たいしたことじゃないんだ。
でも、思いついてしまったんだ。



ねぇ

きっと喜んでくれるよ?










なぁ、どこまでいくんだよ

この先だよ。バザールはそこでやってるんだ

勝手に外に出たら駄目だって……あとでシンシアに怒られてもしらないぞ

大丈夫だって。シンシアだってきっと喜ぶ




ルデルが買いたいと言っているのは、
海の向こうから運ばれてきたという香辛料。

ナツメグ、シナモン、ターメリック
どれもこの国では手に入らない。









船に乗せられて、
嵐を超えて運ばれて来るそれは、
この国では宝石と同じ価値。










ルデルが今日の今日まで
こつこつ小遣いを貯めていたのは
知っているけれど



それだけじゃ足りないって
手作りのアクセサリーを売ったり

それだけじゃ足りないって
大おば様から頂いた服や靴まで処分したのも
知っているけれど





シンシアの料理はおいしいもん
香辛料があったらもっとおいしくなるって、シンシアが言ってたんだ

知ってる? 香辛料を使えば、甘い、とか酸っぱい、とか、いろんな味が出せるんだって

くぅぅ~っ! 想像しただけでたまんない!



シンシアは料理が上手だ。
塩だけであれだけ美味しいんだから、
ルデルが言うこともわかる。



でもね
香辛料は高いんだ。

……





それだけじゃ足りない、ってことを

僕は
……知ってる。

















シンシア、というのは僕らを育ててくれた人。
母親、ではない。


彼女には僕らのような「耳」が無い。
いや、僕ら以外の誰も、
こんな「耳」を持たない。



家にやって来る人も
家の外を行き交う人も

きっと、バザールにいる人も。



きっと違っているのは僕らのほう。
だからシンシアは、

外に出ては駄目よ

……と言うのだろう。














なあ……ルデル

なに?

帰ろうよ。やっぱり駄目だ。誰かに見つかったら




外の人には「耳」が無い。
僕らにしか「耳」は無い。


それは、

僕ら「が」違う、

と言うこと。





珍しい「獣人」

その価値は――



おじけづいたの?

大丈夫さ。奴らが襲ってきたら、噛み殺してしまえばいい。
僕らにはその力があるんだ。牙も、爪も、

駄目だよ。シンシアは誰かを傷つけちゃ駄目だって言ってた

そうして買ってきたって……シンシアは喜ばないよ

あっそう。それじゃ僕だけで行く。お前は帰ってシンシアのおっぱいでも飲んでればいいんだ

そんなこと!

待って! ルデル!!















僕はルデルを追いかけた。

でも本気を出した獣人に
獣人の「オトナ」に

僕の足がかなうはずがない。









僕らの距離は次第に離れていって





ルデル!!




いつか、

僕の視界から
ルデルは消えてしまった。




ルデルを見失った僕の前に現れたのは
一軒の薬屋だった。


ツン、と鼻につく臭いは
嗅いだこともないもので



なぜか、心がざわざわする。


……あら、珍しいお客様ね

シンシ……ア?




驚いた。


だってそこにいた人は
僕の知っている人に……

シンシアにそっくりだったんだもの。




ええ、そうよ

シンシア、なの? 本当に?

彼女の名も「シンシア」というらしい。
でも、僕のことは知らないみたいだった。




と言うことは、




彼女は
僕の知っている「シンシア」に
とってもよく似ているけれど

僕の知っている「シンシア」と
同じ名前を持っているけれど




僕の知っている「シンシア」では無い、
と言うことで








僕は、とっさに
近くに置かれてあった布で「耳」を隠した。






「耳」、ね

!!

見られた!

大丈夫。ここには他に誰もいないわ
だから、そんな布を被らなくてもいいのよ

……

誰もいないけど
「あなた」がいるじゃない。



……ね、「シンシア」

……


僕ら「獣人」は存在を知られてはいけない。

だって僕らは珍しいから。


その価値は、



宝石数百個よりも上、だって……






この人は「シンシア」にとってもよく
似ているけれど

でも、「シンシア」じゃない



存在を知られるのは
……危険


……

こんな人の多い街に何をしに来たの?
捕まったらどうなるか、知っているでしょうに




でも、とっても「シンシア」に似てる。

……バザールを……見に、来たんだ。

バザールで売ってる香辛料を買うって、ルデルが、

ルデル?

…………うん
でも、はぐれちゃって、今はいない




そう。
早くルデルを探さなくっちゃ。

ルデルは僕より早く「オトナ」になったけど、



中身はずっと
僕より子供だ。



そう。……その子は、

…………この子?

ルデル!?

そのルデルによく似た獣人は
何も喋らない。



その肌は浅黒く、
目だけが血走ったように紅く。








……それは、

魂が抜けている
ということを表している。








そう。
大おば様が亡くなった時と同じ。





そう言えば
大おば様は、あの後どうしただろう。


たしか、
シンシアが棺の蓋を閉めて……





それじゃ、あなたに渡しておくわね
「シンシア」にあげるのでしょう?



そう言うと彼女は
奥の棚から何かを取り出し、


僕の前に置いた。

……?

ルデルが買った香辛料よ。
「シンシア」にあげるのでしょう?



皮でできた袋は
手のひらにすっぽりと収まる大きさだったけど
ずっしりと重い。


かなり高価なんじゃないだろうか。



何故?

ルデルの持っていたお金じゃ
香辛料なんて手が届かないはず。

それに、


まだわからないのかしら。
ここが「バザール」。この店の名前。

……

あげるんでしょう?
「シンシア」に



ここが「バザール」だったとして、


ルデルが
香辛料を買えたのだとして、


その時に
「シンシアにあげるんだ」って話を
彼女にしたとして、



……



そこにいるルデルは、なに?





あの……その、ルデル……は?

ああ、これは駄目よ?
その香辛料のお代なんだから





僕ら「獣人」の価値は、
宝石数百個分




まさか

まさか、ルデルは


ルデルが、代金……?

ええ




僕らの、「価値」は

悲しむことないわ。「オトナ」になった「獣人」は、遅かれ早かれこうなるんだから

「獣人」の身体は価値があるの。
いい薬になるのよ。私たち「人間」にとって

血も肉も、牙も爪も、ね

大おば様も、高く売れたのよ?

……

シンシアもきっと喜ぶ。そう思わない?

あなたはまだ「コドモ」だから、もう少し大きくならないと価値がないわ

これでいっぱい美味しいものを食べて、大きくなってね

……



何を、言っているの?

さ、それをシンシアにあげるのでしょう?



彼女はそう言うと、
僕の手に皮袋を握らせ――

それを、頂戴?



手を、差し出したんだ。

  「それを頂戴?」

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