くっそ~


美希はこれまでの雀ゴロ人生の中で、最大のピンチを迎えていた。
現在、南3局、オーラス手前、持ち点3,800で風前のともしび。
脇の二人は、すでにトび、箱下の闇に飲まれた。
今や、当たり障りのない牌を切るだけの、ツモ切りマシーンだ。

問題は、トイメン。
令嬢崎龍華(れいじょうざきりゅうか)は、大企業経営者の子女でありながら、生まれ持った豪運で以て、すでに親の庇護の下を離れている。 
その運気も、今や最高潮の模様で、この勝負の前日、宝くじで2億円を当てていた。
そしてそれから、不眠不休でいたる雀荘を渡り歩き、自分の才運を試すかのように、手練れの雀士に勝負を挑み、小金を稼いで現在に至る。
彼女の今の所持金は、2億8百万円。今日だけで3人の腕利き雀士が破産している。
その3人と、いずれも知り合いだった美希は、仇を取るために、この怪物に差し馬の勝負を申し入れたのである。

条件は、単純に二人の順位で競い、美希が勝った場合は3人の負債分をチャラにするというものだった。
もちろん、負けた場合の代償は、3人の負け分の倍を払うというもので、それは常勝街道を歩んできた美希にとっても、自身の破滅一歩手前の金額だ。
だが、その条件を、令嬢崎龍華は認めなかった。
あろうことか彼女は、美希の勝利に2億円もそのまま差し出すと申し入れてきたのだ。
当然、美希の敗北に課せられる罪も重く、それは、令嬢崎家付きのメイドになることであった。
その意味するところは、自身の人生のみならず、魂の破滅である。
生まれついての怪傑である令嬢崎龍華は、その、又の名を『女啼かせの大蛇』とも呼ばれており、つまり、いろいろと限界を知らない感じのあれなのだ。
だから、彼女のメイドになどなろうものなら、美希はこれまでの美希ではいられなくなってしまうだろう。
花も恥らう純情乙女の美希としては、それだけは嫌だった。初めては、好きな人と。
博打の出た目と、このことだけは、曲げられない。
ちなみに、美希の鼻はそんなに高くないし、アゴも尖っていない。これは、大事だ。

うんうん

そんな彼女の手牌は今、

 東東東南南南西西西北白白白

さらに、令嬢崎龍華がちょうど、手牌に浮いた北を切ったところだ。
牌を倒せば、親のダブル役満。20万点近い点差が、一気に等しくなる。
だが、事はそう単純ではない。
だいたい、こんな手が爆ヅキの令嬢崎龍華を前にして、そう簡単に入るわけがない。
つまり美希は、イカサマをしたのだ。
ご丁寧に、上がり牌の北が、令嬢崎龍華の手牌に浮くようにまで工作して。
もちろん、バレさえしなければ、何も問題はない。
しかし、美希の致命的なミスにより、それは令嬢崎龍華の目にも明らかなものとなってしまう。
指摘されれば、申し開きのしようもない。
だが、令嬢崎龍華は、それに気づかないふりをしたばかりか、当たり牌の北を、あっさりと切り出したのである。
これが、彼女のやり口だった。
わざと、自分の不利を被り、次手で圧倒的な運賦を噴き出すのだ。
だから、今美希が牌を倒せば、次の南3局一本場は、おそらく、とんでもない手で流されるだろう。
そのままオーラスも、令嬢崎龍華がものにし、この勝負は負ける。貞操も失う。

…ロン!


だがここは、やはり倒すべきだ。
20万点の点差を埋めるチャンスは、ここしかないのだから。
これで、少なくとも、点棒の上では互角。
そして、南3局一本場、鬼門の局面の配牌は…

 一三九③④④2457西北発発

まあ、悪くはない。アガリは何とか見える形だ。
とりあえず、第一打は打北。トイメンのオタ風から。
だが…

リーチ


高らかに宣言される、絶望の狼煙。
予想していたことではあるが、いざ現実に突きつけられると、重い。
宣言牌の二萬に、合わせ打たれる上家の二萬。

チー!


鳴くしかない。鳴かないと、確実に一発でアガられる。
打西。次いで、下家の摸打。
しかし、ここで下家が、切った牌からなかなか指を離さない。
視線を感じて下家の顔を見上げると、ものすごい形相でこちらを見ている。
その目はまだ、死んでいなかった。
離された指の下にあったのは、青い玉が4つ、つまりスーピンだ。

ポン!


一瞬のためらいはあったが、令嬢崎龍華がツモ山に手を伸ばしかける頃には、覚悟は決まっていた。
長年の戦友である彼の目が、鳴けと言っていたのだ。
通常の定石など成立しないと知りつつ、字牌に続いて九萬を切り出す。声は、掛からない。
次順、下家。今度は、あっさりと切られる牌。
しかしその牌は、ドラの4索。一体、何を考えているの!
百戦錬磨の美希でも、思わず血の気が引いた。

ポーン


すると今度は、上家が動いた。
見ると、さっきまでの意気消沈ぶりが嘘のように、親指を立てて、にかっと笑っている。
しかし、その歯には隙間があった。そこにあった金歯は、負債のために消えたのだ。
何かがおかしい。しかしその狂気は、逆境の美希にとっては、不思議と心地の良いものだった。
そして、自順のツモ。引いた牌は、ピンズの②。
読み通りなら、これが令嬢崎龍華のアガリ牌なのだろう。これは、切れない。
現物となった、ドラの4索を切る。
下家の切った牌にも声は掛からず、ようやく令嬢崎龍華のツモだ。
皆の視線を意識してか、少しの間を持たせる彼女。
しかし、アガリ牌ではなかったらしく、切り出された牌は、発。
ここで、上家はツモ山に手を伸ばさない。美希が、腕で制したからだ。

今の美希の手格好は、

 ②③257発発 ④④④ポン チー二一三

鳴けば一翻確定。
しかしそれは同時に、ツモ順を元に戻すことにもなる。
目の前の怪物に、本来のツモを回すことだけは、なんとしても避けねばならない。
ここは見逃すことにした美希は、上家のツモを促す。
そして自分のツモ番、引いてきた牌はピンズの①。
やはり、近いところを持ってくる。相手の待ちは、ピンズか?
しかしこの引きは、美希にとってはいい流れであった。
これでヒフミの三色が見えてきたからだ。
となると、問題は何を切るか。
普通に考えれば、5索が7索ということになるが、果たして…

タァン。

美希が切ったのは、発。
まだ形の決まらないうちに、危険牌は切れない。
次順も、令嬢崎龍華はアガリ牌を引くことなく、美希のツモ番。
引いてきたのは、鳥の画の1索。
どうやら、流れを掴んできたようだ。
2枚目の発を切り出した美希は、ここである行動に出る。

そうだ、さっき…。あ、いや、なんでも


上家と、わざわざ目を合わせるようなへまはしない。
事前に示し合わせたわけではないが、今はこれで十分と分かった。
三たびの令嬢崎龍華のツモ切り。続いて、上家の切り出す3索。

チー!


ちらとトイメンを覗うと、不敵な笑みを浮かべて何も言わない。
そうだ、先の大サマも見逃したんだ。これくらい、通るというもの。
さあ、ここで選択の時。鳴いて切るのは、5索か7索か。
強いて言えば、7索は4索の筋だが、ここまで美希は上家と下家のサポートを受け続けてきた。
最後くらい、自分で勝負を決めたいものだ。だから、5索一択。

通った。

ツモ順もズレたまま、ここまでくれば、もはや必然。
令嬢崎龍華にしては破格の、4度目のツモ切り牌は、美希の当たりの7索。

ロン!


渾身の発声と共に、手牌を倒す。

 ①②③7ロン チー312 ④④④ポン チー二一三

まあ、チチ合わせですのね


最低の下ネタが聞こえた気がしたが、今の美希の耳には届かない。
ひとまず急場をしのいだ美希は、卓脇のテーブルに、ちゅぱキャンを求めて手を伸ばす。
爽やかな甘味が、脳の疲れをいくらか和らげた。
さあ、次の局だと卓に向かう美希を尻目に、席を立つ令嬢崎龍華。

私の負けですわ


その言葉に、驚きはさほど覚えなかった。
ここまでくれば、もはや勝負は決したということだ。
どうやら豪運だけでなく、それなりの勝負感も持ち合わせているようだ。
正直、これだけで勝った気は全くしないが、それは、今の美希にとってもありがたいことだった。

私、こう見えても、奥手ですのよ?


そう言って、部屋を後にする令嬢崎龍華。
笑えない冗談だ、と思いながら、すかさず下家が彼女の手配を倒すのを、ぼーっと眺める美希。
そこに現れたのは…

 ①①①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑨⑨

異常。まさしく、その言葉がふさわしい。
配牌で、これが入るものなのか。
しかも、この手なら、下家の切ったスーピンを見逃したことになる。
あくまで、自力で引きアガれるという自信なのか、それとも…
メイドが、札束の入ったアタッシュケースを置いて、部屋を出ていく。
それに嬉々として飛びついた上家が、半ば放心状態の美希のもとに、一枚の万札を持ってきた。
そこに書かれていたのは、携帯電話と思しき11桁の番号。
先程の令嬢崎龍華の言葉が、脳内で反芻される。

…!

美希は、なぜか、胸がきゅんとなるのを感じた。

雀ゴロ美希

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