ねえ、かぐや姫っていると思う?

なに、突然

虚をつかれた質問に、小山内 宗(おさない そう)はあんぐりと口をあける。
言い出した彼女、塚田 壬咲(つかだ みさき)は、依然として真剣な顔をしていた。

学校帰り、二人して家に帰る前に、駅前のクレープ屋に寄ることが週末前の楽しみになっていた。
今回も例に漏れず、ベンチに座ってクレープを一緒に食べていたわけだが、構えていなかった質問だけに、何を答えとしていいのかわからない。

どういった意図で質問をしたのか、宗には皆目検討がつかない。
だが、下手な返答をして彼女を悲しませてしまっては、「男が廃る」というものなのではないだろうか。

しばらくクレープを租借しながら考えていたが、彼が返す前に、「いやね、」と壬咲が口を出す。

新しく施設に入ってきた子いるじゃない?
その子に、昨日の夜聞かれたの

ああ!もしかして、楓ちゃんのこと?
確か、かぐや姫の絵本を読んでたよね

そう、楓ちゃん!
私、寝る前に何度読まされたか!

笑いの渦ができあがる。
楓(かえで)とは、彼らの所属する「孤児院」に新しく入所してきた女の子のことだ。本が好きで、よく一人で本棚の前に陣取っている。

孤児院は、名のとおり親のいない子どもたちが、一つの家族となる場である。理由は様々あり、事故で両親が亡くなってしまった子、虐待を受けて預けられている子、育てられないからと入れられていく子。

宗と壬咲は、その中でも数の少ない置き去りの孤児だ。
時期を同じくして孤児院の前に置き去りにされ、二人して院生活を送ってきた。
そのせいもあり、二人は院の中でも、お揃いの物を持つほど仲がいい。

今では高校生として、小さい子たちの面倒を良く見る、お兄さん、お姉さんとして、職員の人からも頼りにされている。
早速その力を発揮したようで、壬咲は楓に懐かれているようだ。

宗は、羨ましそうに壬咲を下から見上げた。

いいなー女の子は。
男なんて、叩いて叩かれてだぞ?

言いながら、昨夜腕に新たにつけられた青痣を見せる。
ガキ大将につけられた傷は、数えられないほどある。

壬咲は大げさに笑い、クレープを一口。

ホント、男の子はうるさい、うるさい。
元気でいいけどさー。お風呂のあとは、服着るか、タオル巻くかして欲しいわ

肩を落とし、クレープを巻いてある紙をぺりりと剥がしていく。
疲れた顔はしているものの、毎日が楽しくてしょうがないといったところだろう。口の端は上がっている。

で、どう思う?
かぐや姫はいる?

え?ああ、かぐや姫ね

質問を思い出す。

宗は壬咲から視線を外し、煌々と電気がついている駅構内を見やった。スーツ姿の男性や、同じくらいの歳の子も少なくない。
なんとなしにその流れを眺めてから、宗は壬咲に訊く。

参考までに、何でそんなこと聞いたのか教えてもらってもいい?

それはもちろん

頷いて、壬咲は空になったクレープ紙をくしゃりと丸める。ついでに宗の分も一緒くたに纏めてしまう。

かぐや姫はさ、十五夜に帰っちゃうじゃない?そしたら、そのあとは?
残された人は、ずっと悲しいままなの?
それって、ちょっと残酷じゃない?

なるほど、と宗は顎に軽く曲げた指を当てた。
竹取物語は、かぐや姫がつきに帰ったところで話はおしまいだ。だが、絵本の中の彼らにも後があるとすれば、どうなるのだろうか。

双方、悲しんだままで人生を終えるのか?
月に生死があるのかは別として、彼女と出会った者たちがあまりに可哀想だ。

宗は真剣な表情を浮かべ、指を組んで、前に状態を倒す。

考えたこともなかったけど……
そうか、残った人の気持ちね

あ!困らせる気はなかったんだけど

あ、いや。僕らと重なってさ。
18がきたら、もう院にはいられないだろ?

それ、私も思ってた。
……だから、質問したのかもしれないね

空を見上げて、壬咲が呟く。
宗も彼女に習い、月が輝く空へと視線を上げた。

大きな満月だった。
そこで気がつく。今日は十五夜だと。

宗は壬咲にちらりと目をやった。
彼女の横顔はいつもと変わらず、しかしどこか憂いを帯びていて、一言で表すというのなら、寂しそうだ。
口は真一文字に引き結ばれ、目元が細かに震えているようにも見えた。

何を考えているのかはわからない。
だが、ここで言っておかなければならないことを、宗は瞬時に悟った。
彼女と、離れなければならない時が近いのかもしれない。

拳を握り締め、ひっくり返る声で名前を呼ぶ。

壬咲!

……ん?

振り返る彼女の瞳はゆらゆらと揺れ、月の光を一身に受けて輝いていた。

俺……俺、ずっと壬咲を見てるから。
だから、心配すんな

なにそれ

笑った彼女の、少し掠れた声が耳に残る。
小さいときから変わらない笑い方。いつも隣にいて、いつも一緒だった。
これからも、そうだと思っていた。

宗はくしゃりと顔を歪めて笑う。

かぐや姫、いるんじゃないかな。
俺は、信じてるよ

……うん、宗らしい

満足して、ベンチから立ち上がった壬咲が、今日は買い物をして帰るから、先に帰ってくれと提案する。
手伝おうかと尋ねれば、職員の手伝いをしろと怒られる。

こんなところを他人に見られるのも恥ずかしいので、宗は颯爽と家に戻っていった。
壬咲に見送られながら。
























まだー?

階下から、楓が呼ぶ声がする。

少し慌てながら準備に追われ、壬咲は部屋の中から声をかけた。

わー!待ってー!
ブレスレットがないのー!

土曜日の夕方、楓とともに映画の約束をしていたのだが、つい昼寝をしてしまった。
今年最後の院生活ということで、楓の甘え度が格段にアップした。壬咲一人では、子どもたちを抱えきれない。
せめてもう一人いればな、とありもしないことを思う。

机の中を引っ掻き回し、やっとブレスレットを見つけた。が、なぜか同じ種類の色違いが入っている。
またか、と壬咲はため息。
最近、頻繁にこういったことが起こる。同じようなものを買った覚えはないのだが。

よし、オッケー

引き出しを閉め、ブレスレットをつけて扉に手をかけた。

壬咲!

え?

階下ではない、楓ではない、誰かの声がした。
部屋の中、というよりは遠く、しかしはっきりと耳に残っている。

不思議と怖さはなく、居所を確かめたいという気さえ起きている。しかし、今は一刻を争う事態だ。上映時間に間に合わなくなってしまう。
壬咲は、後ろ髪引かれる思いで部屋を後にしようとした。

壬咲!

はっきりと、聞こえる。
窓の外から。

壬咲は反射的に走り出し、窓を思い切り開けた。

真っ赤な空が出迎える。
端のほうには、既に月が浮かんでいた。
今日は十六夜だ。

去年もこんな月をみながら誰かと話したなと、ふと思い出す。名前も、顔も思い出せないが、確かに覚えがある。けれど、それ以上は思い出せない。
再び、楓の声がした。
壬咲が返事を返す前に、あの声が被さる。

壬咲はそそっかしいから
気をつけて行っておいで

誰!?
どこにいるの!?

俺が見守ってる。
だから、これから先も安心して。
なんたって、お月様の加護がついてるんだからね

少し照れたように言った声は、それ以上何も言わなくなってしまった。
どこか懐かしい声は、壬咲の胸に居座っている。
院を出た後の不安が付きまとっていた彼女の心を見透かし、鼓舞しているようにも聞こえた。

壬咲は胸に手をあて、薄い月を見上げる。
少し欠けた丸みのある月は、優しく見下ろしている。ただただ、優しく。

なぜか切なさに痛む胸を慰めるように、壬咲はしまい込んでしまった、もう一つのブレスレットを取り出した。
月のように、淡い白の石がついたブレスレットは、とても綺麗で落ち着いた。
自分のものと二重にしてつけ、カバンを持って部屋を出る。

彼女のいなくなった部屋を、月光が照らす。

十六夜の日に君はいるか

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