夢だ。夢を見た。
服が黒く、髪の毛は赤く、眼が金色のウサギに
夢だ。夢を見た。
服が黒く、髪の毛は赤く、眼が金色のウサギに
ようこそ
と歓迎される夢。
何もない、真っ白な世界で、ウサギは楽しそうにそう言うと、ぴょんぴょんと跳ねてどこかに行ってしまった。
いや、ウサギだったのか。
ウサギではないかもしれない。
ウサギのような姿をした、人間。
頭に耳の生えた女性。
いや、耳以外は人になってしまったウサギ?
どうでもいい。
耳の折れたウサギだった。
白い世界には何もないはずなのに、ウサギが右に曲がると、彼女はそのまま姿を消してしまった。目の錯覚だろうか、それとも、その先に壁でもあるのだろうか。
私は動かなかった。
動けなかったのかも、しれない。
そうやって、簡潔に私が先ほど見た夢の話をすると、目の前にいる、髪の毛が白く、服は青い、黄色の眼をした猫は、
それはいい
と笑った。何がいいのか、分からない。
そもそも、彼女も猫ではない。
白い花のついた首輪をつけてはいるが、それはチョーカーというものなのだろう。
耳だけがおかしい。なんだ、ここは。
何がいいのさ。変な夢だったよ
何もない空間というのが、いいよ
どうして
想像力の欠如だよ、君のね
馬鹿にしたように猫(便宜上、彼女を猫と表記する)に言われ、思わず私はむっとする。
そういうここも真っ暗だけど、見えない何かが隠れているのかもしれないじゃないか
言い返す言葉は、
これぐらいしか見つからなくて、情けない。
相手はただ、
そうかもねえ
とにやにやと笑っているだけだ。
真っ暗やみの中、本当は何も見えないはずなのに、
暗闇の中で、白の猫と私だけが、
浮かびあがって見えていた。
私はひんやりとした床に座り、
猫は私の前に胡坐をかいて座っている。
私は彼女を見上げている。
まっすぐ前に視線を伸ばすと、
彼女の腹が目に入るのだ。
君、やけに大きいね
私が言うと、猫は
そうだろうね
と言った。
急に話が随分とそれてしまったが、
特に気にする様子もない。
夢占いは、ご存知かな?
透き通るような声で、猫は言う。
えぇ、幼いころ、好きで好きでたまらなかった
結構。
信じる信じないはあなたの勝手だが、夢の中で何かが実際の物より大きく見えてしまうというのは、現実世界での悩み事を大きくとらえ過ぎだ、という説がある
なるほどね。しかし、君が大きいのではなくて、私が小さくなっているのかもしれない
猫に反論すると、
猫は嬉しそうに喉を鳴らした。
私は続ける。
真っ暗だ。比較する対象がないだろう?
想像力は無いくせに、やけに冷静で論理的だ。嫌いだね、そういうやつは
同じことを、確か教授に言われたよ。
もしかして、君は教授かい
どうだかね
君が大きくなっていようと、私が小さくなっていようと、関係ない。
君が大きくなって私が小さくなって、どちらもおかしなサイズなのかも。
とにかく、君が教授だと言うなら、私は教授と同じ視点で話がしたかった。でも、できないとしっていた。
それが夢占いの結果さ
君の深層心理かい?
消えてくれよ。こんな夢見たくもない
ニャア
と猫は最後に猫らしく鳴くと、
細かく白い粒になって暗闇に溶けた。
ウサギの夢を見て、猫の夢を見た。
夢を見て、目が覚めたら、夢だったと言うわけだ。
夢の中の夢。それの連続。
私は立ちあがった。めまいがして、暗闇の中なのに
真っ暗になった
と感じ、
次の瞬間には緑の空間に放り出されていた。
ようこそ
豆粒ほどの茶色い狐は、そう言って手を降った。
今回は、おそらく女性だ。いや、メスか?
赤い着物を着て、
茶色く長い髪をしっかりと整えてある彼女は、
しかし、顔が獣であった。
狐そのものなのである。
人でもない、動物でもない。
その中間は、もはや妖怪かなにかか。
いや、だとしたら先ほどの猫も、
妖怪のひとつだろう。
こんにちは
屈むと、狐は嬉しそうに
ようこそ
と繰り返した。
これしか話せないのかもしれないと、うんざりする。
うんざりして、辺りを見渡す。奇妙なまでの緑色。
黒や白の空間と言うのはまだいいが、
全体が緑というのはいやだな、と思う。
精神が不安定になりそうだ。
これ以上見るのはよそう。
私は、狐に視線を戻す。
潤んだ目で、
狐はこちらの言葉を待っているようだった。
ようこそって、二つ前の夢でウサギに言われたよ。君たちは統率がとれていないのかい。ようこそ、ようこそ、ようこそ、ようこそ。一度でいいじゃないか、そんなに、なんどもなんども
私が訊くと、狐はふんと鼻を鳴らした。
小さいくせに声は大人びた、ハスキーなものだ。
色気さえ感じられる。
勘弁していただきたい。可愛らしくない。
君がいたのはね、別の夢さ、全てが同じ一貫した夢だなんて思わない方がいい
あれ、君はこれが夢だって言ってしまったね。ネタばらしだ
こんななりだ。
まさか現実だとは思うまいよ。
というよりも、もうそろそろ、夢の中だと気がついているんだろう
そうだね、だいぶ前からだよ。
もうそろそろ、じゃない。
最初の五回までは、夢から夢に移動した際に気がつかず、移動した先は現実、もといた世界だと思っていたよ。
いくら歓迎してくれる相手がもののけや妖怪そのものの見た目であってもね。
その先で、また気がつくんだ、現実ではない、ここも夢かって。もう慣れたよ
最初の五回、と言ったね
ああ、言ったさ
夢の数を数えているのか
そうだね、それもひとつの楽しみになっているといっても、過言ではないよ
狐はくすりと笑うと、その場に正座をしてみせた。
詳しく話してみたまえよ
いいとも。まず、回数だ。
これで五百六十二回目の夢さ。
緑色は五十二回目だけど、こんなに深い緑は初めてだよ。
全体が緑というのはどうにも慣れないが、この色自体はいい色だね。和風な緑だ。
ちなみに狐は三回目。君がその中で一番綺麗だ。声は、嫌だけど
狐は、褒め言葉も、
けなされたことも気にしないようで、
淡々と私への質問を続ける。
なるほどね。ようこそ、と言われたのは?
君で三百三十三回目。切りがいいね
狐はそこで黙った。
黙る動物は珍しい。
どこの夢だって、動物は、
いや、動物のような何かは、
やたらおしゃべりか、
ひとこと何かを告げて消えてしまうかだった。
だいぶ考えて、狐は言った。
……君は、もう知っているのかい
何を?
この夢の意味を
この夢の、意味。愚問だ。考えない方がおかしい。
考えてはいるよ。
罰のひとつかい?
地獄の本性かい?
うっかり睡眠薬を飲み過ぎてしまって、変な幻覚をずっと見ていると言うのも、一つの案だけれど
早く出たいのか
出たい
私は言った。即答だった。
我慢していたはずなのに、今さらになって、
怖くなって震えてきた。
足の先から頭の先まで、
みっともないほどに震えている。
現実世界で、生きるから。
もう逃げないから。助けてよ
やけに、声だけは強がっていた。
狐は、首を大きく横に振る。
こんな豆粒みたいな私に、その能力は無いよ
それでも、私の話を聞いてくれたのは君が初めてだ。少しは夢の出口に続いているのかな
言ったろう。夢は孤立している。
これはひとつの物語ではない
狐は目を閉じた。
閉じて閉じて、ぎゅっと閉じて、
そのままふわりと、緑色の空間に溶けていった。
心配されたかっただけなのだ。
致死量じゃないはずだ。
誰か私をかまって。
上手く言葉にできなかっただけだ。
教授も、私がこんなことをしたら、
少しは反省するかな、
私のことを見てくれるかな、とも思っていた。
正面からぶつからない、ずるい、ずるい人間だ。
反省したから出してくれ。
夢の連鎖から出してくれ。
目をぎゅっと瞑った。
十三回目の夢以降、久々に行った行動だった。
ようこそ
背丈が私の二倍もある水色の魚人が、
桃色の世界で微笑んだ。
了(?)