ゲスト出演……ですか?

うむ。吾が下僕らは「生贄」と呼んでおるがな。

はあ……いけにえって……。

ある日の収録の合間、深春はカーミラからそんな話を持ちかけられた。
独特の世界観を守る彼女だが、決して他と交流を持たないということはなく、波長の合うアーティストとはジョイントライブを行うこともある。そうしたとき、下僕……つまり彼女のファンたちは親愛を込めてゲストを「生贄」と呼ぶのだそうだ。

嫌か……?

いつか見せた、叱られた子犬を彷彿とさせる面持ち。

い、嫌じゃないですよ! 喜んでお受けします!

取り繕ったのではない。カーミラの役に立てることは純粋に喜ばしかった。

いや重畳々々……しかし其方、まさかそのような服装で吾が祭儀(ミサ)を訪れるのではあるまいな?

あ、すいません、衣装は自作しかなくて……。

祭儀には祭儀のドレスコードがあるのでな。今宵吾が城へ参られよ、生贄に相応しき衣装をしつらえてやろう。

ええっ!? 作ってくれるんですか!?

フフ……覚悟するがよい……とっておきの拘束衣を――

勘弁して下さい!

さすがに拘束衣は御免被りたかったが、カーミラが自分の衣装を作ってくれるという未来は深春の頬を熱くさせた。
この日はカーミラが先に収録を終えることとなっていた。深春は後から追う形となる。
カーミラの住まうコンドミニアムに向かう地下鉄に揺られながら、深春はこれまでのことを反芻していた。

カーミラさん……どうして私なんかを……。

第一に奇妙に思えたのは、アイドルとしての方向性だ。元々深春は「萌え萌えドッキュン♪」とかそういう世界の住人で、ゴシックホラーを基調とするカーミラとは七百二十度ほどは離れているだろう。

ライブかあ……まだ自分のもできてないんだけど……。

第二には、深春のアイドルとしての芸歴の薄さだ。メイド喫茶店員としてはそれなりにキャリアを積んでは来たが、デビューイベントの後も細々と仕事を続けているのみで、特に秀でたところはない。
音楽性においても、実力においても、カーミラが深春を共演者として選ぶ理由がなかった。

やっぱり……でもそんなこと……。

深春の中には、一つの仮説があった。真ならば今までのすべてを解明してしまうほど強力で、仮説と呼ぶのも憚られるほど根拠の薄い仮説。むしろ、深春の願望と呼んだほうが適当かもしれなかった。
無機質な電子音に深春が顔を上げると、そこは最寄り駅だった。

ではまず、脱いで下さい。

ええ!? あの、服の上からじゃ――

カーミラ宅に着くなり衝撃を受けた。採寸をすることになっていたのだから当然なのだが、なにぶん心の準備がなさすぎる。

新しい素材なので正確に測りたいんです。下着は結構ですから。それとも……脱がせて差し上げましょうか?

いいえ! 脱ぎます! 自分で!

そうだこれは採寸なのだ、何を躊躇うことがあろうか、第一デビューイベントのときカーミラの前で衣装に着替えたではないか、いやでもあのときは彼女がカーミラとは知らなかったのだし、などとしどろもどろになりながらも、深春はなんとか上着を脱ぎ取った。
カーミラは深春の背後に位置を取り、用意していたメジャーを彼女の身体に回す。

んっ……。

息は止めなくていいですよ。楽にして。

は、はい。

空間を埋め尽くした沈黙に絡め取られ動けなくなる。それはさも近日発見されたという素粒子場のように。
せめて、何か会話を。深春は、自らに留めていた一つの疑問を取り出し、その封を切った。

カーミラさんは……どうして「カーミラ」なんですか?

お話ししていませんでしたか?

はい。

名前が加藤美羅(かとう みら)なので、それをもじって。

……それだけ……ですか?

レ・ファニュにあやかって。ご存知でしょう?

知ってますけど……。

涼花に言われてそれは調べた。しかし調べて解ることなら本人に問うたりはしない。
淡々と答えながらも、カーミラは深春の身体にメジャーを当てては、脇に据えた帳面に数字を書き込んでゆく。
あるいはこのメジャーは、深春の胸の裡をも測り取っているのではないか? 真にそうなら恐ろしい、しかし、どんなに楽か知れない、と深春には思えた。

できました。着ていいですよ。

あっ……。

急に現実に引き戻されたためか、深春はぎこちなく着替え始めた。首、両袖と一通り出したところで、メジャーを差し出される。

次、私をお願いできますか。

え? 必要ですか?

今日の目的は深春の採寸だったはずだ。それに、衣装を作り慣れているカーミラなら、自分の体型も熟知しているのではないか?

中々人には頼めませんから。

言いながら、カーミラは自ら服に手をかける。

ちょ、まだやるとは言ってませんよ!

思わず顔をそむけた深春の耳に、するりと届く衣擦れの音。

お願いします。

もはや断りようがない。深春はカーミラの方をなるべく見ないように、メジャーを拾い、彼女の背後に回った。
採寸には邪魔になる長い銀髪を、このときカーミラは一本に束ね、前身頃に垂らしていた。普段見ることの叶わぬうなじを前にして、深春の視線が小刻みに行き来した。視覚野と前頭前野が葛藤したのだろう。
だが、己に課せられた使命を忘れることはメイドとしての矜持が許さなかった。深春はそろそろとメジャーを引き出し、カーミラの身体に回す。

……。

カーミラは事も無げに束縛を受け容れている。沈黙も苦ではないらしい。本当にこれでいいのかと躊躇しながらも、先程自分がされたのと同じようにして、深春は数字を読み、帳面に書き入れていった。
嗚呼、このメジャーが彼女の心裡をも測り出してくれたなら! しかしメジャーはただ、彼女が深春よりも若干華奢であることを教えてくれたに過ぎなかった。

ありがとうございました。

一通りの計測が終わると、彼女は服を着ながら短くそう述べた。

お疲れ様でした。今日はもうあがって下さい。私は型紙を起こしますから。

何かお手伝いできることは?

お気持ちは嬉しいのですが、デザインに関わることなので。

はい……お疲れ様です。どうか無理だけはしないで下さいね。

カーミラの動機は、深春には測りかねた。なぜ自分を「生贄」に? 単に使用人然としていて丁度良いというだけかもしれない。近場で仕事をしているからという配慮だけかもしれない。あるいは深春の想像通りだとしても、それもキャラ作りの一環に過ぎないのかもしれない。しかしそのような結論を出そうとする度、喉の奥から苦いようなものがこみ上げてくる気がして、深春は何度か嗚咽を漏らした。

あまり、考えないようにしよう。

そう思った時ふと、地下鉄駅前のビル、そのテナントに目が向いた。

やっぱり、勉強しておいたほうがいいよね。

そこは新古書店だった。最新からいくらか型落ちしたような漫画やCDがずらりと並んでいる。収入の少ない深春にとっては貴重な情報源だった。

えっと……洋楽を探したほうがいいかな。

邦楽と洋楽は棚を分けられている。深春は洋楽の棚に向かい物色を始めた。かつてカーミラの部屋で見た、メタルやプログレ(というジャンルにあたることを深春は知らなかったのだが)のバンドを探す。正直中身の違いは分からないので、財布との相談で枚数を决めた後はフィーリングで選ぶことにした。カーミラのライブに出るなら、その方面の音楽への教養が必要だろう、そう考えてのことだった。

邦楽も見ておこうかな。

いつもなら深春は七〇~八〇年代アイドルのレコードを探している。買うことは少ないが、どうしても欲しいものが見つかることもまれにあるからだ。
だが、この日この店では一枚も見つからなかった。深春にも初めてのことだ。

誰かよっぽど好きな人がいるのかな?

答えが出るわけでもない。深春は早く帰ってCDを聞こうと、店を後にした。

pagetop