コワーキングスペース
『CHERRY』運営奮闘記

第三話

ここは、地方都市A市にあるコワーキングスペース、『CHERRY』。
ある日の午前、いるのは運営者の二人の女性です。鮎美はパソコンに向かってもくもくと作業。ちひろは奥のソファでなんだか、ぼんやりしています。

鮎美

……よし公開っと。

ちはるさん、昨日のバッグ作りワークショップの報告ブログ、書いたよ!

ちひろ

ありがとう……あーあ。

鮎美

どうしたの?疲れたんじゃない?

ちひろ

そうじゃないけど、うーん、昨日は失敗かなーと思って。

鮎美

どうして?

ちひろ

予想していた時間を1時間もオーバーしちゃって……迷惑だったんじゃないかな。

鮎美

まぁ、それは…でも、みんな楽しかったって言ってたじゃない!

ちひろ

それは、幼稚園のママ友だから気を使って言ってるのよ!
いろいろ甘かったわ。
ミシンも直線だけだからすぐできると思ったけど、使ったことない人には大変だったみたい。
布を裁ってアイロンかけるところまでやっておけばよかったし、時間なくて端の処理もできなかったし、あれもこれも…

鮎美

あははっ、ちひろさん、そういう反省点は、運営ノートに書いて残しておこうよ。

ちひろ

えっ。

鮎美

よかったこと、問題にだったこと、次回はこうしてみよう、っていうのを書いておく。システム開発だとKPTっていうんだけど。振り返りのくせをつけとくといいよ。

ちひろ

へぇー、そういうのあるのね。
ありがとう。

鮎美

ノートに吐き出して、次回に繋げればいいんだよ!
それにね。なによりも『よかったこと』は、ちひろさんが初めて、自分でイベントをちゃんとやったってことだと、思うよ。

ちひろ

そ、そうだよね!

てさぐりでコワーキングスペースを運営している鮎美とちひろ。ちょっとずつ経験を積んできているようです。

そして、今日はまた別のイベントが。

清川さんとその仲間達が集まってのスマートフォンアプリ開発のワークショップです。
メンバーが集まってきたようです。

久しぶりだね!小松君。なんだい、ちょっと痩せた?

小松

あっ、どうも。

はじめまして。よろしくお願いします。

へぇ、ここが会場ですか。コワーキングスペースって言うんですね。

こういう場所があるんだ。知らなかったなぁ。

鮎美

今日のお客さんの中で、また来てくれる人がいるといいけど。

小松

…あ、それ、B社からこの間出たノートパソコンですね。

そうそう。欲しくなってね。買っちゃった。
またかみさんに怒られたよ。

小松

いいなぁ……
実は今、パソコンの調子が良くなくて……だいぶ前から買い替えたいなと思ってたんですけど、変な音がするんですよ。

それはまずいね。ディスクが逝っちゃってる。

小松

でも…買い替えるお金もないし、だからこのまま使ってる状態で。

……あ、ちょっと待って。小松君、うちにハードディスクあるから、あげるよ!

小松

え。

かみさんのパソコンが、たしか同じタイプなんだよ。SSDに換装したから、ディスクは余っているんだ。
中古だから動作の保証はできないけど、変な音がするよりは安心できると思うよ?

小松

あ……ありがとうございます!

じゃぁ今度ここに持って来るよ。それまで壊れないといいね!

清川

じゃぁ、そろそろ勉強会始めましょうか。

鮎美

……あー、終わった終わった。
勉強会と懇親会、連続でお疲れ様!

清川

どうもありがとう。
いやー、ここでやると落ち着くなぁ。アットホームな雰囲気で懇親会も盛り上がったし。また来月もやりたいよ。

鮎美

ぜひぜひ!

ちひろ

お茶、どうぞ。一休みしましょう。

清川

ああ、いただきます。

ふう…………小松君も、ちょっと楽しそうだったから、よかった。

鮎美

つながりが復活してよかったですね。

清川

うん……

実はメールで聞いたんだけどね。
小松君、今、ほとんど家にいるみたいなんだよね。

鮎美

それって仕事してないってことですか。

清川

そう。高校の時に、このまま大学に行っても自分のやりたいことはできないから、プログラマとして自分の腕で生きるようなことを言ってたんだ。
まさかと思ったら、本当に飛び出して行っちゃった。

ちひろ

あらら……

清川

それで東京に行ったけど、大きい会社は門前払い。アルバイトや仕送りでしのいで、ようやく小さなベンチャーに採用されたんだ。でも、ベンチャーっていうと聞こえはいいけど、ワンマン社長のブラック企業だったんだね。
まともに家に帰れず、休みもほとんどない、給料は安い。福利厚生もちゃんとしてない。

それでも仕事は好きだったし、自分で選んだ道だし、って頑張ってたけど……社長に意見したのがきっかけで孤立無縁状態になって、精神的に参っちゃったらしいんだよね。親御さんがこれはまずいと気付いて辞めさせて、一昨年こっちに連れてきたらしい。

鮎美

はー。IT業界ってそんなんばっか。

清川

そこでね、うまく切り替えて再出発できればよかったんだけど、なかなかA市では仕事もないし、就職できないままで。

鮎美

うーん。

清川

知らなかったよ。東京行ったらしいのは知ってたけど、その後集まることもなくなっちゃったからね。
若いし才能もあるのに、もったいない話だよ。

清川

だから、CHERRYとか来てさ、たまに僕らと話しながら、パソコンいじってさ、リハビリできたらいいんじゃないかって思ってるんだ。

ちひろ

うん、うん。

それからしばらくしたある日。
『CHERRY』には小松くんと、勉強会で一緒だった男性が来て、小松くんのノートパソコンのディスク交換作業をしています。

こんにちは…えっと…恭太くんママ、います?

鮎美

恭太くんママ?……あ、ちひろさんか。

ああ、思い出した。この間の、布バッグワークショップに参加して下さった…

はーい!篠井です。

鮎美

ちひろさん今外出してますよ。30分くらいで戻ると思うけど。

あ、じゃぁ、待ってます。

鮎美

電話しましょうか?

いいのよ~急ぎじゃないから。あ、そっかお金払わなきゃ。はい、1000円ですよね。

鮎美

ありがとうございます。
お茶とか飲んでてくださいね。本もあるし。ごゆっくり。

はーい。

コピーはできたね。じゃ、ディスク入れ替えよう。

小松

はい。

…なにしてるんですか?

小松

うわっ。

あ、いや、これはね。このパソコンのハードディスクを別なものに交換しようとしてるんです。

交換?

彼のパソコンなんだけど、壊れちゃって。

パソコン修理屋さんですか?

そういうわけじゃないけど、まぁこれぐらいは趣味というか、しろうとでもできますよ。

鮎美

素人にはできないんじゃないかなぁ。

はっはっは、どうでしょうね。私も趣味が高じて仕事にしているようなものですから。

すごーい。パソコン壊れたら、捨てるしかないと思ってた。
直せるのー?

どう壊れたかによりますけど。彼の場合は、この部分だけ交換すれば大丈夫。

うわー!パソコンの中って、こうなってるんですね。初めてみた。

小松

触らないでくださいよ。

鮎美

……ま、まぁまぁ。

こんど、うちのパソコン調子悪くなったら相談乗ってもらえます?

おお!いいですよ。私のできる範囲でよければ!
じゃぁ名刺を……

小松

………

ちひろ

ただいま!あら、大ちゃんママ。

あ!恭太くんママ。この間はどうもありがと!!
あのね、作ったバッグなんだけど、……

鮎美

そろそろ閉店か。

小松くん、無事ディスク交換できてよかったね。

小松

…はい。

CHERRYはいろんな人が来て面白いね。
パソコンばらしてるだけで「すごーい!」なんて言われると思わなかったよ。
うちではかみさんに眉をひそめられるのに。

小松

ちょっとうるさかったです。

賑やかでいいんじゃないの。

小松

ここ、本当にコワーキングスペースなんですか?

鮎美

ん?

小松

コワーキングスペースってIT系の人がパソコン持ち込んで開発してるところだと思ってた…

鮎美

ああ。

そう思っている人多いけど、誤解なんだよねー。
プログラマが多くてIT系のイベントがメインのスペースも、もちろんあるよ。運営者がIT系のお仕事しているケースも多いし。

パソコンとネットワーク環境と電源があれば、どこでも仕事できる。そういうノマド的な働き方は、たしかに最初はIT系の人たちの間で広まってきた。
……けど、実際は、いろんな人が来るよ。

ちひろ

コワーキングスペースって、限られた人達の使う場所ではないと思うのよね。

こんな風にも使えるんだ…って、幅を広げていくのも私たち運営者の役割だと思うの。

ああ、そういえば……知り合いの開発者の人に、ここの話をしてみたんだけど「ツインモニタがなきゃ開発できない」って、興味示してくれなかったなぁ。

鮎美

うーん、貸出モニタか。あったほうが、いいとは思うけど…(資金が)……

ちひろ

IT系の人はたしかに多いです。鮎美さんもそうだし、大崎さんもそう。
でも、ライターさんで、ここで音声起こしして文章書いたりしてるし。

鮎美

プログラマの人でも、ブログを書くときは気分を変えて自宅以外で、なんていう人もいるね。
他には、建築設計の仕事の人が役所に行く前に書類確認したり。
主婦の人が家計簿つけたり。
個人事業の人は帳簿つけたり。

ちひろ

私は縫い物してるし。
ごはん食べに寄ってもいいのよ。

鮎美

そーだよ!コンビニでカップラーメン買って座って食べられる所なんて、実は少ないでしょ。

小松

…はぁ……

そうなんです。
コワーキングスペースって、「IT系の人が集まるところでしょ?」なんて、言われてしまうんです。
それから、起業家が集まったり、若者が使う場所だと思われていることも。
たしかに、そういう場所が多いのも事実。
しかし、コワーキングスペースの本質は「コミュニティ」。そこで出会う人達と思いがけない化学反応が起きるのが面白い場所です。
多様な人が混じれば混じる程面白いから、いろんな人に来て欲しいですね。

またしばらく後。
二回目のカレーの会が行われました。今回も10人くらいの人が集まっています。

大崎

これが噂の柳君カレーか。
うまいなぁ。

ありがとうございます!今回は野菜多めにしてみたんですよ。

メンチカツ作ってきたの。

ちひろ

ありがとうございます!ジューシーでおいしいです。

鮎美

大崎さん、久しぶりですね。

大崎

なかなか時間なくてね、実は。うちの嫁さんが勤めはじめて。大変なのよー。

ちひろ

あら、共働き。

大崎

娘が保育園に行くことになったんだけど、参ったよー。通いはじめてすぐ、熱は出すわ風邪ひくわ。
妻は休めないから、俺が病院連れてってさ。
毎日時間がなくて。

鮎美

そりゃそうだわ、奥さん就職したばかりなら。フリーランスの大崎さんのほうが時間の自由きくでしょ。

大崎

俺だって客先の都合もあるから、いつでもっていうわけにはいかないよ。

でも偉いわぁ。うちの子が小さい時なんて、ダンナは「お前の方が収入低いんだから子どもの面倒見るのはお前だ」って、病院になんて、絶対連れて行ってくれなかったわ。

ちひろ

うちの夫も帰りが遅いし土日もいないから、育児は全然。

大崎

俺も、育児手伝ってるつもりだったけどね。
鍛えられたよ、ここ数ヶ月で。も〜へろへろ。

鮎美

がんばれイクメン!

大崎

イケメンでイクメンって言って。

鮎美

嫌だね。

大崎

冷たいなぁ。ここの運営者は。俺、別のコワーキングスペース行っちゃおうかな。

そういえば、駅前にできたんですよね。

ちひろ

え……?

ああ、『シェアオフィス・クリスタ』っていう看板、見たよ。

大崎

そう、それそれ。

鮎美

あー、シェアオフィスか。なるほどね。

シェアオフィスとコワーキングスペースって、どう違うんですかね?

鮎美

どちらも仕事場を共有する形態なので、よく混同されるんですけどね…。

設備の面でいうと、コワーキングスペースは仕切りやパーティションのない机・室内で、空間を共有して複数の人がそれぞれの仕事をする。挨拶したり会話したりが可能。コミュニケーションのある場所ですね。

なるほど。

鮎美

一方、シェアオフィスはパーティションで区切られたりブースになっていたりして、部屋は一緒でも仕事する空間は一緒とはいいづらい。受付を通ったらあとは一人で仕事するので、他の利用者との交流もない場合が多い。

あと、地方のシェアオフィスとして多いのは、○○支店とか○○営業所としての利用ですね。この場合は住所と電話番号と打ち合わせ場所だけ欲しいんで、契約してるかんじ。

大崎

実は見学に行ったんだよ、俺。
平日昼間だったせいか、しーんと静まり帰ってた。電話がたまに鳴って、受付の人の声がするくらい。
場所はたしかに便利だし、内装も綺麗だったけど、壁が並んでて人の気配が感じられなかったね。

そっちに入居しちゃうんですか?

大崎

いやいや。俺は客先での作業が多いからね。電話取り次ぎも郵便受付もいらないし。
ちょっと駅に用事があったから、ついでに偵察よ。

ちひろ

シェアオフィスって全然雰囲気が違うのね。

鮎美

うん。便利か安いか快適か、設備、サービスにどんなものがあるか……そういう点に着目するのがシェアオフィスだけど、コワーキングスペースは、どんな人が来るのか、居心地はどうか、どんなイベントが行われているか、それが選ばれるポイントだからね。

こうやってみんなでわいわい、カレーが食べられる方がいいんじゃない?

ちひろ

でも、静かで集中できる場所が欲しい人にとっては、シェアオフィスの方がいいのかな。
人の話し声がうるさいって言う人もいるし。

大崎

どうかな。個人が気軽に借りられる値段じゃなかったね。月額会員制なんだ。

そうか、お試しでドロップイン利用できるのもコワーキングスペースの特徴ですね。

また何日かした日の朝。
オープンした直後に、利用者がやってきました。

鮎美

あら!小松君じゃない。どうしたの?

小松

なんなんですか。客に向かって「どうしたの」って。帰りますよ。

鮎美

あっごめんごめん。午前から人が来ることあんまりないから……

小松

………
これ、清川さんにもらったから。

ちひろ

あら、うちの回数券!

小松

俺、あんま金ないって言ったらくれたんです。
使わないと清川さんに悪いと思って。

鮎美

そういいつつ来てくれるんだから、小松くんここのこと、気に入ってくれたんじゃないの?

小松

選択肢が少ないから仕方がないです。
午前中は静かなんでしょ?

ちひろ

た、たぶん……

鮎美

……仕方ないって、あのねぇ

ちひろ

まぁまぁ鮎美さん……

こんにちはー!
関西に取材に行ってたんでお土産買って来ました!
八つ橋好きですかー?

鮎美

あっちゃー、うるさい人が来た……

えっ?なんか言いました?

コワーキングスペース『CHERRY』、いろんな人が来ると、いろんなことが起こります。
どんなコミュニティができていくのでしょう?

<< 続く >>

第三話 コワーキングスペースってどんな人が使うの?

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