まるで文明から切り離されてしまったかのような山の中、突然に景色に不相応な派手派手しい屋敷が構えられている。その一室、豪奢なつくりからは想像できない程に消耗された屋根裏部屋に、彼女は存在した。
 透き通った金髪は乱れ、クリアブルーの瞳は淀み、まるで一つの芸術作品のような儚さと美しさを備えた少女は、華奢な体を地面に崩して、ただ泣いていた。
 分かっている。僕は、きっちり理解している。
 彼女こそが、この屋敷で起きた連続殺人事件の原因だ。

うあぁ……うぅ………

 漏れた嗚咽を部屋に響かせ、悲しみに哀しみを重ね、ひたすら後悔し、その後悔は怒りに変換され――

私が、いたから

 矛先が自分に向いてしまう。僕はただそれを見つめていた。

こんなことになってるなんて……知らなかったのよ

 ああ、かび臭い。暗い。じめじめしている。何しろ暑い。今は夏真っ盛りだ。

君が、そうなんだね

 僕の確認に彼女は首肯する。
 さあ、どうしようか。
 どうしようも何もない、彼女は殺されるのだから。そして、彼女を捕らえておくために僕はここに来た。
 決まり切っているのだが、僕は考えてしまう。
 どうして彼女なのだろう。彼女に何か罪があるのだろうか。
 なんて不幸なんだろう。幸福になる資格はないのだろうか。
 何だろう、この湧き上がる感情は。

…………

 これは単純に――かわいそうなんだ。
 なんて安い同情だろう。師匠に言ったら鼻で笑い飛ばされる。

いつからこの屋敷にいるの?

多分……十三年くらい……

十三年って。君って今、何歳なの?

……十六歳

僕と同い年だね

 そう言うと一瞬驚いた顔を見せるが、すぐに俯いて泣き始めてしまう。
 どこまでもかわいそうだ。
 でも、仕方ない。世界にとって害悪をなすなら排除するのが僕の師匠の考えだし、正義だから。
 本当、仕方ないんだ。

…………ふざけんなよ

……ああ、暑い。
 うんざりするほどに。
考えを妨げるほどに。判断を鈍らすほどに。
――つい、義務を放棄してしまうほどに。

ねえ、君。この部屋にはクーラーがないんだね。夏は暑くていけない

くーらー……?

ああ、空気を冷やしてくれるすごいやつだよ

 なにそれ、と声にはならなかったが、注意が一瞬こちらに向いたのを、僕は見逃さなかった。

夏だからね、外の世界には楽しいものがいっぱいあるよ。人が泳げる大きな水溜まりとか、氷を小さく砕いてシロップをかける食べ物とか、流れるそうめんとか、スイカを割る珍妙なイベントとか、ああそうだ。花火とか

 少女は泣き腫らした目をこちらに向け、興味を隠せないようにつぶらな瞳をこちらに向けていた。
 この構図だと、まるで僕がいじめたみたいだな……。

急に何の話よ……そんな話をしてる場合じゃないの。人が、人が死んでいるのよ!

 ヒステリックに叫ぶ。繊細な金色の長髪が散る。

ひまわり畑もいいなぁ。そうそう僕が住んでた街にあるんだよね、行こうよ

やめて、やめてよ。そんな話しないで。……私のせいで死んだのよ? それとも信じてないの?

信じてるよ。だから、僕は君を殺す

 彼女は分かりやすく目を逸らした。体を小刻みに震わせ、嗚咽を深くする。

存在が許されないんだよ。不運な特異体質者っていうのは、この世界に愛されていないんだから

 それは、人が誰にも愛されないと死んでしまうように。
世界に愛されないというのはもっと直接的な死を意味する。
 そして僕は一歩一歩彼女に近づき、やがて頭に手を乗せた。
 ぶるり、と彼女が過剰に反応し、
 こつり、と僕は優しく叩いた。

はい、倒れて

…………え?

早く、死んだふりだって

えっ、どうしたら……

 何この反応。

可愛らしいなあ

急に何なの!?

僕はシリアス苦手症候群なんだ。三言に一言はふざけないと蕁麻疹が体中を埋め尽くし、やがて呼吸困難になって死に至る

えぇ!?

嘘だよ

な、何なのよ

 彼女は困惑し、そしてリラックスしてくれたようだった。

……ここを、出よう。君は今死んだ。僕と一緒に暮らそう。プールに行ってスイカ割りをして夏祭りに行こう。秋には焼き芋をしたいね。冬は雪合戦をしよう、かまくらも作ろっか。春はお花見だよ。――そしてまた夏になる

やめて!

 彼女の顔は怒りに満ちていた。

そんな話をしないで! 私は呪われてるの。街になんか行ったら何人死ぬか……

そんなこと気にしなくていいんだよ

 周りの人のことなんか考えるな。そんな必要はない。

……僕は、生まれついての幸運に恵まれてるんだ

どういう、こと?

つまり、君の不運は、僕の幸運で相殺される。僕の傍に居る限り、君の呪いは発動しない

えっ……。それ、本当なの? ねえ、本当なの?

 まるで縋るように僕を見る。

本当だよ

…………

だから、日常を送ろう。思いきり、幸せになろう

…………うん……

 非日常に侵略された日常を、非凡のうちに破壊された平凡を、取り戻そう。
 そして、僕は彼女の手を取った。

 僕が朝食を作り終え配膳していると、突如として目覚ましが鳴った。

……………………長いな

 止める気配が感じられなかった。僕は寝室である隣の部屋を覗く。
 僕は、二週間前からこの古いアパートの一室で金髪の少女と同棲しているのだった。
 これだけ聞くと犯罪くさい。

うぅ……ん

 ひーちゃんは目覚ましの音が鬱陶しいらしく、小柄な体で苦しそうにもがいていた。寝返りを打つたびに、腰まで伸びた、透き通るような金髪が体に巻きついている。

あふん……

……!

 ぺちん、と彼女が目覚ましに張り手を決めると同時に、色っぽい声が出た。どうやら手を打った衝撃で起床したようだ。ぶつけた手をさすっている。その仕草が――

あっぶね、可愛過ぎて鼻血出るとこだった……

んぅ……? 何か言った?

 ひーちゃんは体を起こして目を擦る。

おはよう、ひーちゃん。ラブラブ同棲生活って彼女の寝顔が見れるのが一番いいよねって話してただけだよ

あっぶねって聞こえたんだけど!? それにラブラブじゃないから! 大体私、彼女じゃないし!

 彼女の体から寝ぼけが消え失せた。

いやいやいやいや

……何よ

 僕は半笑いで否定する。まったく、間違ってもらっては困る。

彼女ではあるでしょ?

違うわよ! その『惜しいけどちょっと間違ってるぜ』みたいな上目使いやめて

……彼女じゃないの?

椎太(しいた)、変態だし。変態は彼女できないのよ

 僕、角田(つのだ)椎太のことをひーちゃんは椎太と呼ぶ。名前で呼び捨てとか仲良しの証拠! ……僕が土下座して呼んでもらっているという話は省略。

まったくもう、適当なことばっか言って

 彼女はTシャツの裾を集めて縛っている。一生懸命なその素振りが愛らしい。
身長一七五センチの僕の物を着用しているので、一五二センチの彼女にはぶかぶかであり、裾が太腿のあたりまできてしまっているのだ。
下にショートパンツを穿いているのだが、実際は見えない。そこで僕は

Tシャツをめくったらスカートめくりの気分を味わえるのでは

という天啓とも言えるアイデアを実行したのだが、それから裾を上げて縛るようになってしまった。遺憾の意。
ああ、今はそんな話ではなかった。

だって同棲だよ? 付き合ってないってどういうことなの?

知らないわよ……あなたが同棲したいって言うからしてるだけ

 おや。これはあれか、ツンデレか。
僕は注意深く彼女を観察する。
頬を見ると、朱に染まっている……なんてことはない。
呼吸が……整っている。

……デレはいつ来るの?

そんなものないけど

そうか……あの、突然で悪いと思うんだけど

ん? どうしたの?

 彼女は着替える前に朝食を食べるため、とりあえず席についた。そして赤みその味噌汁に手をかける。一口含んだその時に、

好きです、付き合ってください

ぶふっ! ……や、やめて! 見つめないで!

 彼女はまき散らした味噌汁をティッシュでふこうとするが、僕の視線を遮ることを優先したのか、僕の目にティッシュ箱を押し付けてくる。

真剣な気持ちは目を見て伝えないといけないんだ!

真剣じゃないでしょ!

気持ちは真剣だよ。結婚しよう

なんで要求上がってるのよ! 嫌だから!

……顔赤くなってる! よし、これがデレなわけだ。やっぱり赤面してるひーちゃんって可愛いなあ

可愛いとか言わないで!

 彼女はティッシュ箱を振う。僕は避けるまでの攻撃ではないと判断し、甘んじて受け――

痛い! 角痛い!

 それからティッシュ箱で数発殴られながら(ちなみに八回、角コンプリート)、僕はどこか、安らかな気持ちになっていた。そう、僕は嬉しいのだ。……別にMじゃない。

 呪い。ある人に言わせれば思い込み。ある人に言わせれば運命。
 僕は『体質』という言葉で統一している。
 生まれながらにして人は皆、体質を持っている。しかしそれは些細な事で、普通の人ならそんなことを考える必要もなく一生が終わる。
 しかし、特異体質は違う。非常に強力で、目に見えて運命を変えていく。
 例えば、ある日の旅行先で殺人事件に巻き込まれたとする。一生に一度くらいそういうことはあるかもしれない。しかし、二度目、三度目となるとどうだろう。明らかに不自然だ。お前は名探偵かと突っ込まざるを得ない。工事中のビルの下を通れば鉄筋が降り、橋を渡れば強風が吹いて身が投げ出され、道路を渡ればトラックが突っ込んでくる。
 これは僕の特異体質だ。
 そう、僕の体質は――絶対的な幸運、なんかではなく『不運に巻き込まれる』というものだ。事件、問題、トラブル、事故。そういうものを全て引き受けてしまう。
 呪いでの名称は『絶運廻し(ぜつうんまわし)』と言う。正直名前はどうでもいい。
そして、朝食を食べ終えてクーラーの直風下のベッドの上で観光雑誌を読みながらごろごろしている少女――ひーちゃんも特異体質者である。
 彼女の体質は、僕とよく似て、そして正反対だ。
 一言で言えば『不運を引き寄せる』。
 あくまで引き寄せるだけで、不運を受けるのは別の人間だ。
 ……だからこそ、彼女は人が近寄らないあんな場所に隔離されていたのだろうし、そしてだからこそ、あの屋敷では殺人事件が絶えなかった。
 不運を引き寄せて適当な人間になすり付けてしまう。
 それならば、不運に巻き込まれる僕が、彼女が引き寄せた不運に全て巻き込まれるはずだ。
 そのはず……なのだが。
 この街に引越して来てから二週間。事件はこの街にはやってこない。
 体質関連のことは、それに詳しい、このアパートの管理人でもある伊緒(いお)さんに聞いてみるしかないだろう。
 電話で聞いてもいいのだけど、この街に帰ってきて一度も顔出さないっていうのはなぁ……近いうちに一回会いに行くか。その時に聞けばいい。
 とりあえず、焦る必要はない。今は安定しているのだから。
 見てくれ、この清々しい日常を。
 僕は皿洗いも終え、昨日買ったばかりのテレビで甲子園を見て、ひーちゃんは冷蔵庫を漁りに行く。
 ……引きこもりが二人いるだけだった。

あれ? 椎太ー、パピコは?

 どきり。
 どうやらひーちゃんはアイスを探していたようだ。

パ、パピコ? 知らないなあ

……そっか、私食べちゃったのかな……

 台所付近に設置してある冷凍庫から戻ってきた。ひどくしょんぼりとしている。居間に戻ってきてすぐに、お気に入りの丸いクッションを足に挟んで体育座りの体勢に入ってしまった。
 今日はお部屋でまったりする予定なのにも関わらず、彼女は外出用のワンピースに着替えていた。
金髪とくっきりとした顔立ちは、白のワンピースから受ける印象と十割ぴったしと一致している――と、僕は思っている。彼女は気に入ってくれているだろうか。
 このワンピースはここに来た初日、僕が選んで買ってあげたものだ。
 最初ここに来た日は、どこか遠慮しがちであった。だから僕が選んだ物を素直に着るしかなかったのだろう。服選びにも積極的ではなかった。
今までこういう機会がなかっただろうから、もしかしたら欲しい服とかがよく分からなかったのかもしれない。
 でも、今は違う。
 すっかり馴染んでこの通り。そして何より今では、ひーちゃんは怒れるようにもなったんだ!
 ……仕方ないよね。甘んじて怒られよう。

えっと……実はね

 僕が良心の呵責に耐えきれなくなった頃、ひーちゃんはゴミ箱を見つめていた。もっと言えばゴミ箱の中の、彼女が起きる前に僕が吸い尽くしたパピコの抜け殻を見つめていた。
 糸に引かれたように僕へと視線を向ける。

…………

…………

 とりあえずウインクしてみた。睨まれた。
 おっかしいなあ。二人が密室で見つめ合っているのに全然良い雰囲気にならないよ。それどころか全身から滝のような汗が。あれ、エアコン壊れちゃったかな?
 僕が逃げ道としてテレビに視線を戻して野球少年達を眺めていると、彼女が沈黙を破った。

ねえ、椎太。私のパピコ、食べた?

ん? いや? ……うわあ、ゲッツーだよゲッツー

 僕は無理矢理にテレビに注目する。
 ちなみに僕はついこの間ゲッツーの意味を知った。野球に疎すぎる。それまでは

どうして中継の人、急に一発ギャグやり始めたんだろう

と思っていた。中継の人、不憫過ぎる。

食べたわよね?

……

 さあ、ゲッツとゲッツーの違いについての話を続けよう。後ろから迫ってくる人影? 知らない知らない。ほら、ゲソとゲッソーの違いだっけ? ……違う?

ねえ、椎太

……な、なにかなー。急に真面目な声になっちゃって、もしかして告白? 大丈夫、ひーちゃんが僕のこと大好きなんてわにゃにゅ……

 ひーちゃん後ろから僕の頬を手で挟んで上に向ける。僕は床にあぐらをかき、ひーちゃんは立ち上がっているが、身長差によって顔は割と近い。

あにょ、

 頬をこねまわしながら、彼女は僕の顔を覗き込む。
金髪が僕の顔面に掛かり、甘くてそそられる香りが漂う。よし、金髪の話をしようか。金髪っていいよね、華やかだよね。

ねえ

……現実逃避終了。
 彼女はどこか達観したように僕を見つめている。ひーちゃんは食べ物のこととなると非常にうるさいし、怖い。

椎太、パピコは何のために二本あるって言ってた?

大事な人と分け合うためって言いました……

私のこと彼女とか言う癖に二本とも食べちゃったの?

た、食べちゃったんです

何か言うことは?

……ごめんなさい

 しかし、彼女は見下す視線を続行し、僕に許しの言葉をくださらない。
 なんだろう、そろそろ頬を放してくれないと跡がついて紅葉まんじゅうになっちゃうよ。

…………

 まあ、いくら何でも僕でも分かる。彼女は怒っている。
 喧嘩した夫婦間に必要なもの、それは会話だ。しかし、何の話題を振ったらいいだろう。日常会話、例えば

今日のパンツって何色?

と聞いたところでひーちゃんは返事をしてくれないと思われる。返事がなくては会話にはならない。
 返事をある程度強要できるもの……。
 ――しりとり。
 これはナイスアイデアであった。会話なのかひたすらに怪しいが、ゲーム性もあるので、しりとりをしているうちにアイスのことなど忘れてしまうだろう。

ひーちゃん、しりとりしよう

 彼女はなぜかにっこりと微笑んでいた。副音声で

ふざけてるのかしら

と入った気がするが、所詮は気のせいだ。
 さあ、ゲームスタート!

しりとり

りこん

……………………

 一瞬にしてゲームが終わり、しかも離婚まで言い渡されてしまった。

えっと……買ってきます

分かったわ

 そして僕の頭部は解放された。夫婦間に必要なものは会話ではなくアイスだと僕は学んだのであった。

非凡な日常

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