これはとても遠い昔、ある村でのお話です。
その村では長い間一滴の雨も振らず、
村中の田んぼや畑が干上がっていました。
これはとても遠い昔、ある村でのお話です。
その村では長い間一滴の雨も振らず、
村中の田んぼや畑が干上がっていました。
このままじゃ食べる物が無くなって、
みんな死んじまう!
どうすればいいんだ村長!
みなのもの、よく聞け。
わしに考えがある
なんだ?
古くからの言い伝えで、
村に日照りが続いたときは
神様に生け贄を差し出し、
雨乞いをするというのがある
それだ!
雨乞いをするしかない!
そうだ! そうだ!
言い伝えには
若い娘を生け贄にするとあるが……
とんでもねえ!
うちの娘っこさ
生け贄なんてごめんだ!
うちだってそうだ!
ふむ、困ったなあ……
丁度うってつけの女が
いるじゃないか
ほう、それは誰だ?
薬売りの若い女がいるだろう。
あいつを生け贄にすればいい
しかしよお、
よそ者といっても生け贄にするのは
ちょっと気が引けるべ……
あいつがキツネでも、か?
キツネ!?
あの薬売りが、
キツネだっていうのか!!
ああ。
俺はこの目でちゃんと見た。
あの女が村を出て行くとき、
キツネの姿を現したんだ
はあ~、おったまげたなあ。
あんなべっぴんさんが
キツネだったとはなあ……
どうやってキツネを
捕まえりゃあいいんだ?
キツネがこの村に来た時に、
虎挟みを仕掛ければいい
いや、それは駄目だ
なしてだあ?
あのキツネは頭がいい。
罠なんて簡単に見破られるだろう
だったらキツネを
生け贄にするなんて
無理だべさ
いや、一つ方法がある。
あのキツネを騙せばいいんだ
キツネに化かされて
薬を買っていたわしらが、
騙すことなんてできるのか?
考えがあるんだ。
村長、俺にまかせてくれ
ふむ……。
村で一番頭のいいお前が言うことだ。
まかせてみようじゃないか
薬~!
薬はいらんかね~!
よく来たな。
お前を待っていたんだ
ああ、あなたはいつもの。
どうしたのですか?
急病人がいるとか?
いや、今日は薬はいらないんだ
じゃあ、
私を待っていたというのは?
お前と話がしたくて、
待ち焦がれていたんだ
私と?
それはどうして……
お前のことを考えるだけで、
胸が苦しくなる。
寝ても覚めても
お前の顔が目に浮かぶんだ
この胸の病気は、
薬では治らない
まあ……。
私にできることは
無いのかしら?
この村に来るたびに、
こうして俺と
話してくれるだけでいい
それだけで、
とても嬉しい気持ちになるんだ
それだけで、
本当にいいの?
ああ。
それだけで、
構わない
そうして薬売りの女は男と楽しいひとときを過ごすと、
いつものように村人たちに薬を売って、
いつものように村を後にしたのでした。
本当にあれで大丈夫っぺか?
あのキツネが
嫁入りをしたいと願うまで
仲良くなるんだ
心を許して嫁になったら、
後は生け贄にしてしまえばいい
あのキツネが売ってくれる薬は
よく効くんだ……。
生け贄にしちまうのは、
かわいそうだなあ
何言ってる!
おらたちの命が
かかってるんだぞ!
でもさあ……
キツネを生け贄にしないなら、
お前の娘を差し出すしかないな
ひいい!
そんなこと言わないでくれ!
だったら
余計な事を言うな
そうだ!
黙ってろ!
わかったべ……
しかしあの薬売りの女は、
本当にキツネなのか?
おらたちはあのべっぴんさんが
キツネになるところを
見たことがねえからなあ
そんなに疑うんなら
あの女の後をつけようぜ。
きっと本性を見せるはずだ
おう、行ってやらあ。
村長たちも行くべ!
ああ
ふう……
薬売りの女は森の奥深くまで行くと、
背負っていた荷を下ろしました。
女の身体が光ったべ!
光が弱くなるにつれ、
薬売りの女の髪の色は変わり、
頭からはキツネの耳が生えて、
そしてお尻から何本もの尻尾が生えたのです。
やっぱり
この姿の方が楽ね
おったまげたあ!
ありゃキツネなんかじゃねえ!!
違うのか?
知らんのかおめえ!
ありゃあ、妖狐だ!
キツネの妖怪だよ!
あいつの魂胆がわかったぞ!
人間に化けて
村を滅ぼしに来たんだ!
なあ、村長。
妖怪でも生け贄にできるのか?
構わん。
村を滅ぼすあやかしだというなら、
尚更こらしめる必要があるだろう
あんな恐ろしい生き物、
今すぐ殺しちまおうぜ
焦るな。
しくじるとひどい目に遭うぞ
(あんなに素敵な方が、
私を見初めてくれるなんて……)
(ううん、勘違いしちゃ駄目。
あの人は、友達が欲しいだけなのよ)
(私は村の外のことを沢山知っている。
あの人はきっと、それが珍しいだけ)
(私のような妖怪ごときが
人間と恋をするなんて
厚かましいことを考えてはいけないわ)
しかし男に恋をしてしまった妖狐は、
前よりも村へ訪れることが多くなったのでした。
今日も会えて嬉しいよ
私もよ
しかし、毎日のようにここへ来ているが
他の村へ薬を売りに行かなくても
大丈夫なのか?
それはいいの
あなたに会えない日は
とても不安になって、
病気のようになってしまうから
そうか……。
実は俺もそうなんだ
嬉しい。
私たち、同じ気持ちなのね
ああ、そうだよ
男はありったけの愛情をこめて、
薬売りの女を抱きしめました。
薬売りの女は幸せな気持ちに浸りながら、
男の胸板にそっと手を置いたのです。
昨晩、不思議な夢を見たわ
ほう。
それはどんな夢なんだ?
私がこの村に住む夢。
これであなたと毎日……いいえ。
朝も夜も、
あなたに会うことができるの
でも、目が覚めて……。
それが夢だとわかったとき、
涙がこぼれてきたわ
そんなことで泣くなよ。
お前が泣くと、
俺も悲しくなるんだ
泣きたくないけれど、
涙が流れてきてしまうの
あなたと離れているだけで、
こんなにも苦しくなるなんて……
…………
ねえ、どうすればいいの?
私を助けて……
だったら、この村に住めばいい
よそ者を受け入れては
くれないわ
よそ者じゃなくなればいいんだ
簡単に言わないで。
そんなの無理よ
簡単さ。
俺の嫁さんになれば、
よそ者じゃなくなるんだ
えっ……。
それはどういう意味?
ちゃんと言わないと
わからないのか?
俺と、結婚してくれ
そんな……。
私なんかで、いいの?
もちろんだ。
俺の嫁さんになって、
この村でずっと一緒に暮らそう
うそ……。
夢みたい……
返事は?
もちろん『はい』よ。
私をあなたのお嫁さんにして下さい
ありがとう。
愛してるよ
私も……
薬売りの女と男は互いの身体を強く抱きしめ合い、
深く口付けをしたのでした……。
そして、明日に結婚式を控えた夜。
この化け物め!
とっとと村から出て行け!
きゃあああー!
痛いっ……!
本性を出しやがったぞ!
叩きのめしちまえ!
お願い、ぶたないで!
助けてえ!
ハッ!
(なんてひどい夢なの……。
明日は最高の日だというのに、
嫌な事を思い出してしまったわね)
……あら?
(あの人がいない。
どこへ行ったのかしら?)
(嫌な予感がするわ。
探しに行こう)
(こんな時間だというのに、
村長の家に明かりが……?)
妖狐には
気づかれてねえだろうな?
あ、ああ……
明日は雨乞いの儀式だ。
失敗は許されねえぞ?
向こうは妖怪だからな。
俺たちの計画に勘付きでもしたら、
何されるかわかんねえ
結婚式だと騙して、
うまく祭壇まで
連れて来いよ
もしもの話なんだが……
どうした?
妖狐を祭壇まで連れて行っても、
あやかしの力で逃げ出したら
雨乞いは中止になるのか?
それは心配ない。
祭壇にはあやかしの力を封じるように
結界が張られている
どんなに抗ったとしても、
妖狐が逃げ出すのは不可能だ
そうか……
もしかしておめえ。
妖狐に惚れちまったんじゃ
ねえだろうな?
ち、違う!
だったらいいけどよお。
お前が言い出したことなんだから
しっかりやれよ?
妖狐を逃がしたら、
お前の親と兄弟を
全員ぶっ殺すからな!
…………
妖狐に情が移る気持ちも、
わからんでもない。
だが、村を救うためなんだ。
わかっているな?
わかってるさ
(そんな、嘘よ……。
誰か嘘だと言って!)
(まさかあの人が、
私を生け贄にするつもり
だったなんて!)
(悲しんでいる暇は無い。
ここから早く逃げなくちゃ)
そして、朝がきました。
おはよう。
昨日はよく眠れたか?
ええ……
結婚式の朝だというのに、
元気が無いな。
もっと幸せそうな顔をしてくれよ
実は昨晩、
あなたと村長さんたちの話を
聞いてしまったの
なに!?
今日は結婚式じゃなくて、
雨乞いの儀式なんですってね……
どこまで聞いたんだ?
私が生け贄にされるという話も、
全部聞いたわ
…………
そこまで聞いて、
どうして逃げなかったんだ?
私が生け贄になれば、
この村は救われるのでしょう?
だけど逃げなくちゃ
お前が殺されてしまうんだぞ!
正直に言えば、
すぐにでも逃げようと思ったわ
でも、あなたのことを考えたら
逃げることができなくなってしまったの
お前……
おーい、まだかー?
ま、待ってくれ!
行きましょう。
みんな待ってるわ
今すぐ逃げるぞ!
ふたりで逃げるんだ!
いいえ。
私とあなたが逃げてしまったら、
あなたの家族が殺されてしまう
私が生け贄になることで
あなたが、そして村のみんなが、
救われるのなら……。
それでいいの
そんなこと、言わないでくれよ……。
俺が悪かった……。
俺が間違っていたんだ……
まーだ着替えてなかったのか!
早くしろ!
わかりました。
少しだけ、お待ちください
…………
薬売りの女は白い花嫁衣装に着替えると、
その美しい唇に紅を差し、
男に手を引かれて祭壇へ向かいました。
そして祭壇に用意されていた柱に縛り付けられたとき、
一つも抵抗することはなかったのです。
命を断たれる寸前に、妖狐は何を思ったのでしょうか。
天を仰いで、ひたすら泣き続けました。
妖狐が流した涙は大粒の雨となり、
田や畑をうるおしました。
そうして妖狐が命を絶たれてからも、
雨はいつまでも降り続けたのです……。
完