ある人間が、ツバメを鳥籠に閉じ込めたんだ

……

ぽつり、と耳無しウサギが呟きました。
たまたまその場に居合わせた子ウサギは、
先輩ウサギの言葉に、静かに耳をかたむけます。

カナリアでもなく、オウムでもない。
旅鳥たるツバメを、だ。
愚かしいと思わないか?

自分に投げかけられたかのような言葉に、
子ウサギはとっさに答えることができませんでした。

 それでも耳無しウサギは言葉を続けます。

風に乗り、遠く旅立つツバメこそ美しい。
なのに、声に価値があるでもない彼らを閉じ込めて、一体何が残るというんだ?

そこで、ようやく子ウサギは口を開きました。

ツバメが、ずっと手元にいてくれます。
鳥籠で、ツバメを守ってあげることもできる

お前はまるで「それが良い行いである」かのように言うな?

ツバメが望んでくれるのであれば、
鳥籠の生活も素敵なことでしょう?

子ウサギのその答えを聞いて、
耳無しウサギは仮面の向こうで小さく笑いました。

鳥籠に囲うその行為が、ツバメの価値と幸福を大きく損なうとしても?

言ったはずです。
ツバメが望んでくれるのなら、と。
望みが叶う以上、少なくともツバメは幸福になれるはずです

ツバメが望めば、それが幸福……ね。
はてさて、人間やウサギにツバメの真意など正しく読み取れるものだろうか

耳無しウサギは嘲るように――あるいは憐れむように、
静かな声で言うのでした。

人間を前にすれば、無力な小鳥の意志など、容易く捻じ曲がるんじゃないのか?

◆鳥籠と小鳥のはなし

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