椿の花が咲く頃に
私は目を覚ます
・・・
私は妖かし
椿の花の妖かしだ
椿の咲いている頃にしか目をさますことはない
けれど、私の花は今年で最後だろう
目の前に揺れる椿の蕾
その数は、わずか3つである
ふと、頭上からいじわるな声が飛んできた
お前、今年で最後だぞ
意地悪な鴉
悪い悪い、そう怒るなよ
これでも一応土地神だからな
自分の仕事をしねーとだからさ
心配はいらないわ。私は平気
そっか、くれぐれもモノノケなんかにならないよう気おつけてくれよ
意地わ悪いけれど、八咫烏なりに
元気づけようとしてくれてることは分かった
それに、私が「モノノケ」になってしまわないか
心配だったのだろう
モノノケは
妖かしが病んでしまうと「そうなってしまう」ものだ
姿は皆、黒いモヤのようになり、
赤い目がぼんやりと浮かんだ
口の大きなバケモノだ
そうなってしまえば最後
みさかいなく命あるものを食べつくす
と言っても、塩をかけてしまえば
霧のように消えてしまう脆弱なものだけど・・・
問題は、魂もろとも消えてしまうということだ
もう二度と転生は望めず
それこそ本当の無を迎えてしまう
私はモノノケなんかにはならないわ
もう十分に生きたもの
全くなんとも思わないと言ったら嘘だけれど
寂しくもなければ
悲しくもない
遅かれ早かれ命とは終りが来るものだもの
それを、泣いて喚いて
もっと生きたい!
なんて思わない
もう100年は生きているけれど
目がさめるのは花が咲いている時だけだし
本体である椿の木から遠く離れることもできない
特に悲しいこともなかったけれど
これといって楽しい思い出もないような人生だ
この椿の花と同じように
潔く堕ちるのも
悪くない
それを聞けて安心した
今年で最後の椿の花は3つか・・・
その命堕ちるまでどうか健やかに
黒い大きな翼を翻し
八咫烏は飛んでいってしまう
冷たい冬空の風が、椿の蕾をかすかに揺らす
さて、残り短い命でどう過ごしたものか・・・
周りを見渡すと
人間が置いたのか、木で出来た長椅子がある
去年はなかった気がする・・・私が眠っている間に
できたのだろうか。
ここは公園でもあるわけだし
ベンチが突然出来ても不思議じゃないか
腰掛けると、ちょうど椿の花がよく見える
これはなんとも居心地がいい
特に何もすることもないのだ
ここで一日一日を過ごしていくのも
悪くないかもしれない
そんなことを考えていた時だった
・・・
一人の青年が
まっすぐこっちへ歩いてくる
ああいう格好の人間は以前にも見たことがあった
人間の中には学生と呼ばれる身分のものがいて
それはみな同じ服をきて 学校というところに行くのだという
夕暮れや、朝方など公園の前を歩いて行くのを見かけたことがあったが。こんな真昼にやってくるのは初めてだ。
こんなに近くで人を見るのは初めて
普通の人間の瞳が
私達妖かしを映すことはない
きっと彼はこのベンチを目指しているのだ
どうしよう、どいたほうがいいだろうか?
うっかり私の上に座られたくはないし・・・
などと考えているうちに
青年は私の目の前にやってきた
はぁ・・・
彼は深い溜息を一つ
きっと気のせいだとは思うのだけれど
目が合った気がした
ど、どうしよう
こんな経験は初めてで
どう対処したらいいかわからない
困惑したまま動けないでいると
不機嫌そうな顔のまま
青年は私の横に腰を下ろした
・・・
彼は無言のまま
持っていた荷物入れを広げると
なんとも太い紙の束を取り出して
ペラペラとめくりだす
物知りな猫又に聞いたことがある
あれは本というもので
世の中のあらゆる知識が書いてあるのだとか
見てみたい・・・
どうせこの人間には
私の姿は見えないのだ
ちょっとだけ覗き見ることぐらい
平気だろう
そっと彼との距離をつ、横から覗き見る
なに、この本に興味でもあんの?
!?
驚きすぎて、心臓が止まってしまうかと思った
見えていないものばかりだと思っていたから
でもこの子は今、たしかに私に話しかけた
どうしよう、人と話すなんて初めてで・・・
なんて言えばいいんだろう!
えっと、そう、彼は本に興味が有るのかと私に聞いたのだから
あの、えっと・・・なにが載っているのか、気になって。えっと、ごめんなさい
あぁぁ、口を利いてしまった!
自分の耳にまで響くくらい、
心臓が高鳴ってしまっている
今更ながら、勝手に本を覗いてしまったことが
すごく恥ずかしく思えてしまう
姿が見えてしまっているのだ
どう考えたって失礼極まりない!
・・・見る?
えっ
予想外の彼の返答に
言葉を失ってしまう
怒りだしてしまうんじゃないかと
思ってしまったけれど
彼は特に気にするようでもなく
自分が持っていた本をさし出してくれた。
なんだろう、これは。
うん、こういう感情はきっと
『うれしい』というのだ
い、いいの?
あぁ、別の本も持ってきてるから
ありがとう!
彼から本を受け取ると
思ったよりずっしりと重い
表紙にはたくさんの鳥達の絵が描かれている
少し緊張しながらも最初のページをめくると
色鮮やかなタッチで
一匹一匹美しい鳥達が描かれ
その下に文字が書かれている
人間の文字は読めないので
なんと書いてあるかわからないけれど
なんだか眺めているだけで
ワクワクした
見たことある鳥もいれば
夢にも描いたことのないような姿のものもいる
これが本・・・なんて面白いの!
ふふ
楽しくて
笑みがこぼれてしまうのを止められない
きっと人間の本をよんだことのある妖かしなんて
なかなかいないわ!
そう考えると
なんだか素晴らしい特権を得られたような気がして
優越感ににたようなものも感じられた
面白い?
えぇ! とっても!
そっか・・・
それっきり黙って
彼は別の本を読みだした
私も習って
貸してもらった本を見入る
この椿の木の下では出会えない鳥達の絵を
何度も何度も眺めた
最後のページに辿り着いてしまうたびに
また最初のページにもどってもう一回
何度読んでも飽きることはない!
そうして、もう、何回読み直しただろうか
遠くの方から時報の音楽が流れ始めた
そういえば昔
八咫烏にこの曲の名前を聞いた事がある
たしか「夕焼け小焼け」だっただろうか・・・
などとぼんやり考えてると
隣で本を閉じる音がした。
そろそろ帰らないと
あ、そうなんだね。
はい、本ありがとう
すごくすごく、面白かったわ!
彼に本を返し
見送るために立ち上がる。
けれど青年は
受け取った本を眺めて何か思うように考えこむと
ぱっと顔を上げた
あんた、明日もここに来るか?
来るも、なにも――
私はここから離れっられない
と、返してしまいそうになって慌てて口をつぐむ
きっとこの青年は
私を人間だと勘違いをしているのだ
確かに目を覚ましているあいだの私の姿は
人そのものだから
見える人が見れば
くべつなどつかないだろう・・・
だったら、わざわざ本性をばらして
怖がらせることもない
えぇ、明日もいるわ
椿の花が咲いている間は
ずっとここに来るわ
そう返事を返すと
納得したように頷き、青年は去っていく。
私は彼の背中を見送った
こういう時、なんて送り出せばいいんだろう。
人間達が別れ際に言う言葉
何度か耳にしたことがあるけれど
私達はそんなことを言うような間柄かしら・・・?
なんて戸惑っていると
公園の入口で彼は振り返って
軽く手を降った
じゃぁ、また明日
あ、うん
いいんだ。
言ってもいいんだ・・・
また明日
『また明日』と去っていく彼は
明日もここにやってくるだろう
また本を持ってきてくれるだろうか?
顔を合わせたら、なんて挨拶をしよう
朝なら『おはよう』
昼なら『こんにちは』
夕方なら『こんばんわ』
かな?
あぁ、名前も聞きそびれたから
明日きこう!
そして私も自己紹介しなくっちゃ
だってせっかく彼は私のことが見えて
お話ができるんだもの
こんな気持ちになるのは
どのくらい久しぶりなのだろうか
いいえ、もしかしたら初めてなのかもしれない
だけど、この感情は嫌いじゃない・・・
明日が、楽しみだな