美星

だから嫌なんだ。合唱コンクールなんてのは

別に歌うのが下手とかそういう訳じゃない。自分ではそれなりに上手い方だと思っている。
人前で歌うのが恥ずかしいとかそういう訳でもない。むしろ皆に聴いて貰えた方が嬉しいくらいだ。
私が気に入らないのはもっとこう単純な、つまりはクラスメイトのやる気だった。歌に全てを懸けろなんて事は言わない。楽しんでくれるだけでも十分だ。
だけど、皆は何と言うか、気だるそうにしていた。無理矢理歌わされていますみたいなオーラがあった。

その事が少し頭にきて小言を言った。それが少し余計だったかもしれない。

じゃあやる気のある青山さんが頑張ればいーじゃん

クラスで幅を利かせている女の子にそんなことを言われて、教室を飛び出して来たところだ。

美星

あー。明日学校来たくないなあ

そう言えば去年中学でもこんな事を言っていた。今日みたいに合唱コン本番の前日に飛び出して、それでも当日学校に行ったら、私達のクラスの合唱曲が知らない歌に変わっていて。その後私だけ除け者にして皆で盛り上がっていたっけ。

美星

でも朝はいつも妹と一緒に家を出てるからなー。休めないし。やるなら中学に妹を送った後で漫画喫茶にでも行けば……

そんな事を考えていた時のことだ。

夜空

おーい。青山ー!

後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると同じクラスの……男子が追いかけて来た。

夜空

良かった。間に合った

美星

……何か用?

私がそう聞くと、その男子は漫画の中でしか見ない様な笑顔で言った。

夜空

青山。お前、明日絶対学校来いよな

美星

わざわざ追いかけて来てそんな事? いちいちあんたに言われなくても休むつもりなんてないからっ!

しまった。つい怒鳴ってしまった。でもまあこいつに何と言おうと守る必要なんてないし。いいか。

夜空

それなら良かった。なんか青山の顔見てたら心配になって。もしかして明日来ないんじゃないかってな

そんな事を言っていた男子を無視して私は校門を出た。

夜空

約束破ったらケーキ奢ってもらうからなー!

帰り際に自分勝手な声が聞こえた時に、思わず振り返ったのは失敗だったな。

* * * * *

美星

……来てしまった

合唱コン当日の朝、いつもの様に妹を中学まで送った後これまたいつもの様に普通に学校に登校した。不覚にも学校に着いて体育館の飾り付けを見るまで今日が合唱コンだという事を忘れてしまっていた。

美星

……まあこれが昨日の男子のお陰とは思わないけど

夜空

おっ! 来た来た青山。こっちこっち!!

ショックでその場に立ち尽くしていると昨日の男子が軽々しく話し掛けて来た。私はそれを無視して来た道を引き返す。

ちょっ、待てよ青山!

それでもその男子は私の腕を掴んで私を引き止めた。一体どうしてそこまで私に拘るのだろう。たかが私一人いなくても何も困らないだろうに。

美星

……いや。それどころか皆喜ぶかもしれないな

美星

で、何? 私を引き止めてどうするの?

そんな事を聞いてみたけど、こいつが何て言おうと私は勝手に帰るつもりだった。いや、これは本当だ。
こいつがいきなり私をお姫様抱っこなんかして走り出さなければ。

美星

ちょ、馬鹿! あんた、何やって……

夜空

夜空。あんたじゃなくて、吹雪夜空。ちゃんと覚えてくれよ。青山、美星!


それ以外にもこいつは何か色々喋ってたけど、パニック状態の私の耳に入って来たのは、何故だか二つの名前だけだった。

美星

おい、馬鹿、離せ。こら! あんた……夜空!!

私の言葉なんかちっとも聞きやしなかったのに、名前を呼ぶとこいつは立ち止まってゆっくりと私を地面へ下ろしてくれた。
そしてそのまま静かに私を見つめて。その目はどうしてと語っていた。

美星

私は、行かない。もう、歌わない

その目を見ると、胸の中に何だか分からない、今まで感じた事のないどうしようもない気持ちが溢れてくるから、私は言葉で暴れた。少しでも楽になれたらと訳も分からずもがいた。

美星

嫌なの! やる気のないあの雰囲気も。人を刺し殺すようなあの視線も。私に向けられるあの意味の分からない笑顔も。全部、嫌なの! だから。私は歌わない

なのに。この男子は私の顔に手を伸ばして、しっかりと私の目を見つめて言った。

夜空

逃げるなよ! そうやって嫌な事から逃げ出して、自分を追い詰めるなよ! そんなのは我慢でも何でもない。ただ逃げてるだけだ!

美星

あんたに……あんたに何が分かるのよ!? この気持ちが、苦しみが、どうしようもないくらいに私を追い詰めるの。逃げて何が悪いの!? 他に方法があるなら教えてよ。私も、皆も苦しくならない。そんな方法があるなら私に教えてよ!

そこまで言うと、この男子は私の頭にそっと手を置いて、ゆっくりと撫でた。そして言った。

夜空

なら立ち向かおう。逃げずに向かっていこう。そうすればきっと大丈夫。何とかなる。それに俺も一緒だ。俺が。青山が逃げない限りは、俺が隣で、青山の心の嫌な気持ちを最高の思い出で上書きするよ

そこで一拍置いてこいつは言った。

だから、お願いがある

* * * * *

美星

私は何をしているんだろう

放送部員

続いては一年五組の発表です

結局あの後あの男子にお願い事をされてここまで来たっていうのに。

放送部員

一年五組の合唱曲は『ヒカリノキセキ』です!
男女総勢四十名でのアンサンブルを奏でます

ここには私一人しかいなくて。やっぱり周りには誰もいなくて。あの男子でさえも今は私の隣にいない。
だけど。

放送部員

それでは一年五組の皆さん、お願いします!

司会である放送部の合図とともに、辺りは静寂に包まれる。ピアノが鳴り、幕が上がる。
それでも、私の周りには誰もいないけど……

その向こうに三十九人皆の姿が見えた。

あいつの、吹雪夜空のお願い。それは——
私が指揮者をする事。

本番直前で指揮者をするはずだった人が指を怪我して、大した事はなかったが腕を振るのは止めておいた方がいいとの事だった。
不思議な事に、指揮者の代役は三十九人皆が私を指名したらしい。

だから。

今、私の周りには誰もいないけど、その向こうには皆がいる。夜空がいる。そしてきっと。私もいていいんだと思う。
その光景を目に焼き付けながら、クラスメイト皆と一丸になって、私は激しく腕を振った。

* * * * *

放送部員

以上。一年五組でした。ありがとうございました

合唱が終わり、幕は下がった。その後指揮者である私は少し会場に挨拶の言葉を述べて指揮台を降りる。
たった五分と少しだったけど、短い様でとても長く感じた。

夜空

お疲れ様

指揮台を降りた少し先で、吹雪夜空が待ってくれていた。

夜空

どうだった?

そう言って向けられた笑顔は、名前を知らないあの頃のものとは何だか違って見えた。

上書きは、出来たみたい?

心の中にあった、モヤモヤも、痛みも、苦しみも、悲しみも、孤独も。今は全部全部消えていた。新しい気持ちがそれ以上に膨らんで、私の心を満たしていた。これで私も、嫌な思い出とはお別れだ。

美星

うん!

だから、私は飛び切りの笑顔で答えた。

美星

私の心は夜空で一杯だよ

なんて言葉は、恥ずかし過ぎるから絶対に言ってあげないけど。

ヒカリノキセキ

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