『心頭滅却すれば火もまた涼し』なんて言葉がある。
意味はいかなる苦痛も心の持ち方次第で苦痛とは感じられなくなること。
時に重すぎた苦痛は心を飲み込み、燃やして消し去ってしまう。
一度燃えた物は二度と戻らない。
もう5年も経つというのに、彼の心はまだ粉々の灰のままだ。

5年前。
小学5年生だった私、一ノ瀬灯はクラスの女子から少し浮いていた。
少し、というのは困らないレベルの友好関係はあったけれど、一緒に過ごす程の親友はいなかった。
簡単に言うと

一ノ瀬灯には深く関わるな

という空気があったのだ。
そんな空気などお構いなしに私にずけずけと構ってくるのが1人だけいた。
白沢明。
隣の家に住む、いわゆる幼馴染という奴だった。

あかり!放課後地区センター行こうぜ!


1人で本を読んでいる私にいつも満面の笑みで話しかけてきた。
明るくてリーダー格の明は人気者で、いつもきらきらと輝いて見えた。
私はそんな彼が好きだった。
あの日も、明に誘われて地区センターに行った。向かい合ってオセロをしていた。
結果は私の圧勝。
負けた明は机に身を投げ出した。

また負けたー。卓球とバトミントンなら絶対負けねーのに!


ふくれっ面で手足をばたつかせる明。

明はスポーツできるもんね。私はあんまりできないから、卓球とかは負けちゃうよ。

でもオセロでも勝ちてー!

明にオセロでも負けたら、私なんにも勝てなくなっちゃうよ。

えー、じゃあなんかコツ教えてよ一ノ瀬せんせー。

教わるなら火憐お姉ちゃんの方がうまいよ?


火憐お姉ちゃんは、私の3つ上のお姉ちゃんだった。明も私もお姉ちゃんのことが大好きだった。

え、火憐ねーちゃんオセロ強いの?

強いよー。私いっつも負けちゃうもん。

じゃあ、こっそり教わってあかりにリベンジしてやろっかなあ。

もうこっそりじゃないじゃん


二人であはは、と笑いあった。
その時、外からサイレンが聞こえた。
明は車好きで、その時も窓を向きながら

消防車だ!おれ、サイレンだけでなんの車かわかるようになったんだ!


ときらきらした笑顔で言っていた。

消防車ってことはどこかで火事が起きたのかなあ?

どうなんだろ。まあ学校の方じゃなかったし、おれたちには関係ないんじゃない?火事だったら消防士さんがなんとかしてくれてるって!

あ、明って消防士さんになりたいんだっけ?

おう!だって消防士って1番ヒーローみたいな職業じゃん?命の危機にあった人を助け出す!みたいな。


へへっと笑う明に、私はあの時なんと返そうとしたのかはもう忘れてしまった。

田島くん

あきちゃん、あかり、やっと見つけた!


同じクラスの田島くんが勢いよく走ってきた。

田島くん

こんなとこでオセロしてる場合じゃねーよ!二人の家が…家が燃えてるんだ!


この時の田島くんの顔と、明の困惑の声はまだはっきりと頭に残っている。
急いで家に戻ってきたが、もうすでに遅かった。
夕暮れの空をよく、燃えているような夕日、という。
まるで空と炎が同化しているかのようにオレンジの光に照らされて、私と明は茫然と燃えていく我が家を見ていた。
仲良く並んだ2つの家は火の海と化していた。

母さん、母さんはどこ?消防士さん、母さんは?白沢日和は?!け


私達の周りは大勢の野次馬と消火に動く消防士に囲まれていた。そこに明のお母さんも、私のお母さんも、家にいたはずの火憐お姉ちゃんの姿もなかった。

君は、明くんだね?そこの女の子は、灯ちゃん?

そう!消防士さん、お母さんは?火憐ねーちゃんは?灯の母さんは?


明は必死だった。
私は突然のことに何が起こっているのかわからず、明と炎を見つめていることしかできなかった。
消防士さんは、ため息をついて私たちに告げた。

ごめんね、三人ともまだ…中にいるはずなんだ。


この、火の海の中に、まだ。
それがどういう意味かなんて、小学5年の頭でも理解できた。

母さん!母さん!まだ中にいるなら助けなきゃ!


明は炎の中に突っ込もうとした。

明くん、危ない!


すかさず消防士さんに抱え上げられた明は、叫びながら泣いていた。
潤んで輝く瞳に炎が写っていた。
その炎は明の心を燃やし、その灰を涙が流した。

灯と炎.1 アカリとアキラ

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