たくさんの魔族を引き連れ、世界支配を目論む魔王と、それを阻止すべく立ち上がった勇者たち。
彼らの戦いは、徐々にその激しさを増して行き、その戦火は次第にいろんなところへと飛び火していった。
そんな混迷を極めたような世界の中で、特に特産物や有名な観光地があるわけでもなく、かといって、戦略的に重要な場所というわけでもないがために、勇者一行も魔王軍も攻めてこず、実に平和な日々を過ごしている、とある小さな村があった。
ごくごく小さなその村に住む人はごく僅か。
村長にして唯一の薬師、そして村の吉兆を知ることができる占い師も兼任する高齢の女性――おばば様を中心に、村の若い衆をかき集めただけの自警団、その自警団を引退し、のんびり畑をいじることだけが生きがいの爺婆たちと、僅かばかりの若い女たちで、隣家の人は愚か、村人全員が顔馴染み。
稼げる仕事や、刺激などを求めて村を出て行く人はあれど、逆に村に入居を希望したのは過去に一例のみという、いっそ見事なほどに寂れた小さな村。
そんな、小さな村には一人の少年がいた。

アキト

ふぅ……
とりあえずこんなものかな……

腰を伸ばし、自らが耕した畑を振り返って、自分の仕事に満足げに頷いたこの少年の名はアキト・コウムラ。
彼はかつて、この村がある場所より遥か東、大陸の極東に存在する『華殷――カイン――』という国からさらに東の海を渡ったところにある小さな島国にいたのだが、魔王と勇者の戦いの結果、彼が物心着く前に両親と共に海を渡り、しかしどこも異邦人ということで中々受け入れてもらえず、長年の放浪の末に、唯一一家を受け入れてくれたこの小さな村にようやく腰を落ち着けることができたのだ。
しかし、それからしばらくして、アキトの両親が異国の病に倒れ、他界すると、村人たちが彼の親代わりになって、アキトの面倒を見てくれた。
そうして数年のときが流れ、成人こそいまだ果たしていないものの、村人たちのおかげで心優しく成長し、働けるようにもなったアキトは、少しでも育ててくれた村人たちの恩に報いるべく、畑仕事を買って出るようになった。
アキトは自分たちを受け入れ、両親が死んだ後も大切に育ててくれたこの村が大好きだった。
今はまだ平和そのものだけど、もし村に魔王軍が攻め込んできたら、躊躇いなく剣を取り、その身を戦いに投じようと心に決めるほどに、村が大好きだった。

アキト

といっても、何事もないのが一番だけどな……

小さく笑いながらぼやき、そろそろお昼にでもするかと、村の近くを流れる川に移動して、いそいそと保存が効く固いパンにかぶりついたときのことだった。

アキト

ん…………?
あれは…………?

川上から、ゆったりとした流れに乗って、一人の少女が流れてくるのが見えた。
どうやら少女は気を失っているらしく、ピクリとも動かずに、ただ流れに身を任せている。

アキト

そういえば、昔母さんが話してくれた物語にこんなシーンがあったような……。
あれは確か……、川に洗濯に来たお婆さんがでっかい桃を見つけるって話だったっけ……

ゆったりと目の前を流れていく少女をぼんやりと眺めながら、そんなことを思い出していたアキトは、やがて我に返ると、ぶんぶんと強く頭を振った。

アキト

ってそんなこと思い出してる場合じゃねえだろ!?

自分で自分にツッコミを入れたアキトは、慌てて川に飛び込み、ゆっくりと目の前を流されていく少女を捕まえて抱きかかえると、そのままざぶざぶと水を掻き分けて岸へと戻る。
そして地べたに寝かせてから、改めて少女の姿を見たアキトはその姿に思わず目を奪われた。
少なくとも、村では見ないような上質な生地で作られたであろう、見たこともない服がぴったりと張り付く肌は白く、水が滴る髪の色は薄い青で、瞳を閉じてなお美しく相貌が整っている。

…………
…………

アキト

綺麗な娘だな……
少なくともこの辺の子じゃないみたいだけど……どこの子だろ……?
この服も見たことないし……
……ってそうじゃなくて!!

再び自分にツッコんでから、アキトは少女の頬をぺちぺちと叩きながら呼びかける。

アキト

おい!
大丈夫か!?
おい!

…………
…………
…………

しかし、いくらアキトが呼びかけてみたところで少女はまったく反応を示さない。
困り果てたアキトは、再び少女を抱きかかえると、ひとまず自分の家に連れ帰ることにした。

暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる中、ベッドに眠る少女を眺めながら、アキトは、先ほど応急処置を終えて帰っていった村長のおばば様の言葉を思い出していた。

おばば様

この娘は、ただ気を失っておるだけじゃ……。もう間もなくすれば意識ももどるじゃろうて……。
そんなことよりもアキトや……。
わしは見てしもうた……。
お主とこの娘の未来を……。
お主とこの娘が関わりあうことで、お主の運命が大きく動くことになる……。
もしかしたらそれは、世界すらも変えてしまうほどに大きなものになるやもしれぬ……

おばば様

具体的にどうなるかはまだ分からぬが……、
少なくともお主はそれ相応の覚悟を求められるじゃろう……
わしの占いではそう出ておった……
ゆめゆめ気をつけることじゃ……

アキト

何をどう気をつけろって言うんだ……おばば様……

せめてもう少し具体的なアドバイスをと思わなくもなかったが、所詮、占いは占い。当たるかもしれないし、当たらないかもしれないと思いなおしたアキトがぼんやりとベッドの少女に視線を戻したときのことだった。

うっ……

小さなうめき声と共に、少女がゆっくりと目を覚ました。

…………
…………?

まだ頭がぼんやりするのだろう、きょろきょろと視線を巡らせた少女は、やがて椅子に座り、じっと自分を見つめていたアキトを捕らえ、ことりと首をかしげた。

アキト

ああ……、目が覚めた?

優しげに問うアキトに、少女はじっと視線を注いだ後、ゆっくりと頷いた。

アキト

よかった……。
おばば様は大丈夫だって言ってたけど、心配だったからさ。
びっくりしたよ……。
いきなり川から人が流されてきたんだから……

そう……ですか……。
あなたが……私を……助けてくれたんですか……。
ありがとうございます……

ベッドから身を起こしたまま、ぺこりと頭を下げる少女に釣られるように、アキトも頭を下げる。

アキト

あ……、ああ……いえいえ。
どういたしまして……?

そのアキトの奇妙な返答に、少女は一瞬ぽかんとした後、口元を押さえながら、おかしそうにくすくすと笑い始めた。
何かおかしかったかな? と首をかしげるアキトに、少女はふわりと微笑んだ。

すいません、いきなり笑ったりして……。
どうやら、いい人に助けてもらったみたいで安心しましたので……つい……。
あ……!
すいません、私ったら……。助けていただいたのに挨拶もしないで……

そういって、少女はベッドの上で姿勢を正す。

私はルリイエ……。
ルリイエ・メル・バーミリオンと申します。
よろしくお願いします……、えっと……

ルリイエと名乗った少女が言葉を詰まらせたところで、ようやく自分も名乗っていないことを思い出し、アキトも慌てて居住まいを正す。

アキト

あ……、これはどうもご丁寧に……。
俺はアキト・コウムラ……っていいます……。
よろしくお願いします、ルリイエ……め……

名前を覚えきれず、中途半端に読んでしまったアキトがおかしくて、ルリイエは思わずくすくすと笑ってしまい、慌てて口を押さえてから手を差し出した。

私のことはルリで構いません。
改めてよろしくお願いしますね、アキトさん……

アキト

ああ……、よろしく、ルリ……

そう返しながら、アキトは差し出された少女の手をそっと握り返した。

この二人の出会いが、後に世界にとって大きな意味を成すことを、この時点ではまだ誰も知る由がなかった。

pagetop