その日は雨が降っていた。
その日は雨が降っていた。
おや、こんな所に箱が
置かれていたのは蜜柑の入っていたであろう段ボール箱。
神社の前に塵を不法投棄とは罰当たりな者がいたものだ。
ん?
今箱が動いたような?
それに何か鳴き声が聞こえたような?
まさか
傘を置いて思い切って箱を開ける。
箱は厳重にガムテームで封をしてあり、それを全て剥すのに少々手間取ってしまった。
開けられる程度に剥し終えて一気に箱を開く。
……捨て猫、ですか
そこにいたのは一匹の黒猫。
紫の目をした、変わった黒猫。
まだ子供で、雨のせいか弱っているようだった。
まずは動物病院ですかね? その前に暖めてあげましょう。寒かったでしょうに
冬の雨は段ボール越しでも寒いに違いない。
そもそも雨で地面が濡れ、箱の底が濡れていた。
触れてみれば猫の体も少し濡れている。
これでは体を壊してしまう。
一度住居の中に戻り、毛布でくるんで暖炉で暖めてあげる。
それから暫くして、黒猫の体が落ち着いたのを確認し、動物病院へと出かけた。
あの猫を拾ってから一年が経過した。
弱っていた黒猫も今は元気。
病院で診断して貰った結果これと言って病などは持っておらず、どうするかと訊ねられたので神社の中で飼う事にした。
猫の名前はたまと名付けた。
良くある名前。
だが、そこが良い。
神社にお参りに来る方にも大人気で、今や神社の看板娘だ。
そうそう、たまは雌だった。
さあ、たま。ご飯ですよ
ミルクを出せば可愛らしい舌を出してぺろぺろとそれを飲む。
キャットフードを出せば可愛らしい口に含んでかぶかぶとそれを食べる。
中々元気ですくすく育つ。
一人身である私を癒す唯一の良心。
それがたまだ。
たまと出会ってからもう六年。
彼女はかけがえのない家族となっていた。
たまの尻尾には赤いリボンが結ばれている。
どうにも神社に置いてあった赤い紐が気に入ったみたいで、中々離れようとしなかったので代わりのリボンをつけた所気に入ってくれたようだ。
首輪の鈴をちりんと鳴らし、赤いりぼんを揺らす姿がまた愛くるしい。
近所のお爺ちゃんお婆ちゃんに撫でられて、ごろごろと鳴く姿もまた愛くるしい。
そんなたまと一緒に暮らす私の事を羨む声が沢山聞こえる。
どうだ羨ましいだろう
私はキメ顔でそう言った。
たまとの出会いから八年。
未だ私は一人身で、たまもまた一人身だった。
猫は生後一年で十五歳、二年で二十四歳で、その後は一年につき約四年分の歳を取るらしい。
これはあくまで人間の歳で換算した場合である。
今のたまは八歳……いや、出会った当時から数えているからその前の事も考えれば九歳になる。
人間で言えば五十二歳。
もう立派なシニアの仲間入り。
私の歳はとっくに抜かれてしまっていた。
年上であるたまを敬わねばなるまい。
ありがたやありがたや
手と手を合わせて拝んでみた。
周りにしたお爺ちゃんお婆ちゃんも一緒になって拝んでいた。
たまは神様が遣わした天使ではないかと錯覚する事が偶にある。
たまだけに。
あれから十と九年が過ぎた。
私ももうすぐにお爺ちゃんの仲間入り。
年金生活にはまだ十年ちょっとの余裕があるが、五十を過ぎても未だ童貞。
結婚など夢のまた夢。
むしろこのまま一人身だろう。
神社の隣の住居の方の縁側で、私は日向ぼっこをする。
膝に乗せたたまを撫でれば、ごろごろという声で鳴いた。
たまはもう二十になった。
人間ならばぴっちぴち。
だけど猫なら百歳だ。
話によれば二十二歳、人間でいう百四歳頃まで生きた猫は長寿猫として表彰されるらしい。
因みに雌は雄よりも長い気らしい。
理由は良く知らない。そうお爺ちゃんたちが言っていた。
今はもうこの世にいない。
この神社も寂しくなったものだ。
よしよし。たまは可愛いなあ
私を一人残していけないからなのか、たまはこの歳まで良く生きた。
だけどそろそろ限界だろう。
その時はすぐそこまで迫っていた。
たまが消えた。
行方不明だ。
私は探した。
町を、川を、山を、至る所を探し尽した。
近所の人にも聞き回った。
神社に暮らす猫の噂はお爺ちゃん世代から引き継がれているようで、見ず知らずの人も協力してくれた。
SNS機能を使い、私の撮ったたまの写真を拡散してくれた。
沢山の人が協力してくれた。
それでもたまは見つからなかった。
私に愛想をつかしたのか。
そうではない。
たまは見られたくなかったのだ。
自分の死にゆくその姿を。
ああ……たま……。
せめて……お別れが言いたかった……
その日から私は良く寝込むようになっていた。
今日は久しぶりに外へ出た。
たまが消えてからまる一年。
箒を持って境内の掃除をする。
ここには沢山の思い出が詰まっている。
思えばもう二十年も前になるのか。
雨の日に、たまを拾い、それからずっと暮らして来た。
大切な大切な私の娘。
あの子がいたから今まで元気でいられた気がする。
活気に満ち溢れていた神社はそこには無く、あるのは寂れた姿だった。
最早神社として機能していない。
ここに神様はいないだろう。
それでも私は掃除をする。
綺麗に綺麗に掃除をする。
ここには皆の思いがある。
ここにはたまの記憶がある。
ここには私の思い出がある。
私が生まれ、育ち、死にゆく場所。
ふと、猫の声が聞こえた気がした。
……たま?
そんなはずはない。
きっと何かの聞き間違いだ。
そう思っていると、もう一度声が聞こえた。
ははは
きっと野良猫がいるのだろう。
住居に戻り器にミルクを注いで外に出る。
お腹を空かせているはずだ。
猫の声が聞こえるのは神社の階段を降りたところか。
そこはたまと出会った場所。
階段を降りる度、思い出が呼び起される。
気付けば頬が濡れていた。
一粒の滴。
大量の涙。
ああ……
私はこんなにも。
たまの事が好きだったのか。
また、声がした。
さっきよりもはっきりと。
この近くにいる。
私はその猫を探した。
そうして見つけた。
にゃあ
それは幼い少女だった。
にゃあ!
それは黒い髪だった。
神主様ー!
それは紫の目を持っていた。
まさか
それは赤いリボンをしていた。
会いたかったにゃー!!
それは、猫の耳と尻尾を持った少女だった。
ちりんと鳴る首元の鈴。
人の姿をし、それでいて猫のような特徴を持った、二本の尻尾を持つ少女。
猫又
長い年月をかけた猫が化けた者。
凶暴な者もいれば、元の飼い主に恩返しをする穏やかな者もいるという、日本の妖怪。
たま……?
はいにゃ!
それは私の愛した娘。
私の愛した可愛いたま。
たまっ!
私は彼女を抱き締めた。
強く強く抱き締めた。
もう二度と放さないように、強く強く、抱き締めた。