深夜。こっそり家を抜け出そうとする男子高校生。その後ろをついてくる幼い少年は泣いていた。

こら、ついてきちゃダメだって。いい子だから、ベッドに戻ってオヤスミだよ

は……はやくかえってくる……?

 男子高校生は少年の頭を撫でる。

大丈夫。明日の朝までには帰って来るからな

 見上げた少年の目に、人差し指を当てた微笑んだ唇が写った。

お父さんとお母さんには内緒だぞ

……うん。待ってるから

 深夜の鈴丘高校の校舎。懐中電灯の明かりが、無人の教室を照らす。

どこの学校にも七不思議がある

 踵を潰した上履きの足音が、廊下に響きわたる。

でも、うちの学校は六不思議しかない。最後の不思議は六不思議を辿った後に起きると言われている

 一輝は緊張した面持ちで、音楽室の前で立ち止まった。耳を澄ますと、中から弱々しいピアノの音が聞こえてくる。

五番目の不思議は誰もいない音楽室から聞こえるピアノ

 一輝は唾を呑みこみ、思い切ってドアを開けた。


 そこには……ピアノをいじっている同い年くらいの少年がいた。

……って、思いっきり人がいるし! 弾いてるし!

 俯いてピアノをいじる少年に、一輝は遠慮がちに話しかける。

な、なあ、こんな時間にピアノはやばいんじゃ……

 一輝に気づかず、ピアノを弾き続ける少年。

……無視かよ

 顔を引き攣らせる一輝の背後から、パタパタっと足音が近づいてきた。

 振り返る一輝。少年もピアノをいじるのを止め、顔を上げる。
 足音の主の懐中電灯の明かりが一輝を照らし出し、眩しさにたじろいだ。

おぅ……いたのか

 足音の主は、やはり一輝と同い年くらいの少年だった。懐中電灯を照らしながら、驚いた顔で一輝を見ていた。

啓! 調べ終わったんだ?

 ピアノの少年は懐中電灯の少年に、啓と呼び掛ける。

調べるって、お前らも七不思議を調べに来たのか?

 一輝の問い掛けに、啓と呼ばれた少年は微笑み頷いた。

 静まり返った廊下を三人で歩く。
 啓と一輝が並んで歩き、啓の少し斜め後ろをピアノの少年が歩いている。ピアノの少年は俯いている。

俺の名前は水元啓。コイツは佐伯、同級生なんです。なっ? 佐伯

 突然話を振られ、佐伯は慌てて頷く。

う、うん

俺は橘一輝。この高校の一年で新聞部。七不思議を調べに来たんだが、まさかお仲間に遭遇するとは思ってなかったよ

へぇ~、新聞部の橘一輝さんですか

 佐伯が一輝の方を見る。一輝は一瞬目が合ったと思い、

……

おっ?

 一輝はにっこり微笑むが、佐伯は眉をひそめてまた俯いてしまう。

な~んか暗い奴だな

 一輝は気まずさを感じ、頭を掻いた。

 屋上へ上がる階段の下まで、三人は来ていた。
 階段の前には、机がバリケードのように重ねられている。三人でバリケードの向こうを見上げる。

六番目の不思議・屋上のユウコさん……は、難しそうだな

 一輝は溜息を吐き、諦めて離れようとするが、佐伯が机を崩し始める。

お、おいおい! まさか退かす気か?

 佐伯は一輝の方を見ずに、黙々と机を退かし続ける。

俺たちは机を退かすんで、一輝さんは見張っててもらっていいですか?

お、おう


 一輝は廊下の左右を交互に見て、警戒していた。
 後ろでは佐伯と啓が慎重に机を退かしている。

あっ!

 右奥の階段から懐中電灯の明かりが上って来るのが見える。
 一輝は慌てて啓たちに言う。

隠れろっ! 誰か来るぞっ!

 啓は作業を続ける佐伯の腕を掴み、強引に机の下に隠れさせる。しかし、一輝は背後から懐中電灯で照らされてしまう。

やべっ! 見つかった!

 一輝は咄嗟に手で顔を隠し、覚悟を決めて立ち尽くすが……。
 明りは再び階段を下りていく。

あれ? 気付かなかったのか?

戻ってこないうちに、早く上がりましょう

 一輝が振り向くと、机のバリケードの一部を壊し終っていた。
  
 三人は啓の懐中電灯の光だけを頼りに上っていく。
 一輝は手すりに厚く積もった埃を見て、嫌な顔をする。

うっわ、いつから掃除してないんだよ

 先頭を歩く啓が振り向きもせずに言う。

……たぶん……十年前から

……

 俯いていた佐伯が啓を見る。

ええっ? 十年も前からかよっ!

 一輝は佐伯の方を見て言う。

お前、知ってた?

……

 佐伯は答えず、再び俯いた。

……また無視かよ

 啓が振り返り、取り繕った笑顔で一輝に言う。

すみません。コイツ、怖がりだから余裕が無いんですよ

 佐伯は啓を睨みつけるが、一輝は納得したように何度も頷く。

ああ、なるほどな。俺の弟もそうだから、よくわかる。まあ、弟はまだ六歳だから、怖がっても仕方ないんだけどな

そうですか……

 啓は少し悲しげに微笑み、俯いている佐伯を見る。


 屋上の扉の前、啓が持っていたトンカチで扉の鍵を壊す。後ろでそれを見ていた一輝は感心する。

用意がいいなぁ

 一輝は首をひねり、

まさか机でバリケードをしてたり、鍵が掛っているって思わなかったもんなぁ。いつからこんな厳しくなってたんだ?

 啓が扉をあけると、強い風と雨が三人を襲う。

うわっ、来た時はこんなに荒れてなかったのに!

啓! これじゃあ、前が見えない!

 一輝は風雨で前がよく見えない啓たちに言う。

じゃあ! 俺がユウコさんを呼ぶから、お前らはちゃんと見といてくれよ!

一輝さん! ちょっと待っ……!

 一輝は啓の言葉を聞かず、大股で歩き始める。

いち……にい……さん……

 屋上の端まで数え、

じゅうに……じゅうさん!

 大きく息を吸い込む。

 背筋が寒くなり振り返る。
 何故か佐伯と啓がもめていた。

何もめてんだ? あいつら

 一輝は不思議に思ったが、とりあえず、用事を済ませる事にする。
 前を向き叫ぶ。

ユウコさん! ユウコさん! つぎましょうか?

 その時、佐伯は啓の腕を振り払い、一輝に向かって走り出した。

 一輝は再び背筋が寒くなり、勢いよく振り返る。

!!

 長い髪の女生徒が見えた気がして、後ろにのけぞった瞬間、女生徒は佐伯に代わる。
 佐伯が一輝に抱きつこうとする。しかし、すり抜けて、勢いのまま屋上から落ちそうになる。

わあっ!

 一輝は自分の体をすり抜ける佐伯を抱きとめようとするが、すり抜けてしまう。

なんでだよっ!

 佐伯の腰を追いついた啓が捕まえた。

あぶねぇ! お前は見えも触れもしねえって言ったじゃねえかよっ!

 佐伯は啓に腰を掴まれたまま、一輝の眼の前で泣きながら叫ぶ。

かずにぃ! かずにぃ! 終わりにしよう! 帰ってきて!

あっ……

 一輝の脳裏に光と共に、全てが浮かぶ。


 深夜の屋上。振り向いた瞬間、髪の長い女生徒に屋上から突き落とされる。空に体を投げ出されながら、浮かんだのは幼い弟の泣き顔。

……優輝!

ああ、そっか……俺、死んだんだ

俺……ユウコさんに殺されたのか

はい……。おそらくですが、ユウコさんにつぎましょうか? と訊くのは、この学校の七不思議の最後を継ぐって意味だったんだと思います。鬼ごっこみたいなもんです。だから、一輝さんは新しい七番目の不思議として、ずっと学校を彷徨っていた

……俺はずっとこのままなのか?

 一輝の声が震える。啓は首を横に振る。

いえ、もう自分が死んだ事も思い出しましたから、大丈夫だと思います

 立ち尽くす一輝の体が光る。

かずにぃ……?

 一輝はまだ泣いている佐伯の顔を見て、幼い弟の優輝の泣き顔が重なる。

かずにぃ?

ゆう……き……なのか? でも、佐伯って?

そうだよ。かずにぃ。優輝だよ。かずにぃが死んで、お母さんは再婚したから……

 一輝は優輝の頭を撫でようとするが、すりぬけてしまう。
 一輝は悲しそうに自分の透けていく手を見て、

ごめんな、優輝。帰るって約束したのに帰られなくて……

 優輝が首を横に振り、泣きながら一輝に言う。

いいよ。僕こそ迎えに行くのが遅くなってごめん。おかえりなさい

優輝……ただいま

 一輝は優輝に微笑み、光に溶けて消えていった。

 いつの間にか雨は上がっていた。優輝はまだ座り込み泣いている。啓は空を見上げ呟く。

……佐伯は霊の声や姿がわからないって言ってたけど

そうだよ。だから、見える啓に頼んだんだよ。
 本当にずっと見えも聞こえもしなくて、啓が一人芝居してるんじゃないかって、ちょっと疑ったからね

それはひどいなぁ……

 啓は優輝に笑顔で言う。

でも、最後はちゃんと見えて聞こえてたじゃん

 優輝は訝しげな顔をしたが、すぐにハッとする。

あっ!

 優輝の脳裏に微笑む一輝が浮かんだ。

ただいま

 啓は夜が明け始めた空を見上げ呟いた。

これで……『彷徨える新聞部員』って、七不思議は消えたってことか……。もう七不思議が揃うこともないな

      

欠けた七不思議

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