僕の見えている世界

第4話




















 真っ暗闇の中、淡い光がふよふよと浮いている。


 それは一つじゃなくて、いくつもいくつも浮かんでいた。

 まるで水槽の中の魚のように、暗闇をすいすいと泳いでいる。

 ただそこに水槽があるのだとしたら、横には延々と広いものの、高さの幅は随分狭い。僕の目線と同じくらいの高さにだけ光は浮かんでいた。


 どこかで似たような光景を見たことがある気がするけど思い出せない。


 流れていくその光をぼうっと眺めていると、やがてそのうちの一つがこっちへ向かってくる。

 光は僕よりも少しだけ高い位置で、目の前に止まった。

 まるで光が覗き込んでくるような……。


 そこまで考えて、この光景が何に似ているのか気が付いた。


 人だ。町の中の、人の流れだ。


 淡い光が浮かんでいるのは、人の顔の高さなのだ。

 光になってしまった人たちは、そのことに気付いていないのか、まるで町を歩き続けているかのように、暗闇の中を泳いでいる。



 ああ、これは。僕が見ている夢なんだ。

 そうだとわかると、僕の中で酷い嫌悪感が芽生えた。
 これ以上この光を見ているのが嫌だった。


 ひょっとして僕以外の人間は、全員僕とは違う世界に飛ばされて、こんな風に暗闇を泳ぎ続けているんじゃないだろうか。

 僕の見えている世界から消えてしまった人たちは、僕には見ることができない世界で。

 永遠に暗闇で泳ぎ続ける。


 気が付くと僕は、多くの光に囲まれていた。

 僕は強く目を瞑る。

 やめてくれ。もう、見たくない。これ以上……。


















 人の姿をしていない、人かも知れない存在なんて、見ていたくない。


 そんな存在を夢で見てしまう自分自身が、なにより気持ちが悪かった。



















 いよいよか。そう思った。




 僕は学校に閉じ込められていた。

 ドアが開かないとか、窓が開かないとか、そういうんじゃない。
 見えない壁があって、僕の行動を阻害するのだ。

 一定の範囲に壁があり、どんどんと腕を打ち付けてもビクともしない。

 もしかしたら、こうやって少しずつ範囲が狭まって、最後にはぺしゃんこになる。みんなそうやって消えてしまったんだろうか。

 僕は駆けずり回り、焦りながら出口を探した。





(ここには、彼女が居ない)






 水色の髪の女の子。

 自分が消えてしまうのは仕方が無い。そうなるんじゃないかと感じていた。

 でも、最後は彼女の側でと、約束をしたんだ。

 僕が行かなきゃ、彼女はあの場所から動くことができない。
 約束を守れない。






(会いたい。今すぐ、彼女に会いたい!)






 お願いだ、神様でも管理者でも、なんだっていい。

 世界が終わっても構わない。消えてしまうのは構わない。

 でも最後に彼女に会いたいんだ。それくらいの願いを、どうか叶えて欲しい。










 ドンドン、ドンドンと壁を叩いて回る。

 目の前に廊下が広がっているのに、見えない壁に阻まれて前に進むことが出来ない。
 いったいどうなっているんだろう。

 それでも、どこかに抜け道があるんじゃないかと信じて、見えない壁を叩き続ける。

 焦りながらもこまなく壁を叩く。時折になにかにぶつかって痛かったけど、構わず叩いた。









 すると少しだけ、行動の範囲が広がった気がする。

 まるで扉が開いたかのように、さっきまで進めなかった廊下を少しだけ真っ直ぐ走れた。

 走っては壁にぶつかり、叩いて道を探り、進める場所を見付けてまた走る。


 行ける。僕は絶対に、外に出る。

 あの子に会うために、外に出るんだ。










「ああ……」


 壁を叩く僕の手が、見えない。

 消えかけているのか?

 このまま僕も見えなくなってしまうのか? それとも……。













(最初から……見えてなかった?)
























 視界がぐにゃりと歪み、僕は強く首を振る。








(そんなことない! いま、僕が消えようとしているから……だから、急がなきゃ!)








 そうだ、僕が完全に消える前に。あの子が僕を見ることができる内に。


 約束したんだ。最後は側にいるって。だから、待っているはずなんだ。

 僕の見ている世界が正しいと認めてくれたあの子が、待っている!











「僕は絶対、会いに行くんだ……!」


















 一際強く、壁を殴りつける。

 すると……











ガシャン!!










「やった……!!」

 激しい音ともに壁が壊れ、夏の暑い空気が流れ込む。

 僕は勢いよく外に飛びだした。















 だけどそこには景色が無く、強い光に包まれ僕はなにも見えなくなってしまった。

































『仕方ない……隔離を……』












『ご両親は君を守るように……』












『置いて……いかないでよ……』












『お前だけでも……』

『お願い、生きて……』














『旅行、楽しみにしているよ。父さん、母さん』


























 気が付くと僕は、一面白い花で埋め尽くされた花畑にいた。

 ここはどこだろう? 町のどこにも、こんな場所はなかったと思う。

 花の種類は……僕は詳しくなくてわからない。たぶん蘭かなにかだと思うけど。



 でもそんなこと、どうでもよかった。












よかった、君に会えて




















 少し先に、水色の髪の女の子がいる。

 僕は駆け寄ろうとしたけど、彼女の方から僕の側に来てくれた。




君、歩けたの?

うん。そうだよ? おかしなことを聞くのね

そうかな……。まぁいっか。
実はさ、危うく君に会う前に消えちゃうところだったんだよ

そうだったの?

うん。見えない壁に阻まれて……あれ?




 阻まれて……それで、どうしたんだっけ?


 ……そういえば、消えていた僕の腕も元に戻っている。
 腕が消えている姿なんて見せたら怖がるかもしれないと心配していたから、元に戻れて良かった。


どうかした?

ううん、なんでもない。
……約束通り、最後は君の側にいることができてよかったよ



 滑らかで美しい水色の髪。柔らかそうな白い肌。そして……美しい、グレーの瞳。
 優しくて、曇りの無い、輝くような綺麗な色をしていた。


 悲しみなんて一つも無い。優しい世界が見える、そんな目だった。








あれ……?

ねぇ、さっきから大丈夫?

うん……うん。大丈夫だよ



 なにかがおかしい気がしたけど、彼女に会うという願いが叶ったのだ。それ以外はもうどうでもいいじゃないか。











ねえ、あなたは最後だって言うけれど、最後なんかじゃないよ?

どういうこと?

これから、ずっと一緒だよ。ほら……



 彼女が僕の手を取る。
 その手は思ったより温かくて、彼女が、そして僕が、生きているんだと感じさせてくれる。





 目の前には、一面の白い花畑。その先になにが広がっているのか、これから見に行けるんだ。


 僕と、そして……。






……そうだね。世界は終わりじゃない。

僕と、君が居るから

うん。そうだよ。だから……行こう?

うん。行こう





 二人並んで、歩き出す。











『………………』










 ……そこで、誰かに呼ばれたような気がして、振り返る。











 気が付かなかったけど、後ろには大きな川があって、その岸には赤い花がびっしりと咲いていた。













どうしたの?

なんか、呼ばれた気がしたんだけど……誰もいなかったよ





 そう、そこには誰もいなかった。

 誰の姿も、見えなかった。












僕たち、ずっと一緒にいられるんだね

うん。ずっと、ずーっと……一緒だよ








 僕らは歩き出す。白い花畑の中を、ゆっくりと。


 世界は終わりなんかじゃなかった。
 どこまでも広がっていた。





 僕と彼女の、二人だけの世界が。


 いつまでも、永遠に。



















僕の見えている世界 

了 

pagetop