名もなき歌
名もなき歌
家のない少女のために
小鳥が歌った
優しい小鳥のために
少女が歌った
どこからともなく現れたその美しい歌は
人々の心を魅了し長く歌い継がれた
いくつもの壁を越え
世界中の誰もがその歌を知っていた
どこからともなく戦がやってきた
長い夜の中
人々の心に悲しみばかりがつもり
あの美しい歌は
重い扉の向こうにしまい込まれてしまった
ある戦場で一人の兵士が
絶望に打ちひしがれていた
友はみんな死んでしまった
自分ももう助からないだろう
カタキをとってやる
立派に散ってみせる
そんな勇ましい気持ちさえ
束の間の静寂と途方もない
虚しさに呑み込まれてしまった
自分はなんて情けない人間なのだろう…
国のため
友のため
妻のため
母のため…
いいや、本当を言えば
戦うしかなかった
ただ戦うしかなかった
彼はその場に武器を捨て
小さな声で歌を歌った
遠い故郷で友と歌い合ったあの歌を
母の腕の中で聞いたあの美しい歌を
もうあの日には帰れない
一緒に歌った友はもういない
そして私も…
戦場で敵の顔など見る者はいない
考える前にやらなければ
自分がやられてしまう
相手を人と思えば殺せなくなる
ただ、無我夢中で戦うだけだ
そんな戦場に異様な歌が流れていた
なんだこれは?
おい見ろ、敵がひとりで歌っているぞ
見ると、一人の男が空を仰いで立っていた
彼は武器も持たず、涙を流しながら
しかし力強く歌っていた
もうすぐ敗北するというので頭がおかしくなってしまったんだろう
ああ、でもこの歌…
その歌は自分が幼い頃に
耳にした懐かしい歌だった
遠い過去がよみがえる
まるで夢を見ているような気持ちだった
まさか敵もこの歌を知ってるなんて
怪物だと思っていた敵が急に人に思えて
彼らは引き金を引くことができなかった
なんだか俺、気が休まっちゃったよ
…ああ、俺もだ
彼らは武器をその場において
一緒に歌い出した
誰もが知るその歌は
敵と味方の壁を越えて
忽ち戦場を包み込んでいった
何をしている、もうすぐこちらの勝利だ
死んだ仲間たちのためにも最後まで戦え
この戦に勝ったって、
また新しい戦がやってくるだけさ
私にはあの彼が敵のようには思えません
…私たちは何か大きな間違いをしていたような気がするんです
…
長く途切れることのなかった
虚しい死の音が止んだ
なんにもない大地に
ただ美しい歌が流れている
風が吹いて見上げれば
忘れていた青空がそこにあった
あれから長い年月が流れた
未だ人々の間に争いが絶えることはない
しかし昔のように
戦争で命を落とす者は一人もいない
悲しみに心を痛めるものもいない
兵士が手にしているのは
武器ではなく楽器だ
誰も殺されることも
殺すこともない
歌と踊りの戦いである
戦うのは男だけではない
女も子どももおじいさんおばあさんも
みんな一緒に歌うのだ
希望の歌は風に乗って
悲しみの涙をさらっていく
つめたい春に
笑顔が咲く
それから
年に一度の平和の日には
例え争いの最中であろうと
世界中の人々があの名もなき歌を
合唱するのである
今日も誰かの想いを
乗せて歌が流れている
耳を澄ませば
誰かのために
小鳥が歌っている
あなたのために
誰かがうたを歌っている
-終-