遊びに来た悪魔から『人核』というものを貰った。人核はガラスのようなものでできていて、ビー玉くらいの大きさ。深緑色で透き通っていて、まるでビー玉、というかビー玉にしか見えない。彼がいうには、悪魔たちの会合で貰ったものの、自分では使い道が思い浮かばなくて、そうだ私にプレゼントしよう、と思い当ったらしい。おそらく、持っていたら邪魔になるから、というのも理由の一つだと推測する。彼の性格や考え方は、長く付き合ってきたせいもありなんとなくはわかっているつもりだ。まあもっとも、私は変なものが好きだし、こういう物を贈る相手としては間違っていないような気もする。

 それにしたって、いい歳の女性(私だ)の家を訪れて物を贈ろうっていうときに裸のまま、しかもジーンズのお尻のポケットから出してそのままというのはムードが無いものだ。箱に入れてリボンをかけろとまではいわないが、百均にでも行けば可愛らしい感じのラッピングなり袋なりは手に入るだろうに。わがままだろうか。

で、これ、どうやって使うの?

小麦粉に砂糖とスパイスを入れて練った中に埋め込むと女の子になる

女の子だけ? 男の子は?

カエルとかカタツムリとか入れなきゃいけないから、俺、都会育ちでしょ? 触りたくない

 マザーグースね、と口には出さずに思い浮かべる。だったら女の子を作るときには素敵なものもたくさん入れてあげなきゃいけないなあ、と考える。男の子は、確かに作るのにためらいそうだ。私自身もカエルやカタツムリなんて小学校以来触ってないし触れる気もしないし、なにより、子犬のしっぽを切り取るわけにもいかない。
 人核をつまんで眺めながらいろいろと考えを巡らせていたが、ふと横を見ると悪魔は舟をこいでいた。さっき飲んだお酒が回ったのだろう。壁の時計を確認すると午前一時を過ぎていて、私は彼を起こした。

今日はもう遅いから、キミもう帰りな? 布団で寝たほうがぐっすり眠れるでしょ?

 悪魔は体をびくっと震わせて目を覚まし、とろんとした目つきで、お前の横で寝たいんだけど、なんて寝ぼけたことをいった。

バカ

その日はそれで彼を家から追い出した。

 彼とはいい友達関係を築いていて、ときどき家(といっても賃貸のマンションだ)に招く。悪魔は我が家から徒歩でほんの十五分くらいのところに住んでいる。住所も知っているけれど、私が彼の部屋を訪れたことはない。彼は、家とは食事と睡眠だけのため、と常々公言しており、実際のところとてもシンプルな生活をしているらしい。不動産屋で見かけた、彼の住むマンションの間取りはワンルームらしく、そこにベッドとテレビ、食事用のテーブルだけが置いてあるのかもしれない、と想像したことがある。おそらくそう外れていないだろうが、当たっていたからと言って何があるわけでもない。酔っぱらった悪魔が無事に帰り着いてくれるといいんだけど。さっきまで遊んでいたテレビゲームを片付け、テーブルの上の食器やお酒の空き缶たちもキッチンへ引き上げる。

 男女の間に友情は成立するか。難しい問題かもしれない。
 今までに、友達だと思っていた男性から告白されたことがある。いいかな、と思って付き合ったこともあるけれど、友達同士のときの様に屈託ない意見の言い合いが出来なくなって恋人関係を解消することになった。友達には戻れず、つまり、友達を一人失った。

 幸いなことに悪魔と私はお互いに相手を友達だと思っているようだ。私にとっては『大事な』という形容詞が付く。悪魔にとってはどうだろう。彼はとても交友関係が広く、男女問わず友達が多い。家にまで遊びに来るのは私くらいのもののようだが、それは私が古いゲーム機を所持していることを伝えたせいかもしれない。イイトシをしたオトナはゲームなんかしないらしい。親にもいわれたし、他の友人とゲームの話をすることもない。

 そういうわけで悪魔はときどき我が家を訪れるのだけれど、恋人関係では、ない。人間と悪魔の種族の壁なんていうのもあるのかもしれない。彼に訊いてみないとちゃんとは判らないと思うけど。

 悪魔とは小さな居酒屋のカウンターで知り合った。私たちが住んでいる町には大きな大学があって、学生向けの飲食店が立ち並んでいる。贔屓にしていた店でたまたま隣同士になり、たまたまその日は他にお客さんがいなくて、大将と三人でバカ話をして盛り上がったのがきっかけだった。その居酒屋も一年程前に閉店してしまった。売り上げが下がったわけではなく、事情で実家に帰らないといけなくなった、と大将からは聞いた。思い出の店のあった場所には居抜きで別の居酒屋がオープンし、けれどいつも若い子たちが群れているのでちょっと入ってみようという気にはなれない。近所のいくつかの居酒屋を悪魔と一緒に開拓してみたけれど、思い出の店程に居心地のいい店というのはどうやら近所にはなさそうで、けれどたまに訪れるならいいかなという店は数軒見つけることができたので、外食に困ることはない。自分でも料理はするので、もし悪魔がいなかったらもう外食とも離れてしまっていたかもしれない。外食から離れたら外出そのものが億劫になっていたかもしれない。悪魔に感謝するところだ。

 洗い物を手早く済ませ、ゴミを分別してゴミ箱へ入れる。シャワーを浴びたいと思ったが、さすがにこの時間は近所迷惑だろうと諦める。歯を磨き、顔を洗うだけでごまかすことにする。化粧水を手に取り、その手で顔を包む。眠気がやってきている。乳液も同じように顔に伸ばし、パジャマに着替えて布団を敷いて潜り込んだ。

 翌朝、日曜日。目を覚ますといい天気だった。これ幸いとシーツを洗って布団と共に干した。布団を干してしまったのでごろごろすることはできない。さあ、どうしようか、と思ったところに昨日貰った人核が視界に入る。

お菓子でも作ろうかな

 食品の在庫を確認すると、薄力粉もあるし、無塩バターもこの間買ったものが封を切らないまま冷蔵庫に入っていた。生姜のチューブとシナモンパウダーを確認して、ジンジャークッキーを作ることにした。

 自分で食べる用なので、あまり手間のかかることはしたくないな、と思った。粉はふるわずにボウルの中へ。ベーキングパウダーも入れる。ここにレンジで融かしたバターを入れて混ぜる。粉っぽさがなくなるまで混ぜる。砂糖と少しのはちみつ、生姜チューブ、シナモンパウダーを入れて、今度はダマがなくなるまで混ぜる。ヘラが生地の重さにもったりとして手が疲れてくる。分量が多すぎたかもしれない。一人では食べきれないかもしれない。悪魔にも分けてあげよう、なんて考えているうちにダマがなくなってきた。
 寝かせるために生地をポリ袋に入れようとして、やっぱり分量が多かったと確信した。中サイズのポリ袋一袋では口が縛れそうになかったのだ。仕方がないので二つに分ける。
 と、ここでそもそものきっかけであった人核のことを思い出す。思い出せた。二つのポリ袋に分けたうちの一つに人核を埋め込む。埋め込んでいると、自分が奇妙なことをしているようで笑えてきた。実際奇妙なことをしているのだけれど、これが女の子になるならともかく、本当にビー玉で何の変化も無かったら、私は自分がバカにした悪魔から騙されたバカだということになる。想像したらおかしくて、声に出して笑った。
 ポリ袋二つは冷蔵庫に納めた。

 壁に寄りかかって本を読んでいたらずいぶんと時間が経ってしまったようだった。考えていたのだ。女の子にどんな『素敵なもの』を教えてあげようかと。映画に本に旅行先。音楽や食べ物や演劇や。時計を確認すると、クッキーを寝かせるには十分な時間が経っていた。

焼きましょうかね

 誰もいない部屋で声に出して、冷蔵庫のドアを開けようとした。誰もいない、部屋。小さな、聞き取れないほど小さな声で返事が聞こえたような気がした。でも、空耳か外の声だろうと思った。
 冷蔵庫を開けるといたのだ。小さな、女の子が。ポリ袋の中でバタバタしている。私は袋を取り出して、開けた。どうやら悪魔は嘘つきではなかったらしい。
 小さな、手のひらほどの女の子。愛が零れ溢れているとでも形容したいような笑顔でこちらを見つめている。

 変わるものと変わらないものと、女の子が現れたのは変化で、もしかしたら大きな変化で、うっすらと期待していたことではあったけれど実際に起こってしまうとどうしたらいいのかわからないもので、玄関のチャイムが鳴って、女の子をとりあえず待たせてドアを開けると変わらない悪魔がいて、ひゅっと体の力が抜けたのだ。

今日もゲームしようよ

 そう言って返事も聞かず上り込む悪魔。そのいつも通りの行動に気持ちが楽になった。そしてキッチンを通った悪魔は女の子と出会う。

アレ、使ったんだ。いいね。かわいい子じゃん

 ニヤニヤしながら続ける悪魔。

パパが必要じゃない? 俺でよければ一緒に暮らさない?

 ふざけて言っているのは明白で。

バカ

 笑ってキッチンに戻った。女の子とクッキーを焼こうと思った。あとは型で抜いてオーブンに入れるだけだ。悪魔は勝手にテレビゲームのセットを始める。女の子は大人しくキッチンで待っていた。私はクッキー生地を伸ばし、二個ほど型で抜いて見せた。

やってみる?

 キラキラと目を輝かせ、その体には大きすぎる型で懸命にクッキーを抜く。抜かれた生地をオーブンシートを敷いた天板に並べてゆき、埋まるとそれをオーブンに入れた。あとは二十分弱待てばいい。私たちは笑いあった。
 冷蔵庫にリンゴジュースが入っていたのを思い出したのでショットグラスに注いだ。二人で悪魔がゲームをやっている横に行き、プレイの感想を言い合った。
 オーブンが鳴り、私はクッキーを取り出す。スパイス類のいい香り。焼き色もきれい。自分でも上手く焼けたほうだと思う。深皿に入れ、悪魔と女の子のもとに持って行った。二人とも喜んでクッキーを食べた。私も。今までに経験した事のない類の楽しさだった。

 クッキーがなくなると、女の子は立ち上がって深々とお辞儀をした。

今日はどうもありがとうございました

 あ、いなくなっちゃうんだ。そう思うと少し寂しかった。

いつかまた会うことになると思いますが、その時はまた、よろしくお願いします

 そう言って窓から(ちなみに三階)から出て行った。びっくりして窓の外を見たけれど、女の子の姿はどこにも見えない。

行っちゃったね。また会えるって、なんだろ?

 悪魔がちょっと挙動不審になって

えっとね

俺はよく知らないけどさ

コイツ、何を隠しているんだろう。

女の子には(個人誌『born to sing』より)

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