昔々、あるところにシンデレラという名の薄幸の美少女がいました。
 シンデレラを産んでくれたお母さんは幼い時に亡くなり、お父さんは新しいお母さんと二人のお姉さんを家に連れてきました。
優しく誰からも愛されるシンデレラは、継母と姉たちとも仲良く暮らしていましたが、ある日、お父さんが亡くなってしまい……事態は急変! 
継母と姉たちは今まで被っていたでっかい猫を投げ捨てて、シンデレラを召使のようにこき使い、苛め始めたのです! 
ああ! なんという悲劇の始まり!

 

……そんなことするわけないし、できないわよ!

 私の世界に突然、甲高い声が響きわたった。

まあ! 恐ろしい! この声は……地獄からの叫びっ?

い・い・え! シンデレラ! 母の心からの叫びよ

 振り向くと、そこには私の二番目のお母様、継母が仁王立ちしていた。
 いつ見ても、なんて素敵な……悪魔顔なんでしょう。二人のお姉さまたちも魔女よりの顔立ちですけど、やっぱり偉大なる母の悪魔顔には敵わないわ。
 お母様はそのご立派な悪魔顔を赤く染め、私を睨みつける。もう少し眉間の皺が深くなれば、より苦みが増すでしょうね。

シンデレラ! いい加減にして! そんな馬鹿げた物語を書くのを辞めて! また広場で朗読する気なの?

 私は書きかけの物語を閉じ、お母様に穏やかに言う。

馬鹿げてないわ、お母様。街のみんなは、私の創る物語をとても楽しみにしてくれているのよ。それより、今朝からお姉さまたちの姿がないのだけれども……

 私は辺りを見回し、ある可能性に気づき血の気が下がる。

まさか、まさか……お母様! お姉さまたちはもう王子様の妃選びの舞踏会へっ?

そんな舞踏会の予定は聞いた事が無いわ。あのね、シンデレラ。あの子たちは寄宿学校へ入れたのよ

そんな! どうしてっ? 歳の近いお姉さまたちの苛めは、お母様の苛めとはまた違った切り口で、思春期の女子独特の陰湿な嫉妬が混じって、イイ感じだったのに!

……あなたの言うイイ感じって何なのか知らないし、知りたくもないけど……

 お母様は疲れたように、溜息を吐く。

シンデレラ。私があの子たちを寄宿学校へ入れたのは、あなたが原因なのよ

私……?

ええ。あなたがご近所の皆様に、お姉さんたちに苛められてる振りをするから、あの子たちは嫁の貰い手どころか、友達も出来なくなっちゃたのよ。それで、すっかり引きこもりになっちゃって……

そうだったの……。私ったら、お姉さまたちは日焼けが嫌で、外出しないんだと思ってたわ

 予想外の展開に私は考え込む。
 う~ん……そんな事になるなんて。顔に似合わず、お姉さまたちはガラスのハートの持ち主だったのね……。私はガラスの靴が欲しいけど。
 お母様は真剣な顔で、真っ直ぐ私の目を見る。

どうしてそんなに自分を苛めて欲しいの?

仕方ないのよ。大きな幸せを掴むためには、大きなな不幸が必要なの

……何を言ってるの?

 
 怪訝な表情の無知なお母様に、私は小声で教えてあげる。

私、最初のお母様が亡くなった時に気づいたの。何かを得るには、代償を払わなければダメって。パンを買うにはお金を払うし、小麦を得るには労力と時間を払うわ。これは世界のルールなのよ

 お母様は悪魔顔に似合わない慈愛の満ちた目で私を見つめ、優しく頭を撫でる。

シンデレラ……あなたはもう十分、不幸な子よ。幼い時に母親がボートから落ちて亡くなって、たった一人の血の繋がった父親も同じ事故で……。おまけに、今は変な考えに取りつかれてしまって……。可哀想なシンデレラ。きっと不幸が重なって、心が疲れてしまったのね。ごめんなさい、私がもっとあなたの力になってあげられれば……

 お母様は声を詰まらせ、涙の滲んだ目をハンカチで覆った。

だめよ、お母様。まだ不幸が足りないわ。最愛の父親を亡くし、継母とお姉さまたちに苛められ、ドン底の生活を送らないと、王子様と結婚するという大きな幸せは得られないわ

王子様と結婚っ? そんなとんでもない事を夢見ていたの!

 お母様は驚き仰け反る。お母様の攻撃的に尖がった顎がよく見える。

ねえ、シンデレラ。もっと身近に幸せを得る方法はあるはずよ。……あっ! 森にいる
猟師さんと会ってみない? 何でも人食い狼を倒して、少女とおばあちゃんを助けた、とても勇敢な男性だって話よ。それとも、最近、大きな豆の木を育てて、大金持ちになった男性はどうかしら? まだとても若い人らしいわよ

 私は首をゆっくり横に振る。

いいえ、お母様、私が欲しいのはお姫様の人生なの。勇敢な猟師の妻でも大きな豆の金持ちの妻でもないの

シンデレラ……どうしてそこまで?

最初のお母様もお父様も短い人生だったわ。私の人生も両親に似て短いかもしれない

そんなこと……!

 私は何か言おうとしたお母様の言葉を遮る。

いいの。短いからこそ、自分に賭けてみたいの。お願い! お母様! 私を愛してるなら、私を苛めて! 不幸にして! お母様!

 お母様が息を呑んだのを感じた。少し目を伏せ考えた後、顔を上げる。私の敬愛する悪魔顔には、諦めと優しさの混じった、不思議な表情をしていた。

……わかったわ、シンデレラ。それであなたが満足するなら、私は意地悪な継母になるわ。お姉さんたちにも事情を話しましょう。優しいあの子たちの事だから、きっと戻ってきて協力してくれるわ。あの子たち、寄宿学校に旅立つ直前まで、あなたのことをとても心配していたのよ。あの子たちにとって、あなたは本当の妹なのよ

……ありがとう! お母様! 愛してるわ!

 感極まった私はお母様に抱きついた。

まあまあ、シンデレラったら。ふふ……こんなに無邪気なのに、その小さなおつむはすごい事を考えてるのね

ええ、そうよ……すごい事を知ってるし……考えてるわ


 私は最初のお母様が亡くなった時、この世のルールを知ったのよ。
 ボートに乗っていたのは、お母様と私って世間ではなってるけど、本当は違うの。お父様がいたのよ。優しいお父様は、私を苛めるお母様を見かねて、ボートから捨てた……っていうのは、私への嘘よ。本当はお母様の財産欲しさと、娘の私だけではなく、自分にも暴力と暴言を撒き散らす妻を捨てたくて堪らなかったのね。
 だからって……

お前を助ける為にお母さんを殺した

と幼い一人娘に恩を着せ、嘘の証言をさせた。
本当に……反吐が出そう。アレの血が私にも流れてると考えるだけで、私は自分の身体中切りつけて、血を全て抜き捨てたくなる。そんなことができたら、どんなに救われるだろう?
 でも、ルールを知ったのは良い事よ。
 何かを得るには、何か代償を払わなければいけないわ。
 私はお母様から逃れる代償に、お父様から一生分の恩を着せられ、お母様を見殺しにしたという罪を背負わされたわ。
 なのに、お父様は何の代償も払っていない。罪悪感? 心がないのに、罪を感じるなんて無理よ。
 お父様はお母様の財産と自由を得た。その後、さらに新しい金持ちの妻と娘たちまで手に入れた。
 私は新しいお母様と初めて会った時にすぐにわかったわ。新しいお母様の悪魔顔と身に着けている豪華なドレスと宝石……
 また……同じ事をする気だわ、この男。
 ……許すわけにはいかない。代償も払わないまま、新しい幸せを得るなんて。この世のルールから外れてるわ。
 私は……お父様をボートから捨てた。代償は払わないとね。
 

お母様! 王子様と結婚したら、絶対にお母様とお姉さまたちもお城に住まわせてあげるわ!

継母と義理の姉たちをお城に住まわせるなんて、王子様から反対されるわよ。あなたの気持ちだけで十分よ

ううん! 大丈夫よ! もし王子様が反対したら、ちゃんと手は考えてるから安心して

え? 手は考えてる? シンデレラ?

 お母様は怪訝な顔をしたけど、私はただ微笑んでお母様に抱きついていた。

 私の本当の望みは……やっと手に入れた優しい家族を手離さないことよ、お母様。

シンデレラ前夜譚

facebook twitter
pagetop