マダムはくすくすと笑うと、そうだねえと目を細める。
ところで、マダムの好きな華を僕は知りません
話したことがなかったね、ボーイ
マダムについて知らないことがあることが、僕の幸せです
かわいいことを言うじゃないか
マダムはくすくすと笑うと、そうだねえと目を細める。
私の好きな華は、嫉妬の華だよ
マダムの言葉に、ボーイはふふ、と頬を緩ませた。
嫉妬の華
反芻するようにボーイが繰り返すと、マダムは
そうさ
とうなずいて、手にしていたキセルを机の上に置いた。
見てみたいものです
見せてあげたいよ
ボーイはにこりと笑って会釈すると、机の上におかれたキセルを静かに手にした。
しゃがみこんだボーイの頭を、マダムが静かに撫でる。
ボーイは少しだけ頬を染め、キセルを棚に戻した。
嫉妬の華はね
ええ
ボーイは、静かにマダムの後ろに戻る。
マダムはボーイを振り替えることもなく、自分の爪を見つめながら話を続けた。
――二種類あるんだ。ひとつは、羨望の意味での嫉妬。
こちらは普通の華さ、よくある華だ。
もうひとつは醜い、殺意にも似た意味での嫉妬。
こちらのほうが、私の好きな華さ
本当に、マダムの目は素敵ですね。僕の目は、死んだ人の魂が見える程度ですよ
私は確かに感情も幽霊も見えるけどね、幽霊が見えるっていうだけで、世間ではレア物扱いさ
だから私は、あなたのそばにいるのですよ、マダム
勝手に二人だけの世界に入られてしまい、ミカは腹をたてた。
噂で聞いた『感情華屋』の能力は確かなようだが、本当に自分の願いをきいてくれるのだろうか。
……あの
勇気を出して、ミカは話を切り出した。
なんだい、とでも言いたげな表情で、マダムは首をかしげる。
二人の世界ができてしまっているときに悪いのですが、本当に私の願いを叶えてくれるんですよね
マダムは、紫色の唇をにこりとつりあげ、ミカを指差した。
暗い部屋に、金色の指輪が不気味に光る。その指に射ぬかれそうな錯覚に陥り、ミカは思わず体をのけぞらせる。
その姿を見て、ボーイがくすくすと笑った。
正確にはアドヴァイスだよ。たまにこちらが動くこともあるが、基本的には占い師のようなものだ
なんだ。期待はずれだったかもしれない。誇張されていた噂に、ミカはため息をつく。
感情の見えるあなたが、それを頼りにどんな悩みでも解決してくれるってきいてたんですけど
当たらずして遠からず。解決するのはあなた自信だ。
例えば……そうだね。
あなたの悩みは、恋の嫉妬関連だ、違うかい
ミカは目を丸くする。だらけかけていた姿勢を、無意識に正していた。
アドヴァイスとやらが始まったのだろう。どこからともなく、怪しげな香りがしてきた。
どこかで香でもたいているのかもしれない。もし、それが幻覚を見せる作用でもあったら?
一瞬不安になったが、ミカは唇を噛んだ。覚悟を決めなければ。
――その通りです
だろうね。恋と嫉妬の華が、あなたに絡みついている。おめでとう、その嫉妬は、私が好きな方だ。
あなたは、嫉妬されてもいるし、してもいるようだね。
嫉妬の華の特徴は、他人に絡みつくってところなんだよ。刺のあるつるが、君の首を絞めるようにして咲いている
首を絞めるように!
それは、殺したいほど私に嫉妬しているって、そういうことですか
ミカは怖さと怒りで震えた――あの女。
恐らくそうだろう。他の華もついているが、詳しくは話を聞かないとね
どうぞとマダムに促され、ミカはぽつりぽつりと、話をはじめる。
おかしい話なんですよ。私、イベント会社で働いているんですけど、そこである有名人の方とお仕事をご一緒させていただくことになって、縁あってプライベートでも仲良くさせていただけて、数ヵ月前におつきあいさせていただくことになったんです
それは素敵なことだね
形ばかりの相づちを、しかしミカは気にすることがない。頭の中に、あの女がちらつく。
あの女。あの女。あの女!
両膝の上に置かれていたミカの拳に力が入る。
本当に、素敵なことのはずだったんです。
でも、その人のもと彼女だって言う人につきまとわれるようになって……すごい嫌がらせで。
家に手紙が入ってて、あなたはずるいとか、留守電が入ってて、隣にいるのは私のはずなのにとか
マダムは、楽しそうに目を細める。一方ボーイは、興味が無さそうに、冷たい視線をミカに浴びせているが、ミカは気がつくことがない。
ぶるぶると、怒りで震え、拳を恨んでいるかのように見つめている。
しまいには、死んでしまえばいい、とか言ってくる始末で
なるほどね。それが、あなたにまとわりついている嫉妬の正体か。
では、あなたの嫉妬の正体は?
ミカは一瞬だけ黙ったが、その後小さく
私の知らない彼を知っているとか言うから
と呟いた。はは、とマダムは乾いた笑い声をあげる。
今度はボーイも笑ったが、その笑いはマダムよりもさらに乾いて、無機質なものだった。
なるほど、それで殺そうとしているのか
ミカは大きく目を見開いた。なぜ、とミカが問う前に、マダムがミカを指差す。
他にも見える華があるといったろ。死の華さ。首もとに、一輪だけだけどね
うそ、そんなことしてない! 殺されかけたのは私よ!
ん、とマダムが眉をつり上げる。ああ、とボーイが手を叩く。
どういうことだい、ボーイ
逆ですよマダム。多分彼女、気がついていないだけです
言って、ボーイがミカの首もとに手を伸ばした。とっさに、ミカはかまえる。
やめて!
という叫び声と、ボーイの手がミカの首もとを通過するのは、同時だった。
え
ミカが硬直する。
はは、なるほど
マダムは薄く笑ったまま、タバコに手を伸ばす。
君は、もう少し早く私のところに来るべきだった。そうすれば、何か手助けができたかもしれないね
マダムがタバコに火をつける。うそ、うそ、と呟くミカに、そっと微笑みかける。
うそでしょ。私はまだなにもしていない
人なんて殺すものじゃないよ。
君の首に咲いている華、殺人の華は、あまり好きじゃないんだ。
殺人をしてしまったら最後、その華で姿が見えなくなるんだよ。
それはきっと、苦しいことだと思うよ
いや、いや、いや
ミカはぶるぶると頭をふり、その場に座り込んでしまう。
ああ、とマダムは目を細める。
もういい、嫉妬の華は死の華に覆われてしまった。
気がついてしまったね。死の華は物悲しい
わ、わ、わたし、私は、死んだの?
違いますよ、殺されたんです
ボーイが、静かに微笑む。
いやだ、と叫ぶ声は、もう悲鳴に近いものとなっていた。
すっと、マダムはタバコを思いきり吸い込み、微笑む。
あるべき場所にお帰り
タバコの煙を吹きかけると、ミカは消えてしまった。
もう、とボーイが困った表情を浮かべながら振り向く。
マダム、最初から知っていたでしょう
まあね、と悪い笑みを浮かべて、マダムはタバコの灰をその場に落とした。
床に落ちる前に、ボーイの手がそれを受け止める。
嫉妬の華は美しいから、鑑賞していたのさ
マダム、それはどんな華なのですか
形容しがたいね。人によって大きさは違うし、若干色も違ったりする。
形だけは一緒だ。花びらは多くて、馬鹿みたいに長い。
それが、人に絡み付くようにして咲いているのさ
ボーイはその華を想像したあと、うーんと首をかしげる。
失礼ですが、マダム。それって、本当に美しいんですか?
当たり前じゃないか、とマダムは視線を落とす。
例えば、真っ暗闇に光があると、その光が美しく見えるだろう?
ボーイが眉をつり上げる。
マダムは、先ほどの華を、思い出す。本当に本当に美しかった。
嫉妬の華が咲く人は、間違いなく醜いからね
了