Ⅲ 永遠を生きた数分間

 ありったけの所持金と宝石を使って隣りの国まで逃げ延びた二人は、ある辺境の町の外れに部屋を借り、小さな酒場で働き始めた。人手不足の酒屋は、身寄りのないリゼットをすぐに雇ってくれた。さらには店で歌まで歌わせてくれるという。歌が大好きなリゼットにとっては、願ってもいない幸運だった。

美しい歌だね、リゼット

 ある日の夕刻。
静まり返った開店前の店の中、懸命に歌の練習をするリゼットに、主人は声をかける。

ありがとう。私、歌手になるのが夢なの

そうか、君くらい上手ならきっとこの国一番の歌手になれるよ。どうして、歌手になろうと決めたんだ?

それは……私が幼い頃のこと。偶然通りがかった狩人の男の子森で泣いていた私を歌で励ましてくれたの。ほら<なんにも怖くない、歌えば涙も飛んでいく~♪>という童謡。それはとても素敵で――夢みたいな時間だった

なるほど、じゃあ君はその男の子に憧れたわけだね?

ええ、その通り。甘くて、深くて、やすらかで、まるで夢の中にいるみたいだった。私が歌うとき、瞼に浮かぶのはいつもあの森でのひとときと、彼の歌声。私はずっと、あの数分間を思い返しているの。私はあの数分のうちに、永遠の時を生きたのだと思うわ

永遠を生きた数分間か……ロマンティックだね

そうでしょう?

もしかして君はいつも、その彼のために歌っているのかい?

……そうね。私が歌う時に頭に浮かぶのは、彼のことだけ。だから、彼だけのために歌っているといっても過言ではないわ。でも、それでもいいでしょう?だってたった一人に届かない歌は、誰にも届かないと思うから。少なくとも、私はそう思っているから

リゼットは目を閉じてうっとりとしたまま言うと、幼き日に聞いた童謡を歌い始める。

♪あきらめないで、いつも
♪なんにも怖くない、歌えば涙も飛んでいく

リゼットお姉ちゃん、きれいな声……

そばにいたマノンが、そっと呟く。
マノンはあれから、食屍鬼には会っていない。涙を流したことがないからだ。

こんな日が、ずっと続きますように


穏やかな日々を神に感謝しながら、マノンはそっと目を閉じた。

End.

Ⅲ 永遠を生きた数分間

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