情を持っていたのかもしれない。
なにか先生とあったの?
並走して歩く彼女の顔を覗き込むように私は体勢を少し前かがみになった。彼女は一体何を思っているのだろうか、表情は夜闇で窺えない。少し心配だった。同じクラスメイトとして、彼女が辛い思いをするのはこっちも辛い。こんな私でもちょっとくらいは相談に乗ることができる。だから、何でもいいから自分の気持ちを話してほしかった。
何もないよ。これといってこれっぽっちも
返ってきた彼女の声はどこか空っぽだった。色で言うなら透明。印象もなく、何も感じることのない不気味さが残るような言い方だ。さらに付け加えるかのように、彼女はそのまま言う。
むしろ仲良しだよ! 学校でもよく話すのを見てるでしょ? 叩いたり殴ったり蹴ったりとか、笑いながらやってる仲だから ね!
……そう
まただ。彼女の言葉にまた何かが引っ掛かった。自然のような不自然さが私の胸を締め付けてくる。何なんだろうか、これは。苦しくて、気持ち悪くて、何かが堕ちていく感じがする。
あっ、もうそろそろだね
彼女の言葉に反応し、遠くの方へと視線を飛ばした。そこには、不気味に佇む目的地の影が、息を潜むようにあった。
いよいよだね
う、うん
楽しみね 本当に