放課後。

 勇太はカフェテリアを貫くエスカレーター傍の椅子に陣取り、木根原が下りてくるのを待っていた。

 香花から渡された『指令書』の内容は、クリスマスカードとクッキーのお礼に今日の放課後木根原を『デート』に連れて行くこと。しかも兄貴と勁次郎、そして香花の三人の連署入りである。

何で、俺が……

 多分兄貴が画策したことに違いない。あの兄貴のにやっとした顔を思い出し、勇太は胸がむかむかするのを感じた。

 その上、更なる問題がある。……勇太がデートに連れ出して、果たして木根原は喜ぶのだろうか。

どう、しよう……

 じりじりとした想いに、勇太は無意識に唇を噛んだ。

 勇太のそんな焦燥感をあざ笑うかのように、木根原はなかなか姿を現さない。

 既に家に帰っているということはないだろう。木根原が四限目に取っている授業が休講になっていないことは確認済みである。真面目な木根原のことだから授業にきっちり出席した上に先生に何か質問でもしているのだろうか。

 そんなことを考えていた勇太の眼の端に見慣れた姿が映った。

木根原

 木根原の姿を認めるや否や、勇太は一気に椅子から立ち上がるなりエスカレーターの前に立つ。

勇太さん

 驚きに目を丸くした木根原の表情で、勇太の視界はいっぱいになった。

どうしたんですか?

……一緒に、帰らないか?

 木根原が来るまで散々言いたい台詞を考えていたにもかかわらず、口をついて出たのはたったこれだけ。女の子を誘った経験が無いからとはいえ、これではちょっと直接的過ぎる。勇太は自己嫌悪に陥った。

良いですよ

 が、木根原の方はそんな勇太の気持ちに全くといっていいほど気付いていないようだ。いつもの調子でそれだけ言うと、勇太の方を向いて少しだけ首を傾げ、そしてにこりと微笑んだ。

 たったそれだけのしぐさなのに、勇太の心はさっとほぐれる。二人はつかず離れずの距離で歩き出した。

 終業時間が過ぎて静かになったオフィス街を抜け、駅前商店街に入る。

……

……

 その間、勇太も木根原も押し黙ったままだった。

 何か、話さないといけない。焦りが、勇太の口を重くさせる。

 『指令書』に書かれていた、飲食もできる洋菓子店の看板がやっと目に入り、勇太はほっと息を吐いた。

ここ

 木根原の、本が入っている布鞄の持ち手を弱く引き、歩く木根原の足を止める。

……あの?

 洋菓子屋の前で急に立ち止まった勇太に木根原が首を傾げる様が、瞳に映る。その木根原の柔らかい腕を半ば強引に掴むと、勇太は無言のまま店の門を潜った。

え?

 当惑する木根原の声を無視し、勇太は近くにいた店員に指令書に書かれていた通り

予約した雨宮ですけど

と言った。

ああ、ハイハイ

 既に兄が手を回していたらしい、店員は愛想良さそうに微笑むと、勇太と木根原を奥のテーブルへ案内した。

 席に木根原を座らせ、自分も座るとやっと心が落ち着いてくる。

あの、勇太、さん?

 木根原はまだ当惑していた。

何で、急に?

 もう一度首を傾げた木根原の疑問に答えるかのように、先程の店員がケーキの乗った皿を二枚持ってくる。

 大きな、色々なものが乗っている皿を木根原の方へ、小さいケーキだけが乗った皿を勇太の方に置き、木根原に紅茶を、勇太にコーヒーを出すと店員は

ごゆっくり

と一言だけ言って去って行った。

……え

 目の前に置かれた皿を見て、木根原が当惑と歓喜の入り混じった声をあげる。

これって……

 確かに、木根原が当惑するのも分かる。

 皿の上にあるのは、チョコレート色をした様々な形のケーキが四つと、上にチョコレートソースがかかった白いバニラアイスと茶色っぽい色をしたアイスクリーム、そしてチョコレートクッキー。和菓子も好きだがチョコレートも好きだと小さな声で言ったことがある木根原には嬉しい組み合わせだろう。

 一方、勇太の皿には抹茶ケーキの小さいのが申し訳程度に乗っていた。まあ、甘いものが苦手な勇太だからそれで良いと、思う。

これ、全部食べて……?

 まだ信じられないと言った面持ちで木根原が勇太に尋ねる。

大丈夫大丈夫
全部食べて良いから

 何も入れないコーヒーを一口飲んでから、勇太はゆっくりと、答えた。

嬉しい
……いただきます

 皿に向かっていつもの通り手を合わせてから、木根原は喜びに満ちた笑みを浮かべ、手前のケーキにフォークを入れた。

……これ、頼んだの、雨宮先生?

 堅そうなケーキを一口頬張り、紅茶を飲んだ後で木根原が尋ねる。

え?

 何故分かったのだろう?

この前、先生に『ケーキは何処のが美味しいんだ?』って訊かれたから、私、ここのザッハトルテを推薦したの

 なるほど。それであの甘い物に全く興味を示さない三人組がここを指名したのか。勇太は妙に納得した。

……勇太さんは、それだけで良いの?

 ケーキを大部分食べ終わり、少し溶けかけたアイスクリームに取り掛かった木根原が勇太に尋ねる。

あ、うん

 やはり甘いものには興味が無い勇太は簡単に返事をした。

ふーん
……そうだ

 不意に、木根原が自分の皿を勇太の前に押し出す。そしてカラメル入りだという茶色のアイスを勇太に示した。

これだったらあまり甘くないです

 言われるままに、抹茶ケーキを食べたフォークでそれを少しだけ掬って食べてみる。ほろ苦く、甘い味が口一杯に広がった。

美味しい、ですか?

う、うん

 確かに、美味しいと言えば美味しい。勇太は小さく頷いた。

良かった

 勇太の言葉に、木根原が微笑むのが見える。その笑顔に勇太の心も嬉しくなるのが、分かった。

 店の外に出ると、既に辺りはすっかり暗くなってしまっていた。クリスマスバージョンにライトアップされた駅前商店街が華やか過ぎるほど華やかに輝いている。

……あ

 腕の時計を見て、木根原が大声をあげる。

帰らなきゃ

送っていくよ

 お腹に食べ物を入れたからだろうか、今度は言葉がスムーズに出た。

良いの、ですか?

もちろん

 木根原の下宿先は駅裏にある。そのくらいの距離だったらそんなに手間でも無い。

 二人はまたつかず離れずの距離で駅に向かって歩いて行った。

イブイブイブの一日 4

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