第14話 末路
第14話 末路
霧湧村公民館。
「仏像はこの箱の中にあるんです」
山形誠が箱の蓋を開けて中身を見せて来た。宝来雅史と月野姫星は一緒に覗き込んだ。
「…………」
中を覗き込んだ二人は固まってしまっている。
「…… ひょっとして馬鹿には見えない仏像ですか?」
雅史は顔を上げて誠に尋ねた。何故なら箱の中には何も無かったからだ。
「へ?」
誠は中を慌てて覗きこんで固まってしまった。
「……無いっ!」
少しの間を置いて、誠が反応して慌てだした。箱の中に手を入れてまさぐったりしている。
「あれ? あれっ? あれれっ? 昨日は確かに有ったのに……」
一方、姫星は安堵した。雅史が”馬鹿には見えない仏像”とか言い出すから、実際に見えなかった姫星は、馬鹿だとバレテしまうのではないかと危惧したのだ。そして、何気なく見た窓の外の光景に見慣れた物が疾走しているのが写った。
「んーーーっ…… ? …… あの車…… まさにぃのじゃない?」
姫星が指差す先の道路には、雅史の車が土煙を上げながら走り去っていく所だった。
仏像を盗んだのは泥棒一味の生き残りパクだった。パクは山道を登らないで、適当なところで脇道に逸れて、遠回りして村に舞い戻っていたのだ。そして、廃農家の家に隠れて村を脱出するチャンスを伺っていた。すると農作業に行こうとしている村人たちが、仏像を公民館に隠したと話しているのを聞いていたのだ。
「へ、こちとら。 お宝を頂かないと帰る事ができねぇんだよっ!」
パクはアクセルを踏み込んだ、坂道でならパワーのあるSUVが有利だからだ。このSUVは、村に若い娘とやって来たひょうひょうとした学者の持ち物だったらしい。道に落ちていた(駐車)ので頂いた(盗った)のだ。
キーロックは万能では無い、やり方さえ知っていれば、簡単に開錠出来てしまうのだ。それは元自動車整備工のパクにはお手の物だった。この国はお人好しの連中ばかりだ。世の中には善人しかいないと思い込んでるらしく簡単に盗める。パクは一人ほくそ笑んだ。
だが、悪運も続かない。横道から出て来たパトカーに小心者の泥棒は動揺してしまい、パクは片輪を側溝に突っ込ませてしまった。
「ちっ、ドジった……」
パトカーから降りて来た若い警官が近寄って来る。パクは焦ってしまった。車内検査をされると仏像が見つかってしまう。というか、仏像はジャンパーに包んで助手席に投げ出したままだった。
「大丈夫ですか…… おや? この車は……」
そう何台も車がある訳では無い田舎だ。駐在所勤務の警察官は全ての車の持ち主の顔も名前も知っている。この車は東京から来た大学の先生が乗って来たはずだ。運転しているのは見知らぬ男。どう見ても怪しいのだ。
「ちょっと、お話を……」
若い警官が、そこまで言いかけた時に、パクはアクセルを思いっ切り踏み込んだ。SUVの強力なパワーは脱輪した車を強引に側溝から引き揚げた。そして、ハンドルを切ると、そのまま走り去ろうとした。
「ま、待ちなさいっ!」
取り敢えず叫んで見たが、そんな事で止まるような奴は、警官の前から逃げたりしない。警官は慌ててパトカーに戻り追跡を開始した。
山道を抜けて一つ峠を越せば県境だ。ただの不振車両では、警察は追跡が出来ない。県警同士の繋がりは有るが、建前上は然るべき筋立てをしないと警察官僚は嫌がるのだ。その連絡に手間取って居る間に、行方を眩ませれば逃げ切れる。パクはそう踏んでいた。
過去にも似たような逃走劇を行った事が有るからだった。
しかし、此処は田舎道。道路上を疾走しているのは、パクが運転するSUVとパトカーだけが走っていた。目立つことこの上ない。
パトカーは何とかパクの前に出て停車させようと右に左にハンドルを操作しているが、パクもそうはさせまいと、同じようにハンドルを動かす。
『はい、前の車は直ぐに停車しなさいっ!』
パトカーの拡声器を使って警官が呼び掛けている。しかし、パクには止まる気などさらさら無い。アクセルを踏む右足に力を入れるだけだ。時折、狸がビックリした顔で二台の車が疾走する様子を見ていた。
この村から脱出するには、一旦北側に下って、バイパスを抜けなければならない。その後、山沿いに迂回して県境を目指せば良い。泥棒の下見に来たときに、逃走経路として目星を付けて置いたのだ。
「あ? 何だ?」
見ると白い霧が掛かっている。向こうの景色が見えない程だ。まるで白い布団が山に掛けてある感じでかかっていた。
「しめたっ!」
パクは自分の運良さにほくそ笑んだ。警察車両は安全運転が義務づけられている。視界不良の中では速度を落として運転しないといけないのだ。警察がモタモタしている内に引き離すことが出来ると喜んだのだ。
「ついてやがるぜ」
パクは迷わず霧の中に車を突っ込ませた。
「クソォ、あの車は止まる気配が無いですね」
ハンドルを握る若い警官は舌打ちしながらアクセルを踏んだ。何とか前に出て停車させようとしているのだが、相手も此方の意図を知っているのか、針路を妨害されて前に出て行けないようにされているのだ。
「まあ、犯罪者が素直に言うこと聞いてくれたら、俺たちの仕事は楽だわな」
助手席に座る、ベテランの警官はそんな事を言いながら、自嘲気味に笑っていた。
『はい、前の車は直ぐに停車しなさいっ!』
それでも仕事をしないわけにはいかない。無駄とは思いながらも、停車を促す呼び掛けを行っていた。
「なあ、あの車は本当に盗難車なのか?」
ベテランの警官はパクの運転する車を指差しながら言った。
「ええ、一昨日に東京から来た学者さんの車ですよ。あんな人相の悪いおっさんじゃ無いです」
役場の山形に紹介されたのを覚えていた。これがアメリカとかだったら、車で体当たりして強制的に止めるのだが、生憎と日本でそんな真似をしたら大騒ぎになってしまう。余程の事件でなければ出来ない技だ。それに車を傷付けると持ち主に損害賠償請求されてしまう。それも厄介だった。
「運転手が不審者って事は十中八九。 泥棒一味の一人だろうな」
ベテランの警官は”賊は三人組で一人が逃走中”の知らせを聞いていたのだ。
「ええ、慌てて逃げてるのが証拠みたいなもんです」
若い警官はハンドルを慎重に操作しながら、何とか賊の車の前に出ようとしていた。
「あいつ、霧の中に減速しないで突っ込むつもりですよ……」
行く手に白いもやが出ているのが見えてきた。こんな所に霧が架かるのは初めて見るが、今はそれどころでは無い。
”事故ったらめんどくさいな”
ベテランの警官はそんな事を考えていた。パトカーはパクの車に続いて、白い霧の中に突入していった。視界は辛うじて五メートルある程度だ。前の車のテールランプがぼんやり見える程度の霞具合だ。これでは速度が出せない。
「え? 道が無い……」
さっきまで見えていた直線道路がいきなり無くなり川面が目の前に見えた。パクの運転する車はガードレールを突き破り谷底に向かっていく。そして、エンジンルームに運転席がめり込むような形で、車は谷底に落ちてしまった。
車が河原に落下する衝撃でエアーバックが作動した。もちろん、シートベルトも着用している。パクが受けた怪我らしきものは、落下の衝撃で少しだけ気が遠くなっただけだった。
「く、くそぉ……」
パクは直ぐに目が覚めた。車の前部とエアーバッグが落下の衝撃からパクを守ってくれていたからだ。しかし、衝撃のせいでガソリンが漏れているらしい。気化したガソリン特有の臭いが漂って来る。
「おまわりが来る前に逃げないと…… っ!」
パクはドアを開けようとしたが、身体が動かない事に気が付いた。
「ああ、シートベルトを外さねぇとな…… ふふふっ」
きっと事故の衝撃で頭が旨く動かなかったのだろう。パクはニヤリとしてシートベルトを外し、ドアを開けようとしたが開かなかった。車体フレームごと歪んでしまい、開けられなくなっているようだ。
「…… じゃあ、窓から出るか……」
窓に辛うじて残っているガラスの破片を肘で叩き落として、身を乗り出そうとしたら、またしても身体が動かない事に気が付いた。
「くそっ、足が何かに引っかかっていやがる」
パクは足を引き抜こうした。しかし、ピクリとも動かない。足元を覗き込むと盗んだ仏像が車体とパクの間に食い込むようになっているために動かないのだ。
「ちっ、邪魔な仏像だな……」
ガンガンと開いている手で仏像を破壊しようとするがビクともしない。足をもぞもぞと動かしてみるが抜ける気配も無い。そうこうしている内に車内に白い煙が立ち込み始めた。車のバッテリーが液漏れし始めているのだ。
「ああ、やべぇ! ガソリンに引火すると……」
パクは益々焦って仏像を叩いたりひっぱたいたりしたが何ともならない。足を引き抜こうと足掻くが、それも対して効果は無かった。気化したガソリンの臭いはいよいよ酷くなっていく。
”ボンッ!”
漏れたガソリンに引火したらしい音が聞こえた。身動きが出来ないパクは恐慌状態になってしまった。
「ヴォバアッヴァァァァ」
パクは意味不明な言葉を発しながら、手をバタつかせて火が来るのを阻止しようとしている。だが、ガソリンで勢いを付けた紅蓮の炎は、不遜な輩を見逃しはしない。あっという間にパクは炎に包まれ絶叫しはじめた。
「あ゛つ゛い゛ぃっ あ゛つ゛い゛ぃぃぃっーーーっ」
燃えやすい髪の毛は瞬時に無くなった。皮膚が炎に炙られて茶色く変色し、やがて剥がれて行った。ガソリンの高熱でパクの身体は、蒸発するかのように徐々に形を失い損壊して行った。
「あ゛? あ゛あ゛!! あ゛あ゛ぁぁぁーーーーっ」
高温に炙られた眼球が溶け落ちると共に、パクが発する断末魔の絶叫は谷川に響いて行った。
後方から追跡していたパトカーは、前方の車のテールランプが不意に消えたのを見ていた。
「ああ…… やっちまったな……」
若い方の警官が呟いた。それと同時に車の衝突する音が聞こえて来た。若い警官はパトカーを停止させて降り立った。
「あんな霧の中をスピード出すからだよ。 ったく、どっかに谷に降りる道はついてないか? それと消防に連絡してくれ!」
ベテラン警官は車載されているカーナビから地図を呼び出して崖の下に下りる方法を考え始めた。
「あれじゃあ、即死かな?」
ベテラン警官は地図を見ながら、帽子をずらして頭をかいている。
「…… いや ……」
若い方の警官は燃えている車を見ながら頭を振った。
「え?」
ベテラン警官は若い警官の方を見た。
「……聞こえますよね?」
やがて、この世の物とも思えない絶叫が聞こえて来た。霧は瞬く間に晴れて行った。まるで目的を果たしたかのようだった。晴れた谷底には激しく炎を吹きあげる車が有った。
崖の下まで優に十メートル以上の高さがある。直ぐに駆け付ける事が出来ず、警官たちは車が燃えるのを、ただ見ているしかなかった。
「じゃあ、身体を挟まれてしまったか、シートベルトが絡まってしまったか……」
若い警官は為す術も無く燃える車を見ていた。
「生きたまま焼かれてるのか…… 自業自得とは言え…… 何とも酷いな……」
パクの断末魔が聞こえているがなんとも手の施しようが無い。何しろ崖の高さは十メートル以上あるのだ。
「神様は何が何でも、不敬な輩は許す気が無かったみたいですね」
その時、一段と激しい爆発音がした。その爆発を最後にパクの断末魔の叫びは消え去った。崖の下で派手に燃える車を見ながら、二人で言い合っていた。
「おーい、この先に崖の下に下りる階段があるみたいだ」
地図を見ていたベテラン警官が、助手席から身を乗り出して言った。若い警官は頷き車に戻ってくる。そして警官たちは崖の下に降りるべく、パトカーを発進させて先を急いだ。