ある日、森のなか。
くまさんが、であった。

俺、ヒグマです。

今、クマはピンチである。

ついさっき、俺は一人の女の子を拾ったのだ。

…………

 こんな森の中に女の子一人ってありえなくない?
(JK風に)

 しかもセーラー服で。セーラ服って。

 このあたりに学校なんて無い。
 湖の周囲1キロはぐるっと秘境、間違いない。

 一番近い建物は対岸にある土産物屋兼ソフトクリーム屋一軒だけだ。

←ソフトクリーム屋の餅田治夫(65)

 そこのおいちゃんがモーターボートを持ってて、
頼むと3800円で湖一周してくれる。

かくいう俺もおいちゃんに頼んで、
いつもモーターボートでこの対岸に連れてきてもらっている客の一人。

そして熊のキグルミ着て一日中森をねり歩くんです。

←熊の中の人 山柄圭人(30)

俺のことはいい。

女の子が倒れていたんですよ。

女の子が湖の岸辺に。

火サス。もう火サスよ。

クマは、船越さながらに歩み寄った。
船越さながらに冷静な瞳で彼女の手首を取って脈を測ってみた。

ん、ぅん……

全然無事!!

意識は無いようだが、外傷なし。

ついでにセーラー服も一切汚れていない。
どうやって来たんでしょうか。空?

ラピュタか!!

熊の肉球でほっぺたをモチモチ連打しても目を覚まさない。

頭でも打ってる? 頭動かすのやばいんだっけ?

おろおろした俺だが、命に別状なさそうな女子が次に気になるのは日焼けであろうと思い、彼女をなるべくそうっと動かした。

お姫様だっこは無理。
営業職なので。

死体を引きずる要領で木陰に移動。
柔らかめな草を布団にし、木の根元を枕代わりにしてあげましょうと思ったら、

あっ

引きずりざま俺、後ろにこけた。

……ん……ンぅん……

なんかエロい声を出して、眉間の皺がちょっとやわらいで。

そのまま、もっふりと毛皮に頬ずりする彼女。
寝心地は良いらしい。

俺は妙に嬉しはずかしな気持ちになりつつ、ぽりぽりと熊頭部を掻いた。
 
 

やましいことはない!!
人助けしかしていない!!

そのままの姿勢でスマホをまさぐる。

この熊は実は有袋類なのであり、スマホは右側臀部にある。

アンテナは三本立っている(ドコモ)。

とりあえず電話したのは119や110ではなく、ソフトクリーム屋のおいちゃんだった。

発信中……

断じて、断じて言うが保身のためではない。

世間様に俺=熊を知らしめることに俺自身はいささかの躊躇いもない。

某男性用化粧品会社の流通事業部主任にして、スカルプシャンプー一つであまたのドラックストアの店長を口説き落とし、「スカルプの貴公子」と呼ばれ社外社外で羨望のまなざしを集めるこの地位には何の未練もない。

そう、人ひとりの命と自分の体裁を天秤にかけるような卑怯な男ではないのである。

嘘です。職質怖い。




俺の着替えはおいちゃんのボートの中にある。以前は念のため着替えが入ったリュック一式を木陰に隠していたものであるが、最近の俺は

船を降りたら俺は熊

と決めていた。

着替えがないというだけで得も言われぬスリルと俺熊感が味わえるのでやめられなかった。

でも大丈夫だ。おいちゃんさえ来てくれれば、女の子も俺の世間体も安泰である。

ンァーーーーーーオレダヨーーーーーーーー

パチンコ屋かよ!!

アーーーーー聞コエネーーーーモシモーシーー??

おいちゃん!
今日日曜日だよ、店離れんなよ!

アー熊かーー。今出てンのヨーーー

今すぐ来て、けが人が

一時間待て、ナッ★

ツーツーツーツー

ナッ☆

じゃねえ!!
リダイヤル!!!

……ただいま、運転中です……

ドライブしてねえし
ドライブをしろよ!!

……う、ん……

セーラー服が身じろぎをした。

うっすらと目を開けて俺の顔を見上げてる。

口がかすかに半開きで、さくらんぼみたいな色をした唇がうるりと光った。

今気づいた。この子すごいかわいい。

彼女はうつろな目が、俺の顔をぼんやりと捉えた。

くま……さん……?

………………クマ~~

正解かわからんが、とりあえず手を振ってみる。

彼女は起き上ろうとしたが、小さく呻いてまた倒れ込んだ。

ど、どっか痛いクマ?

頭、クラクラする

女の子は自嘲気味に笑うと、熊毛にすりっと頬をこすりつけた。

いー夢

ああ、そうきましたか。
なるほど、熊に現実味はあるまい。

このシチュエーションだと俺=リーマンよりも俺=熊のほうが安全に感じるんだな。不思議なもんだ。

熊である俺も気が楽になる。

なんでこんなとこで倒れてたクマか?
事件?

うん、事件になればいいな。
修学旅行のバスから逃げてきたの。

!?

確かにこの森をずーっとずーっと抜けたら国道があって、そこにでかい道の駅がある。
たまにでっかい観光バスが止まってんのも見る。
でもそこから歩いてきたってここまで?
どんだけだ。

東京とか京都とかで修学旅行を抜け出すならまだわかる。
だがな、ここは北海道だ。
ちょっと抜け出すってタイミングじゃないだろ。
それは脱走じゃなくてトレッキングだろ。
今頃捜索隊出てんじゃねえのか。

へーきへーき、あたし空気だから

く、熊には重い話クマ……

なーんか、緑見てたらさー、入って行きたくなっちゃって

彼女がつい、と右手を天に出した。

いくつかの、見てはいけない傷が見えた。
ああ、馬鹿な思春期。恐るべき思春期。

湖も見えてさー、こんなきれいなところならいーかなーって、キメたくなりまして

うッ

彼女の細い人差し指と中指の間に挟まれているのは、手作り感溢れる煙草的なハーブ的な脱法的な巻物だ。

恐るべし、都会の思春期。

だめだグマッ

咄嗟に俺は巻物を叩き落とした。
女の子は、くつくつと妙に軽く笑った。

こんなグッドトリップ初めて。ほんとに見えるんだねー

失礼クマ。
熊はトリップでは無いクマ。
本物の熊クマよ。

大の男がくまくま言ってて本物も熊もないのは分かっている。
だが、トリップ扱いもご免である。

トリップだったらこのような肉球は無いはずクマよ

…………

ぷにれ?

ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷ

俺は自慢の肉球を少女にぷにらせた。
特に肉球のディティールにはこだわりがある。
とことんリアルを追及しているのである。

セーラー服は忘我の表情で肉球をふにふにすると、反対側の肉球も求め、両手で心行くまでふにり続けた。

ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷ

な?

確かに、肉球すばらしい。
けど、でももしクマさんが本物だとしたらそれはそれでやばくない?

大丈夫、野生ではない。
週末熊なので。

しゅうまつぐま?

そうクマ。
熊は週末だけ熊になるクマ。
すべてを解放しおのれを解き放ってリーマンから熊となるクマよ。

ほー

もう一年になる。

スカルプシャンプーを売りに売って、ドラッグストアをラウンドアンドラウンドして、もう俺のスカルプがラウンドするんじゃないかという瀬戸際、気が付くと俺はドンキホーテで熊のキグルミを買っていた。

次の週末に気が付くと俺は山の中にいて、熊のキグルミを着て

がおー

と呟いた。

がおー…

ガオオウ

になり

ウガァアアアオオオオオウ

になり

ウキャャアワオオオオオオオオ(裏声)

になるには30分かかりませんでした。
デスメタル。

それでラクになれる?

人生嫌になっちゃってるJKに聞かれると、なかなかウンと言い切れないものはある。

まあまあクマね

そー

セーラー服はほんの少し同情を瞳に浮かべたけど、すぐにこの歳の少女特有の顔になった。つまり

でもあたしなんか……あたしなんかねえ!

である。俺の最初の彼女もこんなだったなあ。

とても長かったので要約すると、彼女は自分でもいけてると思う顔をしていて、家族もお金持ちで、成績もよくてスポーツも……はしょるが、結果妬まれたのである。そこそこのラインにいる者は特に同じそこそこから攻撃を受けやすい。彼女はよくある、

いじめじゃないですう、なんか合わないだけであの子空気読めないってイウカー

の対象となり、学校がつまんなくなり、かといってそれ以外のコミュニティで友達を求めることも出来ずに高校二年間を過ごした。

もちろん、彼女も頑張ったのだ。クラスで友達が出来ないならと部活をやろうとしてみたり、中学の友達に助けを求めてみたり、何か趣味を見つけてみようとしたり。

だが、そのたびにやってくる静かで遠回りでかつ計算尽くされた悪意の網に嫌気がさしてしまった。最近では罠に引っかからなくても、その気配がするだけで逃げるようになってきた。

多分、もともと感受性の強い子なのだろう。

言ってしまえば未熟なのだろう。

ふらっと修学旅行からいなくなるような子は確かに空気読めないだろうな。

いじめられるようになってから、彼女の中のダークマターが増してより一層イジメラレ成分が増えたかもしれん。負の連鎖である。

いっそ思い切り別の世界に行ってしまえばよかったクマに

おたくなんかいいですよね。友達になるハードル低いし、話題があえばいつまでも盛り上がっていられるしね。

いまどきのオタは必要なスキルが多すぎるのよ

 さいですか。

で、どこにもなじみ切れなくて、手軽な薬物に走ったクマと

そー。人間終了

親泣かすなよ

ほんとにね

少女はほろほろと泣きました。

熊は熊手で彼女の髪を梳くしかなかった。

思春期は馬鹿だ。どうしてこんなに重く、どこまでも真剣に事象と向き合ってしまうのだろう。

たかが高校生活3年。たかが数十人のクラスメート。たかが小さなコミュニティで起こるたかが数時間の苦痛。

そこで繰り広げられるバトルや利害関係は未来に続かない。いじめてる奴は数年後にはひどい社会的敗者になるかもしれず、いじめられている子が人生の大逆転をすることも多い。少なくとも俺の周りではそんなんばっかりだ。

嫌だったら全力で逃げてもいいんだ。命を擦り減らすほど我慢する必要なんてない。

そんなふうに、思うけど。
 

これも、俺が大人になっちゃったから言えることなんだろうな。

うん、思春期こじらせてる頃の俺、
みんなの前で屋上からダイブしちゃおうかなとか、夢想したことあるかも。

……ここにいるのはしょせん熊。
気にしないで泣いとけ。

セーラー服は長いこと泣いてた。

泣きながら肉球ぷにってた。

熊の長い爪は髪を梳くのに向いていた。

ずーっとそうしていると、いつしかセーラー服は眠った。

…………

浅い呼吸。
ドラッグが回って来てるのかもしれない。

俺はやったことないけど、どうせ大した薬じゃないんでしょう。そうだといい。


そのうち、スマホがぶりぶり言い、パチンコが終わったおいちゃんがスマンスマン言って、状況を説明したら超焦っていた。

で、おいちゃんのボートに一緒に乗ってきたおまわりさんに(おまわりさんが!)、今眠れるセーラー服を引き渡したところだ。


ああ、おまわりさんのあの目!!


俺はおいちゃんが持ってきてきくれた服に着替えて、熊から

S社流通事業部主任、
人呼んでスカルプの貴公子

に戻り、おまわりさんにもそう名乗り、神妙に職質を受けた。

・・・・・・・

セーラー服は、静かに眠っている。

多分、彼女がしっかり起きて俺の無実が晴れるまで、人生初の留置場行きである。
俺の別の人生もスタートしちゃったかもしれない。

でも、そんなことより、俺はずっと考えていたんだ。

………そうだ、熊を……

ドンキホーテに行って、もう少し小さいサイズの熊を買ってこよう。


で、彼女にあげるのは、どうかな。
 

おしまい。

熊さんが、出会った。

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