僕の名前は皆ノ本経義(みなのもとつねよし)。読書が趣味の高校一年生だ。
源義経を知っていますか?
すいません。愚問でした。知らない人なんているわけがないですよね。
僕の名前は皆ノ本経義(みなのもとつねよし)。読書が趣味の高校一年生だ。
冒頭からこんな質問をしてることからわかると思うけど、源義経のことが――
L・O・V・E! 大好きだ!!!
名前が似ているということもあるし、何より強いところに痺れる憧れる。
義経の本だと知ると絶対に読まずにいられない。漫画だろうが小説だろうが、義経について書かれたものなら逃さない。もし僕がもう少し早く生まれていたら、義経が平氏を撃つ戦いに馳せ参じていたことだろう。それくらい僕は義経をリスペクトしていた。
……それはさておき。
201×年9月のことだ。夏休み明けにとある本が発売され、瞬く間にベストセラーになった。そのタイトルは……
『異類義経記』
これまでにない大胆な解釈によって書かれた歴史小説という触れ込みだった。
もちろん僕は買った。MUST BUY だ!
家の近くの本屋では売り切れていたので、お母さんに頼んでアマゾンで買ってもらった。お急ぎ便で当日発送、翌日到着。僕はさっそくページをめくった。
――五分後。
なんだこれは!? 実に酷い内容だ!
義経は超人的な強さとカリスマ性を持ち、平氏を滅ぼした立役者だ。その強さの由来は幼少期に天狗に育てられたなど、諸説ある。この本ではその理由がなんと――
義経は毛を剃って人間のフリをした猿だったのです。猿だから身体能力が高い。つまり強い、というわけでおます。
………………
僕は何度となく本を読むのを中断しようとした。許されるのなら窓の外から今すぐに放り出したかった。
しかしお母さんに買ってもらったのと、定価が1800円とかなり高かったことから、僕は我慢して読み進めることにした。
もしかしたら最後に猿であることを覆す衝撃の結末が待っているかもしれない。
その一縷の望みにすがって読み進めたが、結局、義経は猿のまま終わった。がっくりした。こんなに時間を無駄にしたと思った読書は初めてだった。
余談だが五条大橋で敗北してから義経に仕えることになった弁慶は、毛を剃ったクマという設定だった。
どちらにしろ酷い! 酷すぎる!
翌日、学校に登校した僕はみんなの前で本のことをクソミソにけなしてやった。
ベストセラーだって言うから期待して読んだのに、本当に酷いものだったよ。義経は毛をそったサルで、弁慶はクマだっていうんだ。読む価値ない。ありえなさすぎる。みんな、絶対に読んではいけないからね!
マジ? じゃあ読まない
大半のクラスメイトは僕の話を信用してくれた。僕もこれ以上、あの本による被害者が増えてほしくないと心から願っていたのだ。
聞き捨てならないな!
突然、クラスメイトの猿渡紋吉(さるわたりもんきち)が食ってかかってきた。
いったい義経が猿で何がいけないってんだ? 本が面白かったかどうかはおまえ個人の感想だから仕方がないが、歴史の解釈にケチをつけるのはどうなんだ?
否定するからには義経が猿ではない証拠を見つけるべきじゃないのか?
証拠? 義経がサルなんかなわけないじゃないか。バカバカしい。以上だ。Q.E.D.
猿……なんか……バカバカ……しい……だって?
猿渡の目が獣のような怪しい光を帯びた。
それは……猿は人間よりも劣っている……って言いたいのかい?
当然だろ。人類は文明を築いた。一方、サルは山奥にいるか、動物園のサル山をあてがわれているかのどちらかじゃないか。議論するまでもないことだよ
猿渡は僕に荒々しくつかみかかってきた。
撤回しろ。今の言葉を、撤回するんだ。今すぐに。さもないと……キイイィ!
なんでだよ。君には関係ないじゃないか。サルみたいな声を出しやがって。
僕と猿渡はつかみあいの喧嘩になった。
猿渡は僕よりも頭一つ分小さい。僕は喧嘩は得意ではないけれど、こんな奴ならすぐに倒せると高をくくっていた。
ところが猿渡は予想外に俊敏だった。僕の攻撃を機敏にかわし、立てた爪でガリガリと引っ掻いてくる。一発一発はそこまででもないが、とにかく手数が多いのだ。
く、くそっ、この野郎!
僕は渾身の力を込めて一撃で勝負をつけようとした。しかしそれらも猿渡に紙一重で避けられてしまい、逆に腕を噛みつかれた。
痛っ! いたい、いたい! 熱い!
キイイイイッ! 謝れ! 猿全体に謝りやがれ! キイイイイ!
なんでだよ。関係ないじゃん。絶対に謝らない!
クラスメイトたちは傍観していて止めてくれない。どちらかが倒れるまで終わりそうになかった。
二人ともやめて! わたしのために争わないで!
そんな時、フローラルな声が響いた。クラスの中で一番造形が美しい女子の、小山内(おさない)さんだった。
はい!
キイッ!
僕と猿渡は同時に手を離した。
ありがとう。すぐに喧嘩をやめてくれて。わたし、嬉しい!
本当は僕と猿渡の喧嘩に小山内さんはまったく関係なかったのだけど、彼女に頼まれたからには僕は秒速で応じるのだ。
なぜならば――
僕は彼女のことを、L・O・V・E! 愛しているからだ!
もう教室の中で喧嘩なんかしないでね。先生に見つかったら連帯責任でわたしたちも怒られちゃうから。でも、すぐにやめたのは偉いぞ。
小山内さんは僕の頭を、
いい子いい子
と言って撫でた。クラスメイトの前でそんなことをされるのは恥ずかしかった。でも――
H・A・P・P・Y! 幸せだ。
一方、許せないのは猿渡だ。彼もまた小山内さんに頭を撫でてもらっていた。
いい子いい子。
ンフフフフ。
僕より2秒も長い。猿のようにしまりのない顔でニヤけている。実に醜い。見るに耐えない。
こいつ、本当に猿なんじゃないか?
そう思った瞬間、ピタゴラスチッチを最後まで鑑賞した時のような感覚になった。とはいえ、僕はすぐに頭を左右に振った。
流石に荒唐無稽すぎるな。この僕としたことが。
その日の夜、予感は確信へと変わった。
いつも通りの22時に布団に入ったものの、なぜかなかなか寝付けない。
昼間に猿渡によって噛まれた腕が妙にうずいた。
……痛い、というより、痒い!
僕は腕を掻きむしった。すると何かが指に絡んだ。部屋の電気をつけてみると、右腕が剛毛でビッシリと覆われていた。
臭い! 獣臭い! ま、まるで猿の腕だ。
思い当たるのは昼に猿渡に噛まれたことしかいない。僕は彼にラインでコンタクトを取った。
おまえが噛んだ腕から毛が生えてきたけど、一体どういうことなんだ!
返信はすぐにやってきた。
キキキッ! 諦めろ。おまえはそのまま猿になるんだ。おまえの嫌いな嫌いな猿にな!
メッセージとともに、煽り用のムカつく表情の猿のスタンプも送られてきた。
クソッ! あのエテ公め!
翌朝、僕は学校に遅刻した。
本当は真っ先に学校に行くつもりだったのだが、目を覚ましたら腕の毛がさらに増えていたのだ。家族の誰にも見られないように部屋で腕の毛を剃っていたら、家を出るのが遅れてしまったのだった。
この僕が遅刻をするなんて……。それもこれも、すべては猿渡のせいだ。
僕はぶつぶつ愚痴りながら廊下を進んだ。すると教室の方から騒がしい音が聞こえてきた。
既にホームルームが始まっているはずなのに、担任がまだ来てないのか……?
突如、教室のドアが外れて、廊下に猿渡が転がり出てきた。
……猿渡? 何をやっているんだ?
……く、熊田が。
熊田くん?
僕はドアの外れた入り口から教室の中を見た。
うおおおおおおお!
普段は温厚で大人しいはずの熊田くんが雄叫びを上げていた。さらに彼の腕の中には小山内さんが捕まっていた。
助けて。熊田くんの様子がおかしいの!
小山内さんの表情は真剣だった。本気で怖がっている。
僕は教室に飛び込んで熊田くんに詰問した。
熊田くん、どういうことなんだ。なんで乱暴をするんだ?
熊田くん彼と目が合った。一見大人しそうな目だったが、瞳の奥には凶暴な炎が揺らめいていた。
……君のせいだよ。
僕の? W・H・Y! どうしてだ?
……昨日、義経の本で、弁慶が実はクマだったって教えてくれたじゃないか。おかげで思い出したんだ。剃りたくもない毛をそって、人間社会にこっそりと隠れている場合じゃないって。
やってやる。ボクは第二の弁慶になって、この腐った人間本位の世の中を変えてやる! 自分を解き放つんだ!
く、熊田くんは……まさか、君は……
グオオオオアアワアア!
熊田くんは高らかに咆哮した。その途端、熊田くんの皮膚から刺のような毛が次々に飛び出した。あっという間に彼は本物のクマの姿になった。
ク、クマだったのか。し、知らなかった。同級生がB・E・A・R! ベアーだったなんて……。
気づくのが遅えよ、バカ! 名前からしてそのまんまだろうが!
猿渡が立ち上がって僕の隣に並んでいた。
バカとはなんだ。MONKEYのくせに!
イラッとしたけれど、今は猿渡と言い争っている場合ではない。
……た、助けて。誰か。助けて。
熊田くんに捕まっている小山内さんは感極まって泣いていた。失禁もしていた。今すぐに彼女を助け出してあげないといけない。
おい、皆ノ本。
なんだ?
オレが先に行って隙を作る。おまえがトドメを刺すんだ。いいな!?
本当は猿なんかと共闘したくはなかったが、今は同じ目的を共有している。僕は頷いた。
でも、僕の攻撃でクマが倒せるだろうか?
おまえの目覚めた力を叩き込むんだ。失敗するんじゃねえぞ!
そう言うや否や、猿渡は熊田くんに突っ込んでいった。正面から行くと見せかけ、壁を三角蹴りして空中にジャンプする。
くらいやがれ、キキキキイイィ!
叫び声とともに、猿渡は猿に変化した。
グワアッ!?
熊田くんも虚を突かれたのだろう。躊躇したところを猿渡の引っ掻きが乱れ飛んだ。熊田くんはこらえきれずに小山内さんを手離した。
今だ、やれ!
猿渡の激が飛んだ。
僕は右手に渾身の力を込めながら駈け出した。闘争本能に反応したのか、朝に毛を剃ったばかりの腕が一気に剛毛で覆われた。
腕に野生の力がみなぎった。――いける!
……んんん、MONKYEEEEEEE!
僕は熊田くんの顔面にパンチを叩き込んだ。
会心の一撃だった。
熊田くんは大の字になって倒れた。教室内のギャラリーから歓声が上がった。
やるじゃないか。見直したぜ。キキッ。
いつの間にか人間の姿に戻っていた猿渡がやってきて、握手を求めてきた。
僕は手を差し出そうとしたが、自分の手が毛むくじゃらのままであることに気がついた。
……どうしてくれるんだよ、これ。おまえが噛み付いたせいでこうなったんだぞ。
何言ってるんだ。オレが噛んだくらいで、誰もがこうなるわけじゃない。おまえはもともと猿の素質があったってことだ。
祖先に誰か猿が混じっていたんじゃないか? そうでなきゃこんな腕にはならないし、あれだけのワイルドなパワーも出ないんだぜ。
そ、そうなのか?
ああ。もしかしたら、おまえが猿だった義経の末裔だったりするのかもな。
あの本はフィクションだ。僕は猿渡の言葉を否定しようかと思った。でも、僕はその言葉を飲み込むことにした。
……そうだったら、いいかもしれないな。
そう言って僕は猿渡の手を強く握った。