私、ときどき意味も無く泣いてしまうことがあるの

 何でもないことなのかもしれないが、私は勇気を持って彼に告白した。彼の部屋、リビングに座って、震える声で言った。握った手の平は汗ばんでいる。


 彼と付き合って半年。私の弱い面を、彼に、唐突に告げた。


 心のどこかで、きっと、それが、愛をさらに深める行為であると信じていたのだ。

うん

 彼は短い返事をして、そっと私の手を握った。話をきいているよ、のサインだ。

 こういう優しいところが、私は本当に好きだなと思いながら、話を続ける。

夜になるとね、怖くなるの。

なぜだか分からないけど、泣いてしまう。……情緒不安定なんだと思う

 変なことを言っているな、と引かれるかもしれない。私は俯き、自分の膝を見つめた。

 怖かった。誰だって、自分のどこか一部分でも、否定されるのはいやなはずだ。

 否定されませんように、と私はなにかに祈り、その願いは届いた。

よくあることなんじゃない。知らないけど

 彼は言った。あっけらかんと言う彼の言葉に、私はきょとんとしてしまった。


 きっと、まれにあることなのだと思っているのだろう、と私は解釈する。説明をしなければ、となぜだか勇む。

小さい頃からなの……心の病気か何かかなって、思ってる

 彼は、それでもけろっとしたまま、肩をすくめる。

病気でもいいじゃない。今まで生きてきたんでしょ

自分を傷つけたこともある

 言って、はっと息をのんだ。これを告げるのは、まだ早すぎたかもしれない。

 おわった、今度こそだめだ。嫌われる。怖い。

 私は強く握りしめている拳を、ますます強く握った。汗ばむ手のひらのなかで、爪の先がじっとりと濡れていく。

今は傷つけてないでしょ?

 彼は間髪いれずにそう言う。
 なぜだか私は拍子抜けする。

……まあ

 まあ、そうだけど。言って、言葉が続かない。


 彼をちらりと見ると、彼は首をかしげて、眉間にしわを寄せていた。

じゃあいいじゃない。それに、傷つけたくなったら、俺に助けを求めればいいよ。いつ、どんなときでもすっ飛んでいってあげる

……本当に

うん

 彼は笑うと目じりが下がる。私は、その表情に救われた。


 言おう、言おうと思って半年目、とうとうの告白は、なんてことは無い会話のひとつになっていった。こんなに簡単なのか、と思う。

 こんなに簡単に、自分の悩みは軽くなって、そんなこともあるものか、と納得できてしまう。


 彼は私を救ってくれた。
 長年の私の悩みを、いとも簡単に。

ねえ

何?

 彼は微笑みながら、テレビをつけた。日常にもどったよ、と言ってくれているようだった。

今私、凄くうれしい。これ、ずっと、言われたら嫌われるって思ってた

 冗談でしょ、と言いたげに、彼はからからと笑った。彼の、そうやってなんでも明るく楽しくしてくれるところが本当に好きだ。

そんなわけないじゃん。俺は、どんな君でも大好きなんだよ。いつも言ってるでしょ

それ、本当?

 彼にもたれかかると、そうだよと彼は私の頭を撫でてくれる。

本当だって、今証明して見せたでしょ

 彼は言う。きっと笑顔だ。
私は、言おうと決意する。

もう一つ、隠していたことがあるの。言っていい?

うん、いいよ

 彼はどうぞ、と私の背中を優しく撫でた。私は、彼の胸にもたれかかる。暖かい鼓動が、私を落ち着かせる。

昔、父が刑務所にいたわ

 言った。

へえ

 彼も言う。まるで、今日の友達との会話を、私が話しているときの相づちのように、優しく。

人を殺しかけたの。私は罪人の娘なのよ

君が罪人じゃないんだろ

そうだけど

あのね、例え君が罪人になっても、俺は最後まで君の味方だよ。そのくらい、好きなんだから。いい加減に、信じてよ

 優しい言葉だ。ふと、小さいころの記憶がよみがえる。


 転校する日のことだ。べたつく夏の始まりだった。


 どこからか飛んできた、人殺しの子どもだという罵声に、耳をふさいで逃げた。

 心無い言葉をかき消すように、泣いて、泣いて、校庭を出た。それでも、罵声は耳の奥から離れず、私の後ろをついてきた。


 母に何度も謝られた。あなたが悪いわけではないと、幼心に伝えて泣いた。父とは、もうあれ以来、会っていない。何をしているのか、知らない。


 恨みでも無い、軽蔑でも無い、いや、その全てかもしれない感情が、延々と私の心の中で渦巻いている。それは常に、苦しいほどに。


 その苦しみからでさえ、彼は救ってくれる。

ありがとう

何が

 彼は笑った。その言葉が嬉しくて、胸の奥が苦しくなる。

泣いてもいいよ。君はなかなか泣かないから

ううん。泣かないよ

本当に泣いちゃうことがあるの? 俺の前では泣かないんだね

そうだね、泣くことは弱さの現れだって思ってるから

 私は彼の胸に頭をこすりつけた。まるで動物の愛情表現だと思う。

 彼の前で、私は何もかもを脱ぎ捨てて、いち動物として、とても純粋な気持ちでいられるときがある。その瞬間が、とてつもなく好きだった。

滅多なことじゃ泣かないの

そういうとこ、好きだけど

そう?

 顔をあげると、うん、と彼が微笑む。その薄い唇をじっと見つめていると、彼はなにも言わずに顔を傾ける。


 彼と唇を重ねる。私の心の中にあった悩みのおもりが、次々と消えていく。うじうじと悩んでいた数分前までの私が、ばかみたいだ。

あなたといると、心地いい

俺もだよ

 彼が私の髪を撫でる。動物だ。私はまっさらな状態になれる。

あなたしかいないって、思うの。重い?

 彼はしばらく返事をしなかった。ただ、私をますます強く抱きしめる。

……ごめん

 無言は、困惑の証拠だと思い謝ると、違うよ、と彼は言った。

そんなこと、君が言ってくれたの、はじめてだ

そうなの? 本当に?

そうだよ。俺は今、凄く幸せ。ねえ、俺しかいない?

 もちろん、と私は言う。

あなたしかいない。あなたが私を受け入れてくれたように、私もどんなあなたでも受け入れられるって思ったの。

ねえ、こんな幸せなことってあるかな。

きっと、この世界に、そうそうないことだよ

 ありがとう、と彼は言った。声は少しだけ、弱々しかった。

俺も、言えなかったことがある

 どくん、と胸が跳ねた。

 私は嬉しかった。彼も、私に隠していたことがあること。そしてそれを、教えてくれようとしていること。

なあに?

 何でもないという風に、私は彼の目をのぞきこんだ。


 彼が、とても不安そうに、眉をハの字にする。

何でも、受け入れてくれるんだよね

もちろんよ


 彼は私を抱きしめたまま、言った。

ありがとう。勇気を出して告白するよ

なんでもいって


 私は酔っていた。



 恋とか愛とか弱さとか受け止めてくれるとか、そういった、何もかもに。

――まず、借金がある。一千万は超えるよ。昔、しくってね。今、少しずつ返してるところ

 声にならない声が、喉の奥でかすかに破裂する。
 えっと、いま、何て?



 彼は微笑んでいる。

君のお父さんと同じ、前科者でもある。

若いころに、何度か盗みと殺人未遂をね。

あ、君を殴ったり殺したりはしないよ。相手はいつも男性ばかりだ。

さすがに反省はしているけれど、かっとなるとってやつだ、もし今後もそういうことがあったら、そのときは許してくれよ


 体がうまく動かない。
 だれが、なんで、なんだって?

前科者はなかなか雇われなくてね。正社員って言ってたの、嘘なんだ、ごめん。アルバイターなんだよ。真面目に働いているよ


 シャッキンガ、アルバイターデ、ゼンカシャガ、ナンダッテ?

 彼は、私にとても優しい微笑みを向けると、それは優しく私を抱きしめたのだった。


 そして、言う。


 彼は、酔っているのだろうか、それとも、本気なのだろうか。

ああ、やっと言えた。愛してる、本当に愛してるよ


 私は、彼の胸の中で硬直した。

 
















この上なく好きだから、告白

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