医者らしき白衣の男性がそう告げた。
このたびはお悔やみ申し上げます
医者らしき白衣の男性がそう告げた。
……わざわざすみません
今し方葬儀社と打ち合わせを済ませた女性、と言うには若い少女とも表すべき黒い服の少女が言った。セーラーカラーの、ワンピースだった。制服では無い。
喪服だ。
そこは、病室だった。少女の父親の。母親はいない。主を失った病室の生活用品を荷造りして、一旦家へ帰ってしまった。娘たる少女が遺体と共に式場に向かい、母親とは式場で落ち合う手筈になっていた。遺体を運び出すまでの数分、医者との時間は少ない。
医者は主治医では無かった。大学病院の数いる勤務医の一人だった。しかも少女の父親が患う病とも直接的な関係は無い科の。面識は一度。父親が治療で歪んでしまった体を治すために受診した、これだけだ。
少女はだから感慨も浮かばなかった。ああ、この人は個人的に父と付き合いが在ったのだろうかと考えはすれど、口にする気は起きない。
ただひたすら、少女は床を見詰めた。傍らでは物言わぬ何かになってしまった父がいる。おとうさん、と呼べば、変わらず返事が返って来るだろうかなどと詮無い戯言を思った。
怖くは無い。悲しくは無い。さびしかった。
潮のように沈黙が満ちて、病室を浸した。少女は口を噤んでいた。心細くないのは、嘘だったが、他人の前で泣くなどしたくなかった。医者はまだそこにいる。
やがて沈黙を泳ぐように医者が話し掛けた。
……泣かないんだね
どうでも良いことだった。素直に答えた。
あなたがいるから泣かないよ
泣けないよ、が正しかったのか。
医者は笑った。
泣けないの?
わかっているなら、出て行けば良いのに。少女は反発を覚える。だが程度が低過ぎて表面化するような物では無かった。
……
泣けないか
……
僕も泣けなかったよ
一瞬、何を言われたのかわからなかった。理解を求めて、初めて医者を正面からまじまじと捉えた。
インターンと偽っても違和感がないような、若い医者だった。しかしこの下に幾人もの医者、インターン、学生が付いていることを、父親の受診の際に少女は知っていた。まともに見たのは初めてだった。受診の付き添いだったとき、少女は父親にばかり目が行っていたし、医者と言葉を交わしていたのは母親だったから。
年若く見えながらも現実にはきっと少女より二十は年上だろう医者は笑って、言った。
僕も泣けなかったよ。理解するのに時間が掛かった。ようやく泣いたのは僕が医者になってからだったよ
……
人を助ける職業に就けたのに、自分の親は間に合わなかった。その事実に気付いたとき、やっと泣けた。─────きみは、今、僕がいなくなっても泣けるかな?
医者は笑っていた。少女は黙考していた。わからない、と思った。
これから通夜が在って弔問客が来て母を手伝ってそれから────?
それから、どうなる?
わからなかった。わからないままだった。
明確なヴィジョンが脳裏に展開されることも無く少女はただただ悩んでいた。泣ける気配が微塵も無いことに戸惑っていた。葬式だとか手伝いだとか、このあとのことなんか後付けだ。
あれ、泣くってどうするんだっけ────真剣にそう考えた。
不意に医者を見上げた。医者は笑ったまま少女を見据えた。
そうして、放つ。
きみは、誰かを救える人になりなさい。必ず救う人は無理だ。イエス・キリストじゃないからね。けれど、誰かを出来るだけ救える人になりなさい
きみが、泣くために
医者は消えた。少女は時計を見た。
時間にしてほんの数分。また一、二分程で葬儀社の人が来た。遺体を運ぶためだろう。カートもいっしょだ。
医者とは出くわしただろうか。いや、有り得ないだろう。
この部屋はL字を描く廊下の角だった。きっと、医者は葬儀社の人が来たエレベーターとは別に在る、すぐ横の階段を使っただろう。
医者と少女の会話を誰も知らない。
医者と少女も、しばらく忘れるだろう。期限付きで。
いずれ、思い出すとしても。
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人の消失を、いたむと言うことは。
[黒衣の少女、白衣の男性────“密会”。]