少年

今日、ぼくは帰るべき家を無くした

母親

あんたが産まれてから、お客の付きが悪いったらありゃしない

母親

ずっと耐えてきたけどもう限界よ。
好きなとこに行くがいいわ

母親

あんたは本当にかわいげのないガキだったわ

少年

それがぼくの聞いた、母からの最後の言葉だった

少年

母はそう言って雑踏の中に消えると、そのまま二度と姿を見ることはなかった

少年

そしてぼくは天涯孤独の哀れな孤児となった

少年

不幸でも幸福でも、関係なしに腹は減る

少年

ふらふらとあてども無くさまよい、食料の匂いにつられて、立派な建物の裏口にたどり着いた

少年

そこは本来ぼくのような身分の低いものが入ることなど許されない、上流階級の社交場だった

商人

その時のあの人の顔と言ったら…

軍人

それは一度拝見したかったものだ

豪農

はっはっは

神官

ふふふ
そんなに笑ってはいけませんよ

少年

なにか食べ物を掠め取ろうと、
物陰に身を潜ませる

少年

そこでは4人のお偉いさんが、
くだらない自慢話をしていた

商人

我が家の自慢はなんといってもその広さですのよ

商人

屋敷には、5つの玄関、40本の煙突、300室の部屋に、2000枚の扉・・・

商人

離れまで用があるときは、とても時間がかかるので、馬を使っていますのよ

商人

あまりの広さに、初めて訪問した来客は、地図がなければ帰れないほどよ

少年

ぼくの家の狭さと言ったら、彼らの飼ってる犬の小屋にも劣るものだった

少年

ぼくと母の他に間借りする家族が30人。
全員は入れないので、寝るときも食べる時も半分づつが交代で入っていた

少年

当然手足を伸ばして寝ることなど出来ない。
ぼくの背が、あまり伸びていないのも、家の狭さが原因だったのかもしれない

軍人

我が家の自慢は侵入者を撃退するその強さだ

軍人

武器庫には切れ味鋭い剣と、数えきれないほどの弓矢、頑丈な鎧

軍人

詰め所に控えるのは、訓練の行き届いた500人の屈強な兵士たち

軍人

敵国だろうが猛獣だろうが怪物だろうが、どんな恐ろしい敵に攻撃されても、たちまち追い払ってしまうだろう

少年

ぼくの家のまわりは敵だらけだった

少年

母の商売相手のガラの悪い客、借金取り、酔っぱらい、麻薬の売人

少年

殴られるのは我慢できるが、刃物はそういうわけにはいかない

少年

あいつらが、その武器庫にあるような獲物を持っていれば、今頃ぼくの手足の一本や二本は無くなっていただろう

豪農

おれの家には水の尽きることのない井戸があるぜ

豪農

あんたたちが今食べているパンも、うちの畑の麦から採れたんだ

豪農

他の農家の連中が苦しむ日照りの時も、この井戸のおかげで、安定して収穫することが出来る

豪農

ここまで贅沢に水を使えるのは俺たちの一族くらいのものだぜ

少年

ぼくの家で水を飲もうと思ったら、雨の日を待たなければならなかった

少年

川の水は、町の住民が洗剤やら汚水やらを流すので、魚は全部死んでしまうほど汚染されていた

少年

そんな水でも飲んでみるのは一興かもしれない。
この世とおさらばしてしまえば、もう喉が乾いた、とは思わないで済むだろう

神官

我が教会の自慢は、その神々しさですね

神官

十字架や祭壇やフレスコ画、どれも聖別されたもので、ここに居れば神の存在をすぐそばに感じることが出来ます

神官

その中でも、ひときわ素晴らしいのは天井のステンドグラスです

神官

光を浴びてきらきらと輝く美しさは、思わず言葉を失うほどです

神官

神はどんな所にいても私達を見守っていて下さいます。
さあ、祈りましょう

少年

ぼくの家は神すらも見捨てた地域だった

少年

そこはゴミだらけの不潔な場所だった。
ねずみや得体のしれない虫たちがうじゃうじゃ居て、そいつらが人間に病を伝染させるのだ

少年

病は老若男女の区別なく、気まぐれに次の獲物を選んだ。
犠牲者は泣きながら神の助けを求めたが、だれ一人救われること無く、ばたばたと死んでいった

少年

あっ…

少年は話を聞きながら、隙を見てポケットに食料をねじこんでいましたが、うっかり食器を落としてしまいました

神官

きゃあああ!

商人

貧民街の連中よ!

豪農

薄汚いドブネズミめ!

軍人

ここの警備体制はどうなってるんだ!

少年

混乱した彼らは、テーブルをひっくり返し、上に乗っていた豪華な料理は床に散乱した

少年

ぼくは犬のように床に這いつくばると、散らばった食べ物を拾い集めた

少年

そして両手に持てるだけ、ポケットに入るだけ、胃袋に入るだけの食料を詰め込んで、全速力で逃げ出した

少年

飢えは満たされたものの、気分は最悪だった

少年

ゴミを見るような視線、哀れみに満ちた表情、罵倒する怒声

少年

そういったものに耐えながら、一生こそ泥をして暮らすのはまっぴらごめんだ

少年

この町を出よう

少年

そして連中の持っている、どんな家よりも素晴らしい、自分だけの住処を見つけるんだ

少年

食べ物の残りをバッグに詰めると、故郷の町を後にしてひたすら歩き続けた

少年

3日間歩き続けたが、景色はなかなか変わらない

少年

町の外にはどこまでもどこまでも道が続いていた

少年

この広大な大地のまえでは、どんな豪邸でも、ちっぽけな豆粒程度にしか思えないだろう

少年

1週間がすぎた

少年

歩き疲れて喉が渇いたぼくは、脇道にきれいな泉を見付けた

少年

その湧き水は、どんな井戸水よりも新鮮なおいしいもので、喉が渇ききった僕の体の隅々まで、一口ごとに染み渡っていった

少年

両手ですくって好きなだけ飲むと、ぼくは旅を続けた

少年

そして僕の進む道の向こうに、クマが行く手を塞いでいた

クマ

・・・

少年

あの小山のように大きな体を相手にしては、たとえ剣を持った軍人でもかなわないだろう

クマ

ガアアアア!

少年

ぼくの武器は素早さだけだ。
持っていた荷物を放り出すと、一目散に逃げ出した

少年

クマからは逃げおおせたものの、荷物は無くし、道からは遠く外れ、日は落ちてしまった

少年

この暗さでは、一歩手前に崖があってもわからないだろう。
これ以上やみくもに歩くのは危険だ

少年はこれ以上歩く事を諦めて、腕を枕にごろりと寝転んでしまいました

少年

ずいぶん遠くまで来てしまった。
母は今頃何をしているのだろう。
僕が居なくてせいせいしているのだろうか

少年

どこまでも広い土地、敵を追い払う武器や、尽きることのない水

少年

どれも町の外に出れば、簡単に手に入れることの出来るものだった

少年

あの町にしがみつき、外に出ることなど出来ない彼らは、それに一生気づくことはないのだろう

少年

そういえば、あの神官の話していた、ステンドグラスだけは、まだ見つけることが出来ないな

少年は何気なく
空を見上げました

そしてすこし驚いたあと

にっこりと笑いました

少年

ああ、これで全部揃ったぞ

少年

ぼくの新しい家はここにあったんだ

夜空には
幾千万の星々の光が
どんなステンドグラスより
美しく輝いて
少年の顔を
やさしく照らしていました

素敵な我が屋

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