静かな雰囲気の喫茶店。
 今時のお洒落なカウンター完備の喫茶店ではなく、純喫茶と言う名の合う、マスターがひとりコーヒーを一杯ずつ淹れるような。静かな佇まいの店。
 その奥のボックス席には、減っていないコーヒーが二つ。散らばる数枚の紙。中央に置かれた一冊の本。そして、それらを覗き込んで難しい顔をしている二人の少年が居た。

 ひとりは金髪に紫の瞳。軽快そうな外見と、兄のような頼りがいを併せ持っている。
 もうひとりは銀髪に灰色の瞳。睫毛が瞳に落とす影は人形のように整っている。
 金髪はMySTAR、嵯峨山陸。
 銀髪はRadish、岬アレクシス。

 異なるユニットの二人が、喫茶店の片隅で難しい顔をして本と譜面を相手に睨み合っていた。
 譜面は新曲。シャッフルユニット「LeX」のための曲。

……なあ

アレク

……はい

ラウルって、どう?

アレク

ファントムは、どうですか?

 二人は互いの質問に言葉を詰まらせ、譜面と睨み合う。
 
 今回の歌詞には題材があった。
 オペラ座の怪人。
 オペラ座を舞台に繰り広げられる愛憎劇。有名な戯曲だ。
 それを読み込み、自分の歌に落とし込む。
 ヒロインはクリスティーヌ。
 彼女を愛する怪人、ファントムが陸。
 彼女を愛するフィアンセ、ラウルがアレク。
 ひとりの女性を巡って争う二人。なんともロマン溢れる一曲だ。

最初の台詞から難題だよな……相手に負けたくないってのは分かるんだけど

アレク

そうですね。僕もその気持ちは分かります。けれど……

 二人が詰まっているのは。

 クリスティーヌ

 二人はどんな気持ちで彼女を懸けて戦っているのか。
 二人は己のライバルをどんな風に見ているのか。
 それぞれの信念は。
 オペラ座でありながら、オペラ座ではないこの舞台で。
 要となる存在、クリスティーヌが見えてこない。
 ファントムの。ラウルの。それぞれが想う相手。
 陸が。アレクが。それぞれが懸ける相手。
 彼女の姿が。それを想う「自分」の姿が。
 見えない。

クリスティーヌ……君は

アレク

クリスティーヌ……貴女は

――王子二人が揃ってひとりの女性に苦悩する。絵になるわね

アレク

えっ

うわ!?

 いつの間にか隣のボックス席で女性がコーヒーを飲んでいた。
 ブラウスにカーディガンを羽織ったラフなスタイル。足元も少々ヒールの高いブーツではあるが、ふわりとしたロングスカートで清楚にまとめてある。
 長い黒髪に縁取られたその顔は、二人とも知っていた。
 大佛涼花。元国民的アイドルグループのメンバー。色気のあるダンスと歌声で舞い戻ってきたアイドル。
 カップから離れた唇がそっと、色気のある笑みを形作る。

アレク

あの、どうしてここに……

ってか、いつの間に

 色気か、それともアイドルとしての雰囲気か。そんな何かをようやく感じた二人はそろそと問いかける。
 涼花はふ、と視線を流して笑う。

涼花

あら。わたしこの喫茶店よく来るのよ。静かで落ち着けて……良い場所だもの

 なるほど。と二人が頷く。
 彼らも静かで良い雰囲気の店だと教わってやってきたのだ、きっとそんな人達が好む店なのだろう。

涼花

それにしても

 涼花の声が二人にふわりと届く。

涼花

ひとりのクリスティーヌを想い悩む二人……まるでその本みたい

 くすりと笑って示されたのは、二人の前に置いてある一冊の本。オペラ座の怪人。
 まあ、その通りなんだけど。と二人は苦笑いで応える。

涼花

見たところ、彼女はまだ闇の中、なのかしら

まあ……

アレク

そんなところです

 彼女は「そう」とコーヒーカップにそっと口をつけ、こくりと一口飲み下す。

涼花

それじゃあ老婆心ながら……って、わたしの年齢じゃなくて

アレク

はい。親切心、ですね

涼花

そ。日本語上手なのね

アレク

ええ。日本、好きですから

 アレクがそう言って笑う姿は、言葉に何一つ嘘が無いものだった。

涼花

そう。そう言う表情で言えるものがイイかも――こほん。と、言う訳であなた達が探してるクリスティーヌだけど。あなた達の中にしか居ないのだから、わたしが「こうだ」なんて言えないの

俺達の……中に

涼花

そう。わたしとあなた達のクリスティーヌはきっと姿も声も、違う

 でも、と彼女は頬杖をついて笑う。

涼花

あなた達の中に居る彼女を探す手伝いくらいならできるかも。――本当は

 二人の歌なんだから自力でたどり着くのが一番なんだけどね、と涼花は小さく息をつく。

涼花

なんだか放っておけなくてつい声を掛けちゃったから

 そのお詫びよ、と彼女は言った。

 席を動くことはせず。一人のボックス席で。
 涼花は目の前に誰かが居るように、語りかけるように。ファントムの名を呼ぶ。

涼花

ねえエリック

……

涼花

貴方は感情に溺れてついつい周りが見えなくなるし、善悪の区別がつかないけれど……とても素直だと思うわ。
普通を、平凡を、そして何より愛情が欲しくてたまらない。寂しくて、愛おしくて、可愛い人。そんな貴方にとって彼女は自分に初めて愛情をくれた、全てを捧げても惜しくないほど大切なヒト

……

涼花

貴方を演じる彼の中に見出すとするならどんなものかしら。大切な人なんて言葉を超えた相手……それだと遠すぎない? もっと身近な。親愛を覚える家族や仲間?

家族とか……仲間……

 陸の呟きに答えず、彼女は続けてラウルを呼ぶ。

涼花

子爵。貴方はとても幼くて、わがままなひと。でも、誰よりも真っ直ぐよ。彼女とは離れていた時期もあったけれど、ひとつの恋へ懸命に手を伸ばして、追いかけて、諦めない。心が折られそうな時もあったけど、それも乗り越える若々しい強さがある

アレク

……

涼花

そんな貴方を演じるのがそこの彼だけど。似た影はあるかしら……?
うん。貴方は幼い頃から彼女と共に歌もあったわ。ならば、子供の頃から好きだった絵本や歌、自分の側にいつも居るワケじゃないけれど、大事な人や物、とかはどう?

アレク

いつも側には居ないけれど、大事な人や物……

 二人の呟きが沈黙に変わる頃、涼花はようやく陸とアレクの方を見た。
 頬杖をついて、彼女はふわりと微笑む。

涼花

わたしにとっては、ファントムもラウルも、真っ直ぐで素直で、それ故に胸が痛くなるほど愛しい恋をする人に見えるけど、クリスティーヌは……いえ、わたしがここでその影を奪ってしまってはいけないわね

 わたしがエリックになってしまうわ、と彼女はコーヒーを口にする。

涼花

それで。どう? 影の指先でも、掴めそう?

 陸は考える。
 家族、俺を兄と慕う弟。ファントムの姿が少しだけ輪郭を持つ。涼花の言葉で浮かんできた彼は、長男である自分よりも弟のような。けれども家族ほど近くなくて、大事な存在。

 アレクも考える。
 幼い頃親しんだのは日本ではない。海を越えた遙か遠い国、ドイツ。インターネットの普及で思い出の地や曲、物語に再会できる機会はぐっと増えた。それを共有できるくらい、隣に居る相手。

 そして二人は考える。
 一緒に居て楽しく、目が離せない。弟のようで弟じゃない。支えてくれる仲間。
 MySTARの相棒、光流。

 自分の傍らに常に居る訳ではない。けれども自分の事を話せて、共にトップを目指す大事な人。
 Radishの相方、一斗。

いやいやいや………

アレク

…………

 二人は同時に、ふるふると首を振る。
 さすがに大事な相方とはいえ、男性をクリスティーヌに重ねるのは。

いや、アリ……か? ねえなあ……

アレク

ごめんなさい、一斗……

 二人は頭を抱えて想像を追い払う。
 片や心優しく涙もろい、庶民派王子。
 片や歌は攻めてても、実体はのんびり理系大学生。
 今挙がった「クリスティーヌとは」というイメージに近くとも、クリスティーヌにするにはイメージが遠すぎた。

 あとなんか、申し訳ない。

 苦悩する二人に涼花はくすくすと笑い、コーヒーカップを手に取る。

涼花

クリスティーヌも一筋縄じゃいかない女性だから、なかなかなびいてくれないわね

そうだな……

アレク

はい。手強いです……

涼花

あとはそうね……彼女の声は男女問わず魅了する。二人はそれを手に入れたい。奪いたい。守りたい。手に入れたい。お互いがそう思っても、彼女はひとりしか居ない

 ならば、と涼花は言う。

涼花

もっともっとシンプルに。たったひとつしか無くて、相手に譲れない何か。そんな物である可能性もありそうね

 涼花は空になったカップに微笑んで席を立つ。

涼花

わたしから言えるのはそれだけ。これ以上言うと具体的になっちゃうし……それじゃあ、お邪魔したわ

 伝票を持って彼女はそのまま立ち去っていく。

 ちりん、と閉まるドアベルの余韻が消える頃。
 二人は見送っていた視線をようやく合わせた。

アレク

……大佛さん、いつの間にいたのでしょうか

っていうか、あんだけ存在感あるのに気配が無いってどういう事だよ

アレク

僕達が悩みすぎて気付いていなかっただけ、かもしれません

あー……かもなあ

 そうして二人は彼女の言葉を元に、クリスティーヌを探す。
 

俺達が手に入れたいひとつのもの

アレク

誰にも渡したくない、大事な物

――あ

アレク

……!


 それが何か、気付いたのは同時だった。
 揃って顔を上げ、お互いの目に、同じものを見つけたのだと確信する。

そうだな

アレク

はい

絶対渡さない

アレク

僕も、です

 そして二人は楽譜を生き生きとした顔で読込みはじめる。

 二人が目指す頂点。
 それを手に入れるため、奪い合うために、二人は歌う。
 
 それがどんな歌声になったかは――。

 
 
 
 
 

涼花

聴けば、伝わるんじゃないかしら

 誰も居ない喫茶店の奥。
 ラジオから流れるLeXの新曲を聴きながら、彼女はコーヒーカップを片手に微笑んでいた。

Who is Christine?

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