私がこの村の教会に赴任して、一年になる。
 広がる田園地帯に、点在する古い家屋。学校はバスで隣町まで行かないといけない。
 村の風景も住民も、時代に取り残された古き良き日本で、正直……この村の中央に建つステンドグラスの教会に違和感を覚える。
 それでも、ここの村人のほとんどは信者だというから不思議だ。

神父様、そんなにじっと見られていると、注射しにくいですよ

えっ?


 突然の男の声に、私は現実に引き戻される。

あ、ああ、申し訳ない


 そうだ、私はインフルエンザの予防接種を受けに、村で唯一の診療所に来ていたんだ。
 正面には、いつもと同じ笑顔の神山先生が座っている。歳は私と同じ三十歳。彼はこの村の出身で、何代も続いている医者の一族だ。
 診療所の裏には立派な屋敷がある。
 同い年という事と、私の前任の神父とも懇意にしていた関係で、何かと相談に乗ってくれる。
 彼は流れるような動作で、私の腕に針を刺す。痛みは感じない。
 それより、私の腕に触れている彼の指の冷たさとザラツキに、嫌な感触を覚える。何かに似た不快感……何だったかな?

はい、終りました


 彼は注射を足元のゴミ箱に捨てながら、小さく笑う。

神父様はそんなに注射が不安なんですか? 私が注射を打っている間、ずっと見ていらしたでしょう?

いえ、そういうわけではないんですが……何となく、ですかね


 私は曖昧に答え、愛想笑いを浮かべる。
 ……変に思われただろうか?
 神山先生の笑顔は曇る事は無く、感情が読み取れない。

子供の頃から、私は注射の時は見ないと気が済まない性質だったんです。怖いもの見たさですね。神山先生はそういった事ないですか?

怖いもの見たさですか? はは、僕にはちょっとわからないな

 神山先生の朗らかな笑い声が静かな診療所に響く。

 私は一緒に笑いながら、内心がっかりする。この発言では、彼が私の趣味と合う事はなさそうだ。
 実は私は大のホラー・オカルトマニアで、隣町で密かに借りているトランクルームには、数百本のホラービデオ・本・降霊術グッズある。
 幼い頃から『未知の恐怖』というものに興味があった。『未知の恐怖』にあってみたいと、夜の墓地や心霊スポットにも行ったし、コックリさんや一人かくれんぼまでした。しかし、一度も『未知の恐怖』にあえなかった。
 そして、とうとう神父にまでなってしまった。

神父様は怖いものがお好きなんですか?

え……まあ……神に仕える身で不謹慎だと思いますが……

そんなことないですよ。前任の神父様もお好きでしたよ。怖いもの。私にとっては、とても良い話相手だったので、亡くなられたのは残念です


 彼の意外な言葉に驚き、私は思わず前のめりになって訊いてしまう。

そうだったんですかっ? 私の情報には全く……。知りませんでした

彼もホラーやオカルトに非常に興味を持っていましたよ。神父になったのも、未知のモノにあってみたいという好奇心からだそうです

わ、私もそうです! 一緒です!

……ええ、知っています。初めて会った時に、シンパシィを感じましたから

 なんだ、必死に隠す必要などなかったのだ。自分が過度に心配しているだけで、ホラーマニアな神父など、今の時代では珍しくないかもしれない。

 受け入れられた安堵感から声が自然に弾む。 

そうですか。いや~、意外でした。前任の方については、亡くなられたのも急死としか書いていませんでしたし

はは、そうですねぇ……あまり大きな声で言えないような死に方でしたから。仕方ない事とはいえね。多少、心が痛みましたよ

え? 仕方ない?


 神山先生は変わらない朗らかな笑い声を上げる。

そうです。仕方ない事だったんです。あの方、怖いものが好きだと言って、自分から何年も掛けて調べ、づかづかと無遠慮に入りこんできた癖に……。いざ、私が未知の恐怖を見せようとしたら、逃げようとしたんですよ。酷い神父様でしょう?

……何を言っているんだ?


 硬直していた私の視界が暗くなる。
 神山先生がいつの間にか椅子から立ち上がっていた。私に覆い被さる様な大きさだ。

神山先生はこんなに背が高かったか?

あなたは逃げないですよね? だって、怖いものが好きなんでしょ?


 神山先生の笑顔のままの伸びて……へび? 白い大蛇?

し・ん・ぷ・さ・ま……


 視界を覆う赤い色。
 蛇の赤い瞳と赤い口。

 
 私の顔に触れる小さな蛇の様な舌を見ながら、ぼんやりと思う。

『未知の恐怖』とは、未だ知らない恐怖だからこそ、何も知らないからこそ惹かれるのだ。一度出会ってしまえば……未知ではない


 それは……ただの恐怖だ。

……との出会い

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