…ふぅ。

ごく普通の男子高校生である伊藤フラムは、今日も退屈な授業を終え、帰り支度を整えている最中だった。
手元の端末に届くメールは、相変わらず広告の類ばかり。わざわざ内容をチェックするのは、母親と妹からのメールだけだ。それも、たいていは都合のいい買い出しを頼まれるだけで、実りのある話はひとつもない。
あいにく、今日に限っては、そういった退屈な用事も入っていない。

…帰ろ。

早々に帰路につくことにした伊藤フラムは、周囲のノイズをいち早くシャットアウトするために、耳に掛けたイヤホンから流れる音楽に意識を集中させる。
これがあれば、同じような景色でも、少しはマシに見えるというものだ。帰りの電車から見える景色も、いつもとたいして変わりはない。
駅から自宅に歩く道すがら、少し太った野良猫と目が合った。家の冷蔵庫の麦茶は、容器の半分ほどまで減っていたが、よく冷えていておいしかった。
妹はまだ帰っていないようだ。
友達と、どこかで遊んでいるのだろう。
両親の帰りは、いつも遅い。そういう家庭だから。

(ズンチャズンチャ)

束の間の、一人の時間。
何をするでもなく、ソファにどかっと腰掛ける。
ループ再生のマイリストは、すでに2週目の中盤に差しかかっていた。なんだが、テレビを付ける気にもならない、そんな時間。リビングの電気も、暗いままだ。
曲の終わったタイミングで、イヤホンを抜き、現実の世界を受け入れる。静寂といえなくもない喧騒も、家の中ではだいぶ遠い。

…でゃっ!?

自室にかばんを置くために、よっと立ち上がった刹那、視界の端を何かがよぎった。当然、見なかったことにするという手も考えたが、その場合次に悲鳴を上げるのは、母親か妹だ。
父親に次ぐ大黒柱の身としては、ここは果敢に立ち向かうのが筋というものだろう。殺気を気取られないよう、何でもない風に、ダイニングテーブルの上に広げられた本日付の新聞に手を伸ばす。
玄関に積まれた古新聞を取りに行くという発想が浮かばないほどの緊張感が、その場を支配していた。
なんなら、今履いているスリッパの方が、事後処理がスムーズだろうに。

………。

今夜のテレビ欄が読みにくくなるという痛手と共に、真新しい新聞が棒状に丸められる。少年の瞳には、戦場の兵士さながらのどす黒い焔が宿っていた。
状況を整理するに、影が向かった先は、写真や小物類が置かれたキャビネット棚の裏側だ。動かすのは骨が折れるし、その瞬間、やつはどこかに逃げ出してしまうだろう。

どんっ!

次善の策として、蹴りによる衝撃音で誘い出しにかかったは良いものの、飛び出してきたそれの数は、あまりにも多かった。

ぱぁん!

とりあえず、自分の方に向かってきた一匹は仕留めた。
もう一匹は、天井に張り付いている。
あとの数匹は見逃した。どこ行った。

ぱぁん!

渾身のジャンプで、無事こと無きを得た。
しかし、少なくともあと3匹は、その存在を目視で確認したのだ。だが、行方までは見なかったので、推理するしかない。

どんっ!

ソファを蹴った。

ぱぁん!

いた。やった。仕留めた。
そして、麦茶の残ったコップの横から、長細い触角が覗いている。

ぱぁん!

ちょろいもんだぜ。残すはあと一匹。
と、玄関から上がる悲鳴。

ぱぁん!

渾身のダッシュとともに、妹の差す指の先にいたそいつを、ものの見事に葬り去る。
ひとまず、危機は去った。妹の前でも、かっこいい所を見せられた。これで、家庭内での地位も、向上するというものだろう。

…ぃゃ…

だが、頭上でひしめき合う、ガサゴソという音が、安心を許さなかった。下で騒いだせいで、反応したものなのか、はたまた最初からしていた音なのか。
だが、確かに言えることは、この家はもう、やつらの手中に落ちていたということだ。

そんな…

ぽとりと肩に落ちてきたそいつの、無機質な顔立ちに、無言の嘲りを見た気がした。
(完)

ミリタリー・シャドウズ

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