これは一人の書生の物語。

彼は誰にも頼られる
頼りになる青年だ。







会場は静寂に包まれて
大衆の目が一点に向けられると共に
開演のブザーは鳴り響いた。





















我が家は大家族だ。

姉に兄、弟も妹も、父も母もいる。



だが周囲の人間は口を揃えて

「かわいそうに」

「苦労しているのね」

「だから、しっかりしてるのね」

などと言うのだ。


父は国の内政に関わる仕事をしており、母は一つの料亭を営んでいる。大家族いえど、お金に困ったことなどは一度もなかった。


問題があると言えば、父が人並み以上に怒りっぽく、家族に対しては口よりも手が出るといったところだろうか?


母は怯え、そのストレスから時折ヒステリックになってしまうところがあった。

姉や兄、妹も弟も、父のこういったとこに手を焼いており、ときには阿鼻叫喚といった状態になることも少なくはない。



今日もまた…


父は一つの小さなことに対して、怒鳴り散らしていた。

おい、お前!

いい加減に、その癖直せって言ってんだろうが!!!!

ごめん…なさい。

うるせぇ!!!!

っ………………。

謝ればいいって問題じゃねぇ!!!



今父が怒鳴っていることは妹の癖についてだ。

父は自尊心が強く、その自尊心は自分を高めるものではなく貶めるものである。

この家はこうでなくはいけない。
この家はこうであってこそ。
俺はこうしたい。
俺はこの家で、一番偉いんだ。

そんな傲慢さを持っている父は、妹の箸の持ち方の癖で怒鳴っている。

おい、お前も庇ってんじゃねぇぞ!


父は、まだ10にも満たない妹だろうと容赦はしない。殴りたいと思えば殴るし、蹴ろうと思えば蹴るのだ。

そんな父の暴行を代わりに受けるのは、いつも僕だった。

父さん…
頼む、やめてやってくれ。



今まで一度も、頼んだところでやめてくれたことはない。むしろ悪化するときだってある。

けれど、言わずにはいられない。

そんな一心の気持ちで、いつも言うのだ。

あぁ!?

じゃ、てめぇがなんとかしやがれ!

おにいちゃん…おに…いちゃん…。


卓袱台の上にあった食器が、壁に向かって投げられ妹が泣きじゃくる。それは父に怯えるようで、畏怖に染まった表情で、兄に縋る思いでの目だ。

……………。


妹を庇うように抱きしめたときだった。
襖が勢いよく開いたと思えば、そこには母が立っていた。

……………………。

いやぁああ!!!

か、母さん…!



母はある境に、もめ事や怒鳴り…穏やかではないことが嫌いになっていた。

皿が割れていたり、卓袱台がひっくり返っていたり、それは様々ではあるが、主に連想させるだけで悲鳴を上げてしまう。

うるせぇぇぇ!!!!


父が母へ大きく手を振り上げる。
そのときのことだった。


ぐいっ



妹を抱きしめていたはずの身が母によって引きはがされ、気づけば母の目の前に自分は向かい合わせで立っている。

いや!いやっ!いやあ!!!

いや!!!

え…………?



一瞬のことで何が起きたのか理解できずに、ただただ立っていた。

だが、それも束の間の話。

ぐぁっ………………。



背中への衝撃とあまりの痛みに、膝を折りその場でうめき声が漏れ、その事実にああ成程…と悲しくも思い浮かぶことがあった。

母が僕を引き寄せて、父の暴行から逃れたのだと。

おにいちゃん!?

駆けよる妹の顔は涙で濡れており、心配そうに背に触れて来る。

思えば、こういうことは頻繁にあった話で、今回が初めてというわけでもない。

だから何庇ってんだ!!!!

だが、父は頭に血が上っているのか、さも僕が進んで殴られたかのように怒鳴り散らす。

もういい。それ片付けとけよ。


少しは気が済んだのか、先ほどよりは小さい声で割れた皿を顎で指して去って行った。

その場に残された母はパタリと座り込む。

その膝と手は震えており、目の焦点すらも合っていなかった。

なんで私が…私が…。

私が片付けなきゃいけないの!!!

ふふ…ふふふふ…、ねぇ?片付けといてくれない?あなたは頼りになるからやってくれるわね?そうなのよね?知ってるわ…ふふふ。

日頃からこういった母を見ていると、ゾッとするものがあるのだが、平静で居られなくなってしまうと拒否権なんてものは存在しなかった。

母の頼みを断るというのは、母を壊すことに等しい。
黙ってうなずくことにした。

ふふ…いい子。頼りになる子。全部全部やってちょうだい。それがあなたの為、きっと将来の為にもなると思うわ。母さん嬉しい。

さてと、お食事の準備をしなくちゃ。


相も変わらず訳のわからないことを言い、母は襖をあけて出ていく。
おそらくは母が経営している料亭の食事なのだろう。

おにいちゃん…。


ひとまずは嵐が去った今も、未だに涙が乾かぬ妹が心配げに声を漏らす。

おにいちゃん…たすけて。


軽く体を起こした僕に、妹は縋るように抱き付く。嵐が去った後はいつも妹がこうして甘えるのが、いつもの流れで、こうした後は必ずこう言うんだ。

おにいちゃん、なんとかして。

……あぁ、頑張るよ。



こうして返答をするのも、いつものことだった。























1話 書生と家族

1話:書生と家族

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