毒者、と言う言葉を皆さんはご存じだろうか。 

 小説や漫画を読む人の事を読者と呼ぶ。

 そんな読者の中には作品を読んだ後、その作者に対しコメントを寄せる人がいる。

 最近ではweb小説など、気軽にコメント出来るサイトが出来て来た事で昔と比べ作者に対するコメントがし易くなっている。

 また、作者自身のサイトを通しメッセージを送信できる事も今の時代だからこそのものと言えよう。

 昔は作者に対し手紙を出すなどの手法でしか思いを伝えられなかった。

 それを考えれば、読者の声をすぐ聞く事が出来ると言うのは非常に便利だ。

毒者

 作者に対し作品を通して思いを伝える者の中に、こう呼ばれる人たちがいる。

 作品を通し、毒を吐く読者。

 それから転じて、毒者。

んー? 何だこの展開。くっそつまらねえ。俺だったらこうしたのに……

感想ページ感想ページーっと……

えーっと、そうだなあ

幼稚な文章で展開が超展開過ぎてつまらないです。勉強し直して来て下さい

はあ!? ここでヒロイン生き残るのかよ!

あれだけ死亡フラグ立てておいて?

訳わかんねー!

感想感想っと……

何故あのシーンでヒロインが生き残ったのか意味不明。代わりに死んだサブヒロインが不憫。作者様には心が無いのでしょうか? ああ、心が無いからこんな作品が書けるのですね。失望しました。もう小説書くの辞めたらどうですか? 



まじくそwww死ねば?ww

 これが毒者。

 正直な気持ちを伝える事は確かに大切だ。作者もそれを望んでいる。

 例えばヒロインの生死について。

 これはヒロインが死ぬと思っていたら何故か死なず、代わりにサブヒロインが死んだ事に対するコメントだ。

何故あのシーンでヒロインが生き残ったのか意味不明。代わりに死んだサブヒロインが不憫

 なるほど。こう思う読者もいるのか。

 作者はこれを読んで自分の作品を見直す良い機会になるだろう。

 だが、果たしてその後の文章は必要だっただろうか。

作者様には心が無いのでしょうか? ああ、心が無いからこんな作品が書けるのですね。失望しました。もう小説書くの辞めたらどうですか? 



まじくそwww死ねば?ww

 これは最早感想でも何でもない。

 ただの苦言だ。

 心もとない言葉を貰った作者はどう思うのか。

 それを読んで気分が良いはずがない。

 もしかすると、本当に作品を書く気力がなくなって止めてしまうかもしれない。

 つまらないのをつまらないと言うな、とは言わない。

 だが、それにしても言葉と言うのは選ぶ必要がある。

 相手の気分をただ害し、何より毒者はこれを楽しんでいる傾向がある。

 何と恐ろしい事か。

 これが毒者。

 今の小説界隈の闇だ。

 さて、これはとある小説投稿サイトで見られた事例だ。

 
 だが、ストリエではどうだろうか?

 これを読んでいる皆さんは既にストリエ読者、もしくは読者になろうとしている人物だと思う。

 少し考えて見て欲しい。

 今、ストリエは正式サービスを開始し、様々な企業との提携、キャンペーンの実施やサービスの改善などに力を入れている。

 私のようなクリエイターもストリエのサービスを利用して、こうして作品を投稿している。
 

 このサイトにもコメント機能が着いている。

 それを利用して、様々なコメントが寄せられている。

 今、ストリエに毒者はいない。

 いたとしてもかなり少数だろう。今のところ私がそういったコメントを見かけていないだけで、実は既にあるのかもしれない。

 だが、一つ考えて見て欲しい。

 コメントで投稿された感想は作者の手で削除する事が可能だ。

 もしかすると、既にそういったコメントがされていて、作者が消しているから知らないだけなのかもしれない。

 だが、作者が消すまでの間、そのコメントは作品に残り続ける事になる。

 別の読者がコメント欄を開いてその文章を目にした時、どう思うだろうか。

 毒者からのコメントは気分が悪くなるものがほとんどだ。

 これは作者だけに限った事ではない。

 読者だってそのコメントを目にするのだ。

 文字だけの某大手小説投稿サイトと違い、ストリエではコメントの際に自分で設定したプロフィールの画像の横に文章が表示される。

 これにより多少なりとも人に対し自制心を働かせる効果があると私は思う。

 自分で選んだキャラクターなどの画像が表示されると言うのは、ストリエ上での自分の分身が表示されるのと同じ。

 それだけに、そのキャラクターを通して心もとないコメントを残そうとする心を少しでも落ち着かせる効果が期待される。

 最もこれは私の持論であり、実際にそうであるとは限らない。

 それでも、ストリエでのコメントのシステムは毒者軽減に多少なりとも効果を発揮していると、少なくとも私はそう思っている。

 話を戻そう。

 毒者による毒を吐くだけのコメントは、見るだけで気分が悪くなる。

 本人は毒を吐けて気分が良いかもしれないが、それを読んだ人は確実に気分が悪くなるだろう。

 そうして毒者に対し、文句を言う。

 何故、そんなコメントをするのかと。

 それを見た毒者は確実にそのコメントを行った者にコメントを返す事だろう。

 何だお前は、何様だ。ないしそれ以外の喧嘩腰の言葉を返す。

 それを見た人はさらに気分が悪くなり、論争は拡大、炎上する。

 ネット上の掲示板での炎上もこれと同じ状況から作り出されるものだろう。

 もう一度、読者の皆さんは考えて欲しい。

 毒を吐く心は誰の心にもあるものだ。

 だからこそ自制心を、一人の毒者の出現は、さらなる毒者を生み出す種となる。

 それは最早ウィルスと同じ。環境が人を変えるその姿は、ウィルス感染の拡大に似ている。

 誰もがそう言った考えを持っている。誰もが毒を吐く心を持っている。

 ネットと言うのは顔が見えないからこそ、そう言った行動に出る者が増えてくる。

 だからこそ考えて欲しい。

 例えばスーパーで、店員に文句を言っている客。

 それを見て果たして自分は気分が良いのか。

 良いはずがない。真面な感情を持っているのなら、その様子を見て気分が悪くなるはずだ。

 自分が毒を吐きそうになった時、客観的に自分を見たのならどうなるか。考えて欲しい。

 ストリエと言う新たなサービスの環境を作るのは読者だ。

 このサイトの環境を心地良いものにするのも、心地の悪いものにするのも、そこに参加する全員だと言う事を覚えていて欲しい。

 このサイトが一周年を迎えた時、そのずっと先の未来で、楽しかったと思える思い出を残すために。
 

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