2015年7月17日。天赦日。慶子が、年に5~6回しかない貴重な開運日を結婚式の日に決めたのは、どうしても幸せになりたいという気持ちが強いからであった。

慶子

ついにこの日が来たのね。信一郎さんといっしょになれるこの日をずっと夢見てた。

慶子

私、幸せになるわ。

慶子は、幸せの予感に胸を膨らませながら、結婚式の準備を進めた。衣装合わせが終わり、いよいよ新婦の入場の時間となった。

慶子

お父さん。行きましょう。

ああ。

慶子は、父の腕を取ると、式場へと歩き出した。ドレスの裾を踏まないように、慣れない足取りで、一歩一歩着実に進んだ。

新婦の入場に周りから惜しみない拍手が送られる。その拍手に新婦は満面の笑みで応えた。

ひとみ

笑っていられるのは今だけよ。うふふ。

父親と新郎がお辞儀をして、父親は新婦を新郎へ引き渡した。父親はここまで育てた感慨と、自分の元から娘が去っていってしまう寂しさとの二つの気持ちで、複雑な心境だった。

慶子

お父さん。今まで育ててくれてありがとう。

本当にいい娘に育ってくれた。あとは頼むぞ。信一郎君。

信一郎

お父さん。慶子さんの事は必ず幸せにしてみせます。

神父

次は聖歌斉唱です。ご起立ください。

その後も、結婚式は順調に進み、神父による聖書の朗読と祈祷が行われた。そして、式は結婚の誓いへと差し掛かった。

神父

新婦、慶子。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?

慶子

誓います。

神父

新郎、信一郎。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?

信一郎

誓います。

新郎と新婦の幸せそうな結婚の誓いの様子を、ギリギリと歯軋りしながら見ている女がいた。彼女は、悔しさをこらえ、無理やり笑顔を作った。今ここで感情を表に出して怪しまれるわけにはいかない。彼女の計画が動き出すのはまだ先なのだから。

ひとみ

我慢。我慢。

結婚の誓いに続いて、今度は指輪の交換、そして誓いのキスが行われた。

ひとみ

ど畜生が・・・。死ねっ!

ひとみ

はっ。危ない。危ない。

ひとみ

笑顔。笑顔。

司祭の結婚の宣言が終わり、二人は結婚証明書にサインを行った。これにより二人の結婚が成立した。

神父

次は聖歌斉唱です。ご起立ください。

聖歌斉唱も終わり、新郎新婦が腕を組み、バージンロードを歩いていく。介添人があとに続いて退場し、参列者も退場となった。

ひとみ

ふふふ。やっと終わった。たまらない苦痛だったわ。でももう少しよ。もう少しで・・・

式が終わり、親族紹介や記念撮影が行われた。そして結婚披露宴が行われる。ひとみの復讐の舞台がついに幕を開けるのである。

その後の結婚披露宴も滞りなく進んだ。仲人あいさつ、新郎新婦紹介、主賓の祝辞、乾杯も終わり、ケーキの入刀へと進んだ。

ひとみ

来た!ついに来たわ。私の復讐の時が!!

この披露宴で用意されたケーキは、ノルウェーの伝統的なお菓子「クランセカーケ」である。18個のリング型ケーキをピラミッドのように積み上げたケーキで、新婚生活にまつわる言い伝えがある。

目隠しをして二人でウェディングケーキ入刀し、カット出来た数=出来る子供の数という言い伝えである。

信一郎

じゃあ、ゆっくりいくよ。

慶子

はい。

二人は目隠しをした後、ケーキカット用のナイフを新婦が両手で握り、新郎が右手を添えて、いっしょに入刀した。

信一郎

あ、あれ?

慶子

どうしたの?

二人は、ナイフをケーキに入刀したが、いくらナイフを押し当てても、刃が通らない。それもそのはず、このケーキは見た目がそっくりに作られた造形樹脂の偽者だったからである。

ひとみ

あはははははは!

慶子

何?何なの?

ひとみ

1段も切れなかったようね!これであんた達には一生子供は出来ない。

信一郎

何だと!何なんだ。君は!

ひとみ

私の事を忘れたの?

信一郎

君の事など知らない。誰なんだ?

慶子

この娘は誰なの?

ひとみ

私はひとみ。信一郎さんに捨てられた元恋人よ!婚約までしていたのに、慶子が私から信一郎さんを奪ったのよ。この泥棒猫!!

慶子

私は泥棒猫なんかじゃない!

信一郎

君と付き合った事などないし、そもそも会った事すらない。何なんだ?君は?

ひとみ

よくそんなセリフが言えるわね!この裏切り者!

信一郎に心当たりがないのは当然である。なぜなら、全ては、ひとみの妄想の中の出来事で実際には、婚約どころか付き合う事もなく、それどころか二人は会った事すらないからである。

ひとみは、小学生の時に、信一郎に一目惚れした。それからというもの、彼をずっとこっそりと目で追い続けていた。中学も、高校も、大学も全て彼を追いかけて、同じ学校へと進学した。

しかし、一度も話しかける事はなかった。

それでも、ひとみは幸せだった。なぜなら自分の勝手な妄想の中では、二人は恋人であり、とても幸せだったからである。

彼女は、延々と妄想し続けた。そして、ついには幻覚を見るレベルまで症状は酷くなりどんどん悪化していった。

そしてふとした拍子に現実に帰った時、彼女の視界に映ったのは、慶子と信一郎が、肩を組み楽しそうに歩いているそんな姿だった。

そんな二人の様子を見て、彼女は完全に壊れた。そして身勝手な復讐を考えたのである。

ひとみ

私を裏切ったあなた達に、幸福など訪れない。絶対に幸せになんてさせないから!

ひとみは最後にそう言い残し、自らの手首を、ナイフで切りつけた。

慶子

きゃぁぁぁぁ

信一郎

突然起きた悲劇に、会場内の人々は、驚きの声と悲鳴をあげた。

ひとみが切りつけた手首から、血が滴り落ちる。そしてそれは、クランセカーケへと垂れていく。やがて、クランセカーケは真っ赤な血に染まった。

ひとみ

こ、これで、、私の呪いは完成するわ。あなた達には未来永劫子供は出来ない。

ひとみは最後にそう呟くと、ぐったりと横たわった。

あの忌まわしい結婚披露宴から10年の月日が過ぎた。信一郎、慶子夫婦の仲は良好だったが、いまだに子供を作る事が出来ていなかった。
二人は子供を望んでいたが、この10年間なぜか子供を授かる事はなかったのだ。

その後も、二人の間に子供が出来る事はなかった。呪いが影響したせいかどうかは誰にも分からない。

クランセカーケ

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