待っていたのは光を抱いた輝くようにうつくしい、とても荊だらけの人だった。

 城に着いて、ノヂシャが感じたこと。

 マーシュは実は凄いのかもしれない、と言うこと。

 まず門番兵が頭を下げた。尊敬の眼差しを注いで。それから、中に入って道行く使用人たちが皆、マーシュを労う……謙譲語で。
 そして一番の驚きは。

どうしたんですか? ノヂシャ様

 マーシュが平然としていることだ。ノヂシャは

いやぁ……

と歯切れ悪く返すしか無かった。マーシュより明らかに年を上な人間さえ、マーシュへ慇懃な挨拶をするのだ。これに何一つ動揺を見せず堂々と対応する。マーシュの弱気は丁寧な物腰に変わったみたいに見えた。見た目十と三つ程度と推測したマーシュの年齢も、いっそ引き上げたい程だ。十歳くらい。ノヂシャと一つ違いになりそうだが、ノヂシャよりしっかりしていた。

 ああ、でも。ノヂシャも父親の下に付いた相手にはこうかもしれない。記憶は遡っても出て来ないが。細やかな記憶だからなのか、実は無いのか……いや、これは無い。
 気を取り直して、空を仰いだ。ごつごつと威圧感を放つ城は、見た目に反して繊細な内部だった。くるっと眺め回す。天井は吹き抜けみたいに高い。まるで。

 まるで人間のようだ、と思う。ノヂシャは城を擬人化して想像した。
 人を寄せ付けない容姿。雰囲気。けれど体内にはいっそ華奢な精神の連なり。もしくはか細い神経や簡単に傷んでしまう内臓。

 昔、父親が言っていたこと、ふと思い出した。出来上がる前の、骨組みに更に加工を施している建築物を前に、父親が。

建物って言うのはな、ノヂシャ。人を反映するんだ。同じ家に住んでいても、違う人間が使っていると全然違う印象を持たせるだろう? 造る場合も同じさ。たとえば要望を訊くな? 聞いたものは、父さんたち建築士は余程の無茶でない限り反映させる。要望は、“好み”だ。好みはその人が人生を積み重ねて得て来た感覚から生まれる

だから、建物は、主を映す

 まだ十を迎える前だった。ノヂシャは幼かったが、何となく父親の言葉を理解した。……ならば。

 この城は誰を見せているんだろう。

こちらでしばしお待ちいただきますよう

 頭を垂れて、マーシュが退室した。マーシュに通されたのは城の奥に在る、応接室のような部屋だった。隣の部屋と繋がっているらしく、見渡して、入って来た両開きのドアと別に、片開きのドアを見付ける。
 この隣に、いる訳だ。ノヂシャに会ってみたいから連れて来い、と言った張本人が。

 無駄に禍々しい城の、中は大袈裟に微細な造りをした城の、主が。

 考えを巡らせながらドアを見詰めていると、そのドアが開いた。開いた扉に添うようにマーシュが現れた。

お待たせ致しましたノヂシャ様。どうぞ

 二度目に頭を垂れたマーシュに招かれたのは、想定よりは広さの無い部屋だった。謁見の間より、書斎、執務室と呼ぶのが相応しいくらいの室内。

 そこに、城の主はいた。

お前が、噂の『サラダ菜姫(ラプンツェル)』か?

 退屈そうに、中央奥に設置された机の上で頬杖を突いた自分よりは短いが、髪の長い人物がそう言い放った。うつくしい顔がつまらなそうにしている。ノヂシャは思う。ああ、あの、城の一際高い窓から塔を見返していた人間だと。ノヂシャが思ったよりずっと声が低かった。

 当たり前だ。彼の人は、豪奢な身なりと長髪に縁取られた美貌に反して“男性”で在ったから。

左様でございます、イリス様

『イリス』────? ノヂシャが疑問符を飛ばす前に不機嫌そうな彼の人がマーシュを遮った。

黙れ、マーシュ。お前には訊いていない

これは失礼を

 馴れた調子で飄々と返すマーシュに、この少年の最初の怯えようが真実には演技であったのではないかとノヂシャは疑る。……今だって、叱責を飛ばされたマーシュを振り返ったノヂシャに、マーシュは平気な顔で笑んで見せたのだ。

……想像と違うな

 彼の人、イリスの声にはたと顔を戻す。イリスはノヂシャを値踏みするが如く上から下まで見やる。ノヂシャの片眉が、跳ねた。その様に気付いて、イリスは少し愉悦に口の端を上げる。性格が悪い。

成程。まぁ町の噂がだいたい偽りとか紛い物で在るのは常のこと。興味本位だったんだが、悪かったな

興味本位?

そう。噂の“悪い魔女に閉じ込められ絶対に塔から出られない美姫”と言うのを見てみたかった。暇潰しみたいなもんだ。それだけだ

 あっけらかんと言い切って、ノヂシャに言った。帰って良いぞ、と。

 ……随分とあっさり言ってくれるが、いったい何のために来たのだろうか。あの塔を出て。わざわざ遠回りをして。
 この目の前のいけ好かないことこの上ない偉っそうな男の暇潰しのためか? ノヂシャは納得が行かない。何が、ではない。全部、だ。

……

 イリスは、ノヂシャのことなどもう気にしていない様子で、紙に目を通している。机には物凄い量の紙束が積んで在り、ノヂシャと対顔したときも羽根ペンを手放さなかった。……こんなに忙しいのに『暇潰し』?
 やはり納得が行かない。何より。

あのさ、


 ムカつく。

自分の都合で人を呼び出して置いて茶も出さず帰す訳? あんた、持て成しの仕方も知らないの?

 坊や


 後ろで息を飲むマーシュの気配がした。が、ノヂシャは気にしない。

 何がムカつくって。

 人を散々嘗め回すように見て、小馬鹿にするみたいに笑って、勝手に品定めして揚げ句

興味無くなったから帰れ

だ?

 フザケろ、と。

ああ、『イリス』って名前だもの。“坊や”じゃないわよね? ごめんなさいね、“お嬢ちゃん”?

 イリスへあからさまな悪意と皮肉をぶつける。浮かべる笑顔は嘲笑だった。
 他の国ではどうか知らないが、『イリス』はこの国では女性名だった。確か虹彩、虹の女神を指すのだと何かの本で読んだ。
 昔から一人でいることが多かったノヂシャは本をよく読んでいた。選り好みは無く、雑誌から専門書まで幅広く貪欲にだ。だから、流行りやら何やらも世情を知らない訳ではないし、有り体のことなら話を繋ぐことも状況を察することも出来る。

 そうして、今、目前でこめかみと手に血管を浮き上がらせて震える“坊や”ことイリスが、ノヂシャの知る『イリス』なら大変なことをしでかしている事実もきちんと理解していた。

 イリス・オーロラ。この名の連なりに、次がこの国の名前で在るのなら完璧だ。

 ノヂシャの記憶に在るイリス・オーロラは、この国の第一王子にして第二王位継承者の名前だった。

 ノヂシャは笑う。大した棘ではない。

 この『お姫様』は、チャチ過ぎる。

 
   【How about the following fairy tale?】

   ⇒next...『毒の錘』

pagetop