おーらいおーらーい

とある空き地で、草野球に興じる、少女たち。
女の子が野球というのも珍しいが、その事を除けば、ほほえましい光景だ。
青髪の少女が、今捕ったばかりのボールを、ピッチャーへと投げ返す。
草野球といっても、今空き地にいるのは、全部でたったの3人。
ピッチャーとバッター、そして、外野手が一人だ。
そんなに広い場所ではないため、思いっきりボールを打つということは出来ないが、それでも、気の知れた仲間同士で遊ぶというのは、楽しいものである。
ここで、彼女たちの名前を紹介しておこう。
まず、今バットを握っているのが、ジャイアント。
そして、マウンドとは名ばかりの、空き地の真ん中の、小さなふくらみの上に立つのが、スネーク。
最後に、その後方にミットを持って構える少女、彼女がアイだ。
変わった名前だと思うかもしれない。そう、これは彼女たちの本名ではない。コードネームである。
彼女たちは、とある組織に属しており、それぞれが固有の能力を持つ、エージェントなのである。
普段、同年代の少女たちが想像もしえないような、過酷な任務に臨む彼女たちにとって、この束の間の休日は、かけがえのないものであった。

ここでスネークが、さっきまでとは異なる投球フォームを見せる。さては、あれを使う気だろうか。
細身で長身の彼女の能力は、周囲の空間を歪めるというものであった。その中で投げられるボールは、まさしく蛇のような蛇行を見せるだろう。
しかしそれは、重力を操るジャイアントにしてみれば、全く意味のない事である。いくらボールが奇妙な動きをしようと、彼女はそのボールをバットに吸い寄せることができるのだから。
だからこれは、お互いの能力を知り尽くした上での、遊びのようなものなのだ。異能者とはいえ、こんな風に能力を使うだけの日常なら、どれほど良かったことか。
予想通り、ジャイアントの打撃がボールを捉える。
しかしその打撃音は、あまりにも重すぎた。
どうやら、力の抑制を緩め過ぎたようだ。
このままでは、打たれたボールは常軌を逸したスピードで空き地を飛び出し、下手をすれば死者が出かねない。
事の重大さを認識したアイは、自身の能力を発動する体制に入る。そして…

Save the Sky 
ストップ・ザ・チクタク!

彼女の背後に、ストップウォッチのイメージが出現する。カウントは、6だ。
彼女は、6秒間だけ時の流れを止めることができた。
その間に彼女が触れたものは、どんなスピードの物であれ、その運動量を失うのである。この急場をしのげるのは、アイの能力だけだった。
少しのラグとはいえ、ボールは既に、普通では届かない高さにあった。かくなる上は、と空き地にある土管を足場に、精一杯の跳躍を試みるアイ。
しかし、彼女の伸ばした腕はわずかに届かず、ミットの先をボールがやっと掠める程度であった。
彼女は、あまり運動神経が良くなかったのだ。
無念の着地と共に、ストップウォッチのカウントが0を迎える。世界が再び、動きを取り戻す。
パリーン、と何かが割れる音がした。音のした場所は、意外と近い。どうやら、何とかボールの勢いを殺すことは出来たようだ。
しかし…

カモン!!
バアーック!!!

悲痛な叫び声が、塀の向こうから聞こえてきた。
まさか、誰かに当たってしまったというのか。
ふと見ると、ジャイアントとスネークの姿がどこにも無い。こういう時の逃げ足の速さが、彼女たちの問題なところだ。まったく。

私が行くしか、ないじゃない…

恐る恐る、空き地の隣の家の庭へと回りこむアイ。
そこにあったのは、散らばったガラス片と、大量の水が流れた跡。そして、死んだ魚たち…
そう、ボールが当たったのは、大きな水槽だったのである。しかも、尊い犠牲が出てしまっていた。

僕の、シーラカンスちゃんと、タスマニアンエンゼルフィッシュちゃんと、それと、それと……うわああああああああん!!
もう何もかもおしまいだあああああ!!!

かける言葉もなかった。
さぞ、大切にしていた魚たちだったのだろう。
泣き崩れる少年の姿は、まさに世界の終わりを表していた。こんな哀しみの光景を、今まで何度見てきたことだろう。失ったものが、人だろうと、魚だろうと、それが大切なものであれば、何も変わらないのだ。
ここでアイは、3年前に見た、同じような光景を思い出していた。動かなくなった息子を、抱きかかえる母親。
バスに轢かれそうになった男の子を、アイは能力を使って助けたのだが、結局別の事故に巻き込まれしまい、その子は命を落としたのである。
能力があっても、人の生き死にだけは変えられない。
その事故以来、いつしかアイは、そんな風に考えるようになっていた。
と、ここで、あることが気にかかる。
この魚たちは、アイが能力を使ったために死んだようなものだ。ならば、もし使わなければ…?やはり、死ぬ運命だったと言えるのではないだろうか。
それは、ある種の逃避的な思考なのかもしれない。
ただ目の前の悲しみの、責任を負いたくないという。
しかしその時、耳元の端末に通信が入る。

こちら、サイレント。
あんたたち、まさか勝手に能力を使わなかったでしょうね。

通信は、コードネーム・パーフェクトと共に極秘任務に当たっていたはずの、サイレントからのものだった。
彼らは、独裁国家のドゥーム・ライオネル帝国に潜入し、その国が密かに開発した人類消失弾の無効化の任務を任されていた。その手の任務には、サイレントの能力が最適だったのである。パーフェクトは補佐的な役割だったのだが、彼に関してはオールマイティになんでもこなし、能力に関しても複数のものを有していた。
その中の、遠隔視と未来視の能力を使って、アイ達のいた空き地から超高速の物体が射出されかけたのを、彼に感知されてしまったというわけなのだが、その物体、もといボールの本来の行き先が、ドゥーム・ライオネル帝国ミサイル制御管理室の、ちょうど人類消失弾発射スイッチに当たる場所だったのである。
んなバカなという話だが、危うくジャイアントに世界を滅ぼされかねないところだったのだ。
それをアイが防いだ、というのはいささか買い被りというものかもしれない。一緒に遊んでいたアイも同罪、という見方もある。
だが…

うう…

少なくとも、これからも人の世は、しばらくは続いていく。確かに、目の前の彼の、大切な世界は壊れてしまったかもしれない。そのことに関しては、アイも、本当に申し訳ないと思っている。
でも、世の中は、思ったよりも広い。
これから、また新しい世界を見つければいい。
そんなことを思いながら、アイは、静かにその場を後にした。

もっとも、死んだ魚たちからしてみれば、人類に居なくなってもらった方が、有り難かったのかもしれないが。

野球少女アイ

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