物憂げに、瞼を上げる。
……あ。
物憂げに、瞼を上げる。
この天井は、知っている。月明かりにぼうっと霞む木目に、微笑む。エリカ自身の部屋の、天井。そこまで認識するなり、エリカはがばっとベッドから飛び起きた。
リトっ!
ラウルに斬られた傷の痛みが、全身を駆けめぐる。しかしその痛みを総無視して、エリカは辺りを見回した。
リト……。
エリカ自身は、無事だ。ダリオも、殴られただけだから、多分大丈夫だと、思う。でも、……リトは? 地下墓所の床に倒れ伏し、身動き一つしなかったリトと、床に広がった血の色が脳裏を過ぎる。身体よりも、心が、痛い。シーツをぎゅっと握りしめ、エリカはもう一度、月明かりに照らされた誰も居ない部屋を見回した。
と。
……エリカ?
扉が開く音と共に、エリカの耳に涼やかな声が響く。
リ、リトっ!
エリカの横にふわりと立ったリトに、エリカは上擦った声を上げた。
ダメだよ。
そのエリカを、リトが優しくベッドに横たえる。
怪我、酷いんだから。
ちゃんと寝てないと治らない。
柔らかい枕に埋まったエリカの額にリトが置いてくれる、冷たく湿った手ぬぐいが、エリカには心地よかった。
リト……。
髪を撫でてくれるリトの手に、眠りに引き込まれそうになる。
リト、怪我、大丈夫?
それでも何とか、エリカはリトにそれだけ尋ねた。
もちろん。
エリカに微笑む、リトに、頷いて目を閉じる。
ラウルとシアノは帝都に連行されたし、皇太子殿下の誤解も解けたから、『黒剣隊』にはもう、危害は及ばない。
サリナも、パキトの無念を晴らせたと思うし、……叔母上の無念も、晴らせたと思う。
聞こえてくる、冷静で涼やかなリトの声も、快い。
だが。
ちゃんと眠って、ちゃんと食事をして、ダリオさんの言うことをちゃんと聞いていたら、ちゃんと元気になるから、ね。
うとうととし始めたエリカの耳に響いた、リトの声に、エリカは再び跳ね起き、エリカに背を向けたリトの左腕をぎゅっと掴んだ。
エリカ?
掴んだリトの腕は、エリカの頬よりも熱い。
どこへ、行くの?
その熱に、既に答えを知っている質問を、エリカはした。
平原に、戻るんでしょ?
……私も、連れて行って!
次期の帝である皇太子が持っていた誤解は解け、『黒剣隊』の隊員達の身の安全は確保された。だからこそ、リトは、今度こそ、……自分の責務を果たそうとするだろう。直感のままのエリカの言葉に、リトは再びエリカの方を向き、ただ静かに、微笑んだ。
連れて行くわけには、いかないんだ。
そしてエリカを諭すように、言葉を紡ぐ。
あそこでは、私は君を守ることができない。
守らなくていい。
そのリトの言葉を遮り、エリカはリトを掴む手に力を込めた。
私が、あなたを守る。
えっ?
だから、私はあなたと一緒に行く。
……何処にでも、何処までも。
決然としたエリカの言葉に、リトの頬が、月明かりでも分かるほどに赤くなる。そして。
ありがとう。
微笑んだリトが、エリカの腕を掴んで強く引く。
いつの間にか、エリカの身体は、リトの腕の中にあった。
あ……。
美人だと、常に思っていた、リトの顔が、エリカの目と鼻の先にある。そのことに初めて気づき、エリカは胸の鼓動を止めることができなかった。
そして。
リトの唇が、エリカの唇に重なる。
月明かりだけが、二人の前途を祝福していた。