なんでこんな人にあんな願いを相談したんだろう……。
私は鏡を見ながら、深い後悔の底に沈んでいた。
なんでこんな人にあんな願いを相談したんだろう……。
私は鏡を見ながら、深い後悔の底に沈んでいた。
ほーら! イケメンくんに変身よ! 前の占い師の衣装だけど、サイズぴったりね
姿見の鏡を前に立ち尽くす私の肩を抱き、ハイテンションな声が上がる。
緩やかなウェーブの掛った髪に、薄いヴェールに隠された口元。人目を引く大きな帽子。妖艶な美女という言葉がピッタリ。
彼女の名はマダム・ネペンテス。占い師をしている。
違うんです! 私は恋人がいてみんなから人気者な……いわゆるリア充になりたいんです!
だ・か・ら、確実にリア充にな・れ・る素敵魔法を掛けてあげたんじゃない。ほら、鏡を見て。モデル並のスタイルにクールビューティーな顔! この姿で女の子に声を掛ければ、もう入れ食い状態よ!
入れ食い状態って……
マダム・ネペンテスの言葉に若干引きながら、憂鬱な気分で鏡の中の自分を見る。
そこにいたのは不機嫌な顔をしたクールなイケメン男子。これなら、女の子を引っ掛けるのは簡単かもしれない。
でも……でも! そうじゃない!
私はマダム・ネペンテスを睨みつけ、声を荒げた。
私は女の子のままで! リア充になりたかったんです!
そう。私は十七歳の女子高生。男じゃない! 今は変な呪いのせいで、男になっちゃってるけど!
私が欲しいのは彼女じゃない! カ・レ・シ! が欲しいんです!
残念。世の中全てが上手くいくわけじゃないわ
マダム・ネペンテスは少しも残念でない口調で、さらりと言う。
……
あら、納得いかない顔ね。性別が違うなんて、些細な違いよ
いいえ、大きな違いです
それにね、この姿なら、だぁ~れもあなたを『暗い光』なんて呼んで、馬鹿にしないわ
……
その言葉は私の心を大きく揺さぶった。
私のあだ名は、小学生のころから『暗い光』だった。本名が蔵 光と書いてクラ・ヒカリで、省略されるどころか、わざわざ一文字足して『暗い光』と呼ばれた。
理由は簡単。暗い顔に暗い性格のせいだ。よくわかっている。こんな暗い子に設定した神様に、何度殺意を抱いたかわからない。蔵 光として十七年間生きてきて、変わりたいってずっと思っていた。
そんな私の心の隙間にスライディングをかましたのが、マダム・ネペンテス。
ああ、神様! 二度と馬鹿な願いを言ったりしません! 二度と殺意を抱いたりしません! 二度とルリを妬みません! ……出来るだけ! どうか! 私を愚かで哀れな小羊と思うなら、今すぐ元の女の子に戻して下さい!
あっ、そうそう。この魔法は八時間過ぎたら解けちゃうから、気を付けてね。逆を言えば、八時間以内は女の子に戻れないってことだけどねー
……私の願いを聞いてくれる神様は捻くれ者らしく、マダム・ネペンテスの無情な言葉が、私の希望の灯りを吹き消した。
そもそも気の迷いで、占いビルに入ったのが悪かった。
その占いビルには小部屋が並び、様々な占い師がいる。整理券を配るほどの人気の占い師もいれば、自ら客引きをする占い師もいる。共通しているのは、人気に関係なく一律三千円。
マダム・ネペンテスは一番奥の部屋の占い師。一日中ドアの前に立ち、客引きをするわけでもなく、ただ占いビルに入って来る客を眺めているだけ。
最初は彼女の美しさに目を奪われ、気がつけばふらふら吸い寄せられていった。
あの……
私が緊張しながら声を掛けると、彼女は薄いヴェール越しでもわかる微笑みを浮かべた。
……どうぞ、中へ
は、はい
部屋の中はアラビアンナイト風で、うっとりするような甘い香りが漂っていた。部屋の中央に置かれたテーブルには、大きな水晶玉が置いてある。
想像通りの占い部屋で、私は促されるまま椅子に座り、マダム・ネペンテスと対峙した。
彼女は水晶を見つめながら言う。
それで、お悩みは何?
はあ……えっと、自分の暗さに悩んでいるんです。私の名前は蔵 光っていうんですけど、小学生のころから『暗い光』って呼ばれてて……
あははは! 名付けた子は上手いわね!
……話、続けていいですか?
ご、ごめんなさい。どうぞ
私が低い声で言うと、笑っていたマダム・ネペンテスは慌てて謝った。
私も……私も女子高生だから、恋だってしたいし、たくさんの友達と遊んでみたいって思うんです。でも……見た目も性格も暗いし、一緒にいるルリとはいつも比べられて……余計暗いって言われるんです!
ルリ? 仲良しのお友達なの?
はい。ルリは小学生の頃からの幼馴染で、星野ルリっていいます。彼女はとても可愛くて明るくて名前通りの子なんです。彼氏はイケメンの先輩だし、友達も多いし。……とにかく、昔から私とは正反対。フフフ……
私は自嘲気味に笑う。
そ、そうなの。あなたはルリみたいに恋人がいて友達も多い、いわゆるリア充になりたいのね?
そうです! リア充になりたいです! ルリみたいになりたい! どうすればいいですかっ? ラッキーカラーのハンカチを持ち歩くとか、公園に行くと素敵な出会いがあるとかないんですかっ?
お、落ち着いて
椅子から立ち上がり、身を乗り出して言う私をマダム・ネペンテスが宥める。
私は気を落ちつけて、椅子に座り直す。
そうねぇ……。一瞬で変える方法はあるわよ。た・だ・し、急に変わるんだから、適応能力が必要よ。あなたは大丈夫かしら?
マダム・ネペンテスに真っ直ぐ目を見つめられ、私は緊張しながら頷く。
……頑張ります……出来るだけ
出来るだけね……。いいわ、あなたにとびっきりの素敵魔法を掛けてあげるわ
マダム・ネペンテスがウィンクした瞬間、光が弾けて私の意識は消えていった。
……で、一時間後にはイケメン男子に性転換した私が、街をうろついている。
というのも、マダム・ネペンテスに客が来てしまい、邪魔な私は部屋を追い出されたのだ。男の姿で家に帰る事も出来ず、元の服も置いてきちゃったし。時間が過ぎるまで街をうろついているしかない。
私は道行く人の視線が、全部自分に向けられている気がして仕方なかった。
もちろん、そんな事は無い。ただの自意識過剰だと思うけど、男になっていることも神経過敏にしていた。
歩き方が女っぽくなってないかな?
擦れ違う女子高生二人組が、私の顔をじろじろ見上げている。
私はなるべく無表情を意識しつつ擦れ違い、少し通り過ぎてから振り返る。
……見てた。彼女たちも振り返って私を見て、何か話し合っている。声は聞こえないけど、笑顔でこっち来るっ! まずい!
小走りに近づいてくる満面の笑顔の彼女たちに恐怖を感じ、私は走り出した。
待ってください!
後ろから呼び止められた気がしたけど、振り返る余裕も立ち止まる勇気も無い。
私は目についた細い横道に飛び込んだ。
表通りの喧騒が遠ざかり、私は壁に寄り掛かって呼吸を整える。
ああ、びっくりした
一息つき、辺りを見回す。
壁は落書きだらけであちこちにゴミが落ちている。謎の黒い水たまりも点在している、薄暗い路地裏。
うわあ~……最悪。雨降ってないのに、何で水たまりがあるの?
数歩歩いただけなのに、謎の黒い水たまりに足を突っ込み、靴の中まで濡れてくるのがわかる。
リア充になれる素敵魔法を掛けられたはずなのに、同世代の女の子に怯えて、こんな所に隠れている私は、どう考えてもリア充になれっこない。
男でも女でも……ダメじゃん、私。やっぱり『暗い光』はルリになれないじゃん……。中身を変えなきゃダメだよね……
自分が情けなくて、視界が涙で滲んでくる。
そうだ。私が占い師に欲しかったのはシンデレラの魔法じゃない。自分を変えるキッカケ、アドバイスだけ。
本当に必要なのは……自分で変わる勇気!
私はもう一度マダム・ネペンテスに会うため、表通りへ踵を返し、
別れるから! もう離して!
女の子の悲鳴が路地裏の奥から聞こえてくる。
ビクッと怯えて私の足は止まるが、
離してよ!
よく知っている女の子に良く似た声だった。
声のする方へ恐る恐る行くと、一人の少女が男に手を掴まれていた。
ルリと……先輩?
私は慌ててポリバケツの影にしゃがみ込み、様子を伺う。
可愛らしい少女は私のコンプレックスの根源であるルリで、相手のイケメンは制服じゃないけど、間違いなくルリの彼氏である先輩。
痴話喧嘩かな?
いつも仲が良く、理想のお似合いカップルが修羅場を演じている。ルリがこんな怒鳴っているのは、初めて聞いたかも。
……もうちょっと見てようかな……フフフ
私の口から自然に笑いが零れてしまう。
変わるのはこれを見てからにしよっと。フフフ……ウフフ
ルリは掴んでいる先輩の手を振り解こうとしている。
浮気ばっかり! もう別れるから!
そんなことしたら、俺たちのグループみんなが気まずくなるだろ。遊ぶときとか、気ぃ使って困るじゃん
こんな時に、言う事はそれなの? 浮気した方が悪いでしょ?
だからぁ~、本気じゃないんだって。その場のノリ、空気。相手の子もわかってるし、ルリもわかるだろ?
わかんないよ! もう離して!
ルリが身を捩ると同時に、
きゃっ!
ルリが倒れて私の視界から消え、水が跳ねる音がする。
ポリバケツが邪魔で見えないが、さっきの黒い水たまりにルリがはまったんだろうと予想が出来た。
うわ、大丈夫?
……
先輩が手を差し伸べるが、ルリの返事がない。
私も心配になって立ち上がりかけ、
触んないで! あっちいって! いってよ! いって……
ルリが先輩の手を叩き、怒鳴る。怒鳴り声の最後の方は震えて、涙声に聞こえた。
ああ、ルリ……
私はさっきまでの修羅場を面白がる気持ちが急速に消え、代わりに先輩に対する怒りが湧きあがる。
先輩は小さく舌打ちし、
わかったよ。帰る。明日の学校は、いつも通りにしてくれよ
帰ろうとこちらを振り向く。
自然に立ちあがっていた私と先輩の目が合った。女の時は私の方が背が低かったが、今の男の私は、視線が同じくらいか少し高いぐらいだ。
な、なんだよ?
先輩は人がいた事に驚きたじろぐが、
……
私は無言で先輩の横を通り過ぎた。
ルリは黒い水たまりに尻餅をついていた。私を不審そうに見上げている。
ルリの丸いピンク色の頬に黒い雫が数滴飛んでいて、私は屈みこみ、ハンカチで何度も拭きとる。
え? あっ、あの……
ルリは頬を赤らめ動揺していたが、私は怒りでそれどころじゃない。血圧が急上昇中だった。
おい! お前、彼氏の前でナンパかよ!
先輩が私の肩をグイッと掴む。
普段の私ならそれだけで足が震えて、恐怖で声も出なかっただろう。まわりの人は、私が何が起きても小さな悲鳴一つ上げない、肝が据わった奴と勘違いしてるけど。本当は声を出す勇気さえ無いのだ。
……今回は違う。男になって身長が伸びたからかもしれない。でも、それ以上に……!
私の肩を掴む先輩の手首を握り絞め、睨みつけた。
あんたにルリはもったいない。自分と同じレベルの女を引っ掛けてこいよ
なっ! なっ……
星野ルリは生まれつき明るくて可愛くて、誰からも愛される天性のアイドルなんだよ。ちょっと顔とノリが良いだけのあんたとレベルが違うんだ!
私は先輩を突き飛ばし、仁王立ちになる。先輩は顔を赤くして、しばらく睨み合う。
そうだ。先輩に言いながら、私は自分の気持ちにやっと気づいた。
ルリは幼い頃からの私のコンプレックスの根源だった。明るく可愛く人気者のルリを誰よりも近くで見てきて、誰よりも嫉妬し僻んでいたけど……誰よりも憧れ愛していたんだ。
ルリを汚し傷つける奴は、私が許さない!
私の言葉に、先輩は険しい顔のまま数歩後ずさり、
……ルリのストーカーかよ
吐き捨てるように言って、表通りへ去って行った。
ルリのストーカー……ストーカー……ええっ? 私、ルリのストーカーなのっ?
私は先輩の捨て台詞にショックを受ける。
いやいやいや、ストーカーじゃなくて、友達。そう、幼馴染……でも、男の今はストーカー?
……あの、ありがとう
頭を抱える私に、いつの間にか立ちあがっていたルリが微笑んでいた。花が咲くような笑顔とは、こんな笑顔を言うんだろう。
花の笑顔が近づいて来る。
ああ、頬の汚れも綺麗になって良かった
私は間近になったルリの顔にウットリと見惚れて……
腰に回された腕。胸に暖かくて柔らかい感触がくっつく。
へっ?
一目惚れしちゃいました。……彼女にしてくれませんか?
ルリが私に抱きつき、小首を傾げて見上げて言った。
私はリア充になりたいと願った。でも……これはマズイよ! 神様!