――僕は、間違っている。
 きっとどこまでも、誰と比較したとしても、どう品定めしようとも、時間がどれほど経過しようとも、僕は。

アイギス

お前は間違ってる

 自覚の有無がどうであれ。

 真正面から堂堂とそんなことを直截されたことは初めてのことだったため、どう返答しようかな、なんて呑気な自問が浮かびながらも、驚きと嬉しさが同居したような複雑な感情を持て余し、きっとその時の僕は目を丸くしていただろう。

 忌避されることはあっても、拒絶されることはあっても、除外されていても、こうして僕自身のことを否定されたことは今までなかった。そもそも特定個人を否定するだなんて、それこそ若さの象徴のようになりつつあるものの、愚者の戯言ならば右から左へ通り抜けただろうし、僕の付き合いといえば研究所内部の同業者相手ばかりで、険悪とは言わないものの辛辣であり、あくまでも仕事上の付き合いだ。

 となれば、こうして直截する友人のような親しい相手がいなかったことが、そもそもの原因なのだと言われればそれまでだが、それにしたってこの時の僕は彼女のことを友人とすら思っていなかったのだから、本来ならば怒るところなんだろうけれど。

 ハンターなんて呼ばれている依頼の代行者として名の知られている養父、名を〈女王陛下の御心〉というらしいけれど、彼の有名性についてはここで説明せずとも良いだろう。僕にとっては養父であるし、たぶん認識としてもそれで構わない。

 その養父の勧めで、研究ばかりしていた僕がたまの休日に健康上の理由で運動するため、どこぞの軍部に顔を出すようになってから、彼女とチームを組むのは三度目になる。いや、何故軍部なのかと問われても、紹介された先だったから、としか答えようがない。僕は不満に思っていなかったし、それなりに有意義な時間を過ごせてもいる。

 たとえば今回の訓練は樹海探索とは名ばかりのサバイバルで、ポイントを捜索しつつ地図を仕上げ、規定範囲内の作成が完了したのならば出口のどこかにあるチェックポイントで調査を受けて合格を受け取れば終わり、というものだ。期間は五日となってはいたが、今は三日目の夜。残り二日しかなく、僕たちの成果はどうかというと、かなりのハイペースで行っていたつもりではいるが、結果は芳しくない。なかなか難しいものだなあ、などと思っていたところだ。

 しかし、結構な人数がいるのにも関わらず、三度も彼女と同じチームになるのは作為を感じる。二度目の時点で定期面会に来た養父に問うてみたところ、相性が良いからだそうで、今となってもまだどこの相性が良いのかさっぱりである。愛称の間違いじゃないのかとも思ったけれど、べつに繋がりはない。僕の監視か保護者気取りかとも考えてみたが、それは疑い過ぎだろう。

 彼女は。

 たき火を中心にして対面から、こちらの顔色を窺うようなこともなく、真向から率直にそう言った。

 アメリカ人らしい、と思った直後に、果たして彼女はアメリカンだったろうかと首を傾げる。プラチナブロンド――いや白髪に限りなく近く、背丈はそれなりに高い。ロシアの出身だったかな? などと、つまり僕の彼女に対する興味はその程度のもので、向こうがどう思っているかはともかくも、ただのバディでしかなかった。

 今、この瞬間までは。

 ――間違っているのだと。

 そんな台詞に対して神にでもなったつもりかと軽口を叩くこともできたけれど、僅かに沸いた興味を振り払うのは面倒だったし、そもそも僕は驚きもしたけれど、何も演じていない素の僕は今この場において、それこそ返答するのも億劫なくらいに、いつも通り。

 いつも通り、どうでもいいと思っていたのだから、視線を向けただけで返答はしなかった。けれど、言葉を聞いていないわけでもなく、流しているわけでもない。それは彼女にも伝わったのだろう、妙に嫌そうな顔のまま続ける。

アイギス

あたしら軍人は死ぬこと見つけたり、だ。人の命なんざ便所でケツを拭いた紙くらいにしか思っちゃいねえ。ビッグサムがいくら金をかけて兵隊を育てたって、そりゃどこまでも消耗品だ

 兵隊に勝ち負けはない。そんなもの現場でいくら探したってない。あるのは殺した数と殺された数だけだ。それほどまでに人の命は軽く、すぐ消える。

アイギス

けどな、そいつはやり取りをしているからだ。わかるか?

アイギス

人を殺してはいけませんって野郎にゃ、突きつけられた銃口の肩代わりをやらせりゃいい。撃たれる前に撃て、殺される前に殺せ。生き延びて役に立て、死ぬ前にできるだけ殺せ。それがあたしら兵隊だ。それこそが戦場だ。いわゆる仕事で職業になる。本質的にゃ、それだけありゃいい。いいんだが……お前は明らかに違うだろ

まあ、そうだね。僕の本職は研究員だから、兵隊になった覚えはないよ

アイギス

そうじゃねえよ

 わかってて言うなと口にしながらも、彼女の顔に浮かんでいるのは苦笑だ。僕を責める様子もなく、程よく焼けたすずめの串肉をこちらへ放り投げてくる。投擲ではないことに感謝しつつも受け取ると、彼女は頭を掻きながら続けた。

アイギス

やり取りなんだよ。あたしの命を賭してるから、相手の命を奪う。別にそれが良いって言ってるわけじゃなぜ。けど、そこが最低ラインだ

それもそうか、いやその通りだ。さすがに僕よりも二十年近く先を生きていると違うね

アイギス

心にもねえことを言うな。だいたい十五年だっての、十五年。あのな……命のやり取りに限らず――戦場であっても、生きている以上は、生活の範囲で、ともかくあたしらには必ず危険水域ってのがある。分水嶺、あるいは境界線と言ってもいい。こいつはルールじゃない、規則じゃねえ。ただわかる。わかっちまうんだよ――それ以上踏み込めば、死ぬってラインがそこに在ることを

ふうん……

 そんなものは感じたこともないなあ、なんて思いながらも、僕は気のない返事をするのだけれど、彼女はさして僕の反応を読んでいないのか、言葉を続けた。

アイギス

功績を求めるヤツ、死にたがり、慢心、好戦的、蛮勇、そういう連中は戦場で真っ先に死ぬ。回りにゃ迷惑しか残さねえ最低のすることだ。生き残れるのは慎重で臆病、てめえの命を守る、死にたくねえ、そう思える連中だけ。あたしだってそうだ

まあ、それは前回の訓練で見てたからわかるよ。僕にとっては二度目の戦場で、とんだ休暇だった。誇張なく、きっと僕がまだ生きているのは、あなたのお蔭だと思うよ。知っているはずだけどね

アイギス

たまの休暇に軍部入るお前は常軌を逸してるだろ……どう考えても、間違いなく、尋常じゃねえ

それを言うならハインドのクソ野郎に言ってやってくれ。最近の楽しみはアイツの頭を地面に埋め込むにはどうすればいいかを考えることだ。研究の気晴らしにね

アイギス

冗談にしちゃ目が笑ってねえな

冗談じゃないからね

アイギス

だからここんとこ、基礎体力よりも技術方面に手を伸ばし始めたのかよ。聞いたぜ? 狙撃訓練を受けたんだって?

まあ

 あれは、決して狙撃訓練ではないと思う。何しろ僕が狙撃銃を片手に照準を定めるのではなく、業界では有名な狙撃手がプロテクターで固めた僕を撃ち抜く訓練で、僕はいわば標的として逃げ回るだけだった。二日くらい続けてやられたお蔭で、遠くからの視線というのがなんとなくわかったけれど、しばらく動けなかったのはまだ記憶に新しい。もちろん、疲労そのものを本職である研究に引きずらない方法は、もう随分前に確立したけれど。

アイギス

ともかくだ、そのラインを越えちまったら生きていけねえ。それが現実だ――が、中にはそいつを越えてなお、生き抜く連中もいる。あたしの知り合いにもいるし、まあハインドなんかもそのクチだろ。引退したとは公言してるが、どうであれあいつは生きている以上、現役でしかねえ。死ぬまで、ずっとそうだ

 だから困っているんだ。恨みは特にないけれど、過酷な訓練を受けさせられたともなれば、養父の背中を見ると蹴飛ばしたくなるのだが、あっさりと避けられる。背中に目でもついているのだろうか。

アイギス

だから、お前は間違ってる

 同じ言葉を繰り返し、肉を頬張る彼女を見て、僕も思い出したように鶏肉を口にする。味付けはないけれど、昼食は木の実などで済ませたため、一日ぶりの肉は美味かった。

アイギス

お前は危険水域を越えちまってる。危機感がねえし、慎重さはあっても臆病じゃなく、好戦的でもなけりゃ慢心もねえ――何より死にたがりじゃねえ上に、てめえの命を守りたいと思ってねえときた。人は矛盾してる生き物だけどな、お前は矛盾し過ぎだ。過ぎてる上に、それでいて整合性を保っていやがる。一人でロイヤルフラッシュも大概にしろ、こいつはどういうことだ

難しい言葉をいろいろと知ってるなあ。人の見方が違うっていうか、積み重ねを感じられるよ

アイギス

あのな……誤魔化しにもなってねえし、どうせお前のことだ、んなこと自覚してんだろ。だからいいってモンじゃねえけどな、これは

アイギス

いいんだぜ? お前がチャールズ・ホイットマンだったら納得だ。死ぬ気になって人を殺してんなら、そりゃ成果も上がるさ。あるいは安全地帯からなら、な

でも僕は生きてるじゃないか

アイギス

まだ生きてる、それだけだ。まあホイットマンの方があたしゃ良いと思うね、お前の方がよっぽど性質が悪い。死ぬ気にすらなってねえのに、――死んでねえ。異常だよ、それこそ常軌を逸していて、やっぱり間違ってる。お前、死にたいとも死にたくねえとも思ってないだろ。実際どうなんだ、そのあたり

これはあれかな、前に僕が訓練校で一泊した時に起こした事件でも耳に入ったかな

アイギス

とりあえず答えろ

うん、まあ……くだらないなあ。どうでもいいよ、そんなものは

 生きることも、死ぬことも、それほど気にすることだろうか。流れ弾一つで命が失われることもあれば、研究に没頭して過労で倒れる場合だってある。どちらも僕にとっては同じだし、どちらの状況でもない今の僕は生きているじゃないか。

アイギス

どうでもいい。それだ、そこが問題だ。あたしにゃ想像もできねえ。てめえの命すらどうでもいいだと? 天秤にも乗せねえで、いや乗せていても、どうでもいいのか。諦めてるわけじゃねえよな

諦観とは違うかな。感覚としては第三者に近い。馬鹿が二人争っていたところで、結局は他人事だろう?

アイギス

当事者で、てめえのことなら、他人事にゃならねえだろ

僕にとっては同じだよ。それは、当事者である僕が他人と同じなんだ。だから諦めるのとは違うし、天秤だってきちんと知っているさ。だからあの時も、僕は僕なりの矜持で行動した――つもりだよ

 大した事件ではない。訓練校にはよくある、新人いじめのようなものだ。ただ僕は殴られるがままに殴られ、これで終わりだと宣言されてから何事もなかったように立ち上がって同じ個所を同じ数だけ殴り返した。ちなみに、僕は打撲で済んだが相手は複数個所を骨折したらしい。鍛え方が足りないというか、僕が加減をしなかっただけだろうけれど。

あなたたちの流儀では、さっきも言った通り、銃口を向けられたら先に撃つんだろう? だから僕も相手の流儀に倣って、同じことをやり返しただけなんだけれどね

アイギス

あれだけ痛めつけられて、よく立ち上がれたもんだ。周囲がかなり引いてたぞ

え? 痛みがあるから立ち上がれるんじゃないのかな。僕はそうだよ。痛みは現実を、それこそ痛感させてくれるからね

アイギス

それも他人事かよ

さすがに痛覚はちゃんとあるよ。僕はこれでも人間だからね。けれどあの時は、だからどうしたって感じだね。優先順位の問題なのかな? 痛い、だからって蹲る選択はなかった。もちろん感情としては逆上もしていなかったし、恨みもなければ怒ってもいなかったよ。あれは彼らなりの意志疎通手段なんだろうと、そう思っていたくらいさ。だから以降も、なぐり合った彼と出逢った時、僕はやあと気軽に片手を挙げて挨拶をするよ。向こうは、何故だろうね、想像はつくけれど、挨拶を返してはくれないかな

アイギス

その冷静さが余計に引かれる原因になってんだよ……本当は、何とも思ってねえだろ

いやいや、そうでもないよ。僕にだって想像力はある。骨折は痛いだろうし復帰には時間がかかるだろう。本職の彼に対してゲスト扱いの僕が怪我を負わせてしまったんだ、彼の立場も危うくなるし、自業自得だとはいえ少しばかり申し訳ないと思っていたさ。言っただろう、僕だって痛かったんだ

アイギス

あー……

 困ったというよりも、言葉を探すように視線を虚空へ向けながら頭を掻いた彼女は、軽く膝を叩いてから沈黙し、新しい肉を手に取りながら口を開く。

アイギス

いいか?

うん、なに。まだ寝るような時間じゃないよ

アイギス

お前さ、あたしが間違っていると最初に断定した時に――

 その言葉に。

アイギス

――その通りだって、納得しただろ

ああ、うん、そうだね。よく見てるなあ

 丸太に座っていた彼女は、膝の間に頭を落とした。今にも投げそうな肉なしの串が危険だ。回避行動だけは迅速に行おう。僕だとて痛いのを望んでいるわけではない。

アイギス

お前なあ……

え、なにその恨めしそうな声。怪談でも始めるなら先に言っておくけれど、僕は霊が見えないし感じない上、どうでもいいと思ってるから効果は期待しない方がいいよ

アイギス

そうじゃねえ、よ!

 串をスナップで放たれたが僕は避けない。軌道は僕の足元よりやや背後、そこにいた百足が縫いとめられてじたばたとしていた。凄まじい投擲スキルだ。僕にはとてもじゃないが真似できない――いや? この距離ならばできるかもしれない。ただし串ではなくナイフで。

アイギス

認めんなよ

他人の評価は面白くないかな? 僕は、あまり自己評価をしないから、他人のものを聞くとためになる

アイギス

死にたくはねえだろ?

死にたいなら、今までにいくらでも機会はあったね

アイギス

生きたいだろ?

それは

 即答できない問いの部類だ。否定も肯定も、今の僕には簡単にできない。

どうだろう。たとえば僕の人生が今、この瞬間に――たとえばあなたに殺されて終わるとして、僕は何の未練もないんだ。明日が来なくても問題ない。原因はともかくも、どうであれ、胸を張って言えるよ――悔いのない人生だった、とね

アイギス

やり残したことはねえってか

厳密にはあるけれど、それは仕事関連での業務ってわけで、実際にはないね。そもそも僕にはやりたいことの方が少ないから。だいたいあなたが言ったんだよ、常軌を逸してるってね。本職が研究で基本的にはデスクワーク、それなのに休暇で軍部に顔を出すなんてのは、いくら状況に流されているからって、ありえない話だろう? まるで主体性がないと、そう思っても仕方ない状況じゃないかな?

アイギス

主体性云云はともかくも、研究員の癖に軍部でまともな作戦行動がとれてる時点で、もうギャグの世界だろこれ。アンチマテリアルで二千五百ヤード先のゴルフボールをワンヒットさせるくらいの信憑性のなさだ

それなら〝偶然〟でもありそうなものだけれどね

アイギス

偶然じゃなく、こりゃ〝奇跡〟の範疇だろ

それもそうか。でも当たってるとは思うよ、確かに僕は間違っているんだろう。でも――よくあなたは、こんな僕に対して平然と対応できるんだね。研究所ならともかく、こうした場では僕の異常性は顕著だし、隠そうともしていないけれど

アイギス

あ? なんだかんだで面白いだろ。脚を引っ張るわけでもねえし、仕事じゃなくお前当人の話だ、問題ねえよ

はは、つまりあなたも、どこかおかしいみたいだね

アイギス

それも当たりだ。ただの娯楽って感じもあるけどな。ハインドが困り顔のくせに笑っていやがる理由もよくわかる

あなたは無理難題を吹っかけないだけありがたいよ

アイギス

何が難題だ、それをこなしてる野郎がよく言うぜ

そうは言うけれどさ、僕だって何もかもがどうでもいいと思っているわけではないよ。わかりにくいかもしれないけど、僕にだって生活があるし、目的を持てば達成したくもなる

アイギス

それこそ問題だろ、間違ってる。何しろ、そうは思わなくてもだ、お前はいつでもそうやって、どうでもいいと捨てることができるから、その選択肢を保有してるから、しないだけ……選ばないだけだ。違うか?

……まさか、僕みたいな知り合いがほかにいるから、前例に擬えて僕を解析してるのかな

アイギス

お前みたいなのがほかにいたら、あたしはもっと頭を抱えてる。冗談でも恐ろしいことを言うなよ

 それはそれで失礼な話だが、確かに僕みたいなのがもう一人いたら、頭を抱えたくもなるだろう。そう思って僕は肯定しておく。

アイギス

――だが

 彼女は言う。

アイギス

お前の親父さんは、たぶんそのあたりに耐えられなかったんだろうな

どうやら、詳しく知ってるみたいだね

アイギス

まさか、冗談じゃねえ。面白半分で人の過去に立ち入ることはトラブルの種だ。あたしが聞いてんのはざっとしたあらすじで、それ以上のことは興味がねえし、あったとしてもお前に訊くさ

ふうん。その上であなたは、耐えられなかったと解釈するんだ

アイギス

お前の親父さんがどういう人物だったのかは知らねえけどな――殺されたわけじゃねえなら、どうであれ逃げたってことだろ。そう聞いてる。だとすりゃ、なにから逃げたのか。責任による重圧? 人間関係の悪化? 経歴を見る限り、そうは到底思えねえ

逃げた……か。うん、たぶん、そうだろうね。父さんが自覚していたかどうかは知らないし、興味もなかったけれど、実際に状況だけ見れば僕から逃げたようなものだ

アイギス

それに関してのコメントは?

父さんの人生は父さんのものだ。僕なんて、一応息子扱いだけれど、オプションみたいなものさ。スパイスだと言ってもいい。口を出す権利もなければ、悪態をつくほどに今の生活が悪いわけじゃないさ

アイギス

あっさりしてやがんなあ……そりゃ、あたしに限らず訓練校の連中の親なんてのは、どいつもこいつもクソッタレで、いっそ殺してやりてえと思うような野郎だが、そうでもなかったんだろ?

理想的な父親像、なんてものを僕は持っていないから何とも言えないし、そういう観点から見ていなかったから断定は控えるけれど、少なくともクソッタレと毒づくような相手ではなかったよ

アイギス

じゃ、どういう観点で見てたんだ

あなたと同じさ

アイギス

――ああ?

だから、僕から見たあなたと基本的には変わらないよ。親子だとて他人だ、そんなことを今さら説明する必要があるとは思えないね。詰まらない話だ

アイギス

お前は……

ともかく、親はどうであれ、僕はこんなだけれど、あなたに迷惑をかけたいとは思っていないんだよ

アイギス

そりゃわかってるさ。何しろ、あたしが一緒にする作戦じゃあ、捨ててねえんだろ? 聞く限りじゃ、お前は目的を達成しようとする間際であっても、気が抜けたみたいに止まっちまうらしいじゃねえか

ううん、気が抜けるわけじゃないよ。ただ、達成したい気持ちを持っていたとしても、道程が楽しいと思えてしまうんだ。そうだな、ジグソーパズルで残り枚数が少なくなると、急に手を出さなくなるような、達成そのものが見えてしまうと先延ばしにしてしまうような気持ち、あなたにはわからないかな

アイギス

理解はできねえが、わからなくもねえな。あたしはとっとと終わらせて次を買うほうが楽しみだ

だろうなあ。あなたは僕と一緒で飽きて止めるような人じゃない。こつこつと地味な作業にこそ楽しみを見つけられるし、結果的に達成感を得るけれど、求めようとはしない。――まあ、やっぱり僕はあっさり捨てられるんだけど

アイギス

どういう感覚なんだ?

難しいことを訊くね。たとえば?

アイギス

たとえば……そうだな、戦場で思ったことはねえのか

何度かあるよ。途中から口を開かずに、ただ言われるがままに行動している時なんかは、どうでもいいなと思ってる

アイギス

そういう事実をあっさり公表すんな! 思い出したらなんか怖くなってきたぞ、おい。心当たりが両手くれえあるんだが

 だから、何度かあると言ってるじゃないか。それでも、彼女と一緒にいるとそういう機会も増えている気がする。これが養父の言っていた相性ならばお笑い種だ。

アイギス

あー……あん時も森の中だったな。訓練中に駆り出されてのゲリラ掃討戦。あたしとお前とのツーマン・ワンセルで五人ばかり狩っただろ

相手の総数は八人だっけ? 半数はやったんだ、さすがは現役だなあと思ったものだよ

アイギス

お前あの時、最初からずっと、延延とあたしの指示に従ってたろ。……マジか?

うん。いわゆる流されるがままに、自分で考えて行動するのがどうでもよくなったんだね

アイギス

もしあたしがいなかったら、どうしてたんだ。そりゃ栓のねえ話だってのはわかってて訊いてるんだが

さあ、どうだろう。とりあえず隠れるのは面倒だったからやめていただろうね。武装放棄まではしない……と思いたいけれど、どうだろう、僕だからよくわからないな。本当に何気ないことでどうでもいいと捨ててしまう。やる時はやる男だと言われたこともあるし

アイギス

それ絶対に違う意味で言われてんぞ

でもそうだね、感覚としては自暴自棄に似てるよ

 きっとそれは――パズルではなくて、工作をしている時にふと、通りもののように訪れるあれと同じだ。

ボトルシップを作っている最中に、ふとビンを割りたくなる感じが近いと思うよ。壊したいんじゃなくて、そう、台無しにしてやりたい――だ。今まで培ってきた己、自己、そうしたものをどうしようもなく、台無しにしてやりたくなるのさ

アイギス

そいつは、感情じゃねえのか

もしかしたら、そうかもしれない。すっきりするかな? くらいのことは考えるけれど、その程度ではあまりにもリスクが高い。……うん、理由を考えてもきっと無駄だよ。それはどうしようもなく、後付けの理詰めでしかないからね

アイギス

当事者のお前でもかよ

僕でも。それに云うけれど僕だってあなたと変わらない部分はちゃんとある。特異に見えるけれど、異質に感じるけれど、それはただ僕が自暴自棄になっているだけで、ただそれだけのことで、その一点を除いてしまえば、そう特質でもないんだよ

アイギス

んなこたわかってる。だからお前は間違ってんだよ。……けどまあ、どうであれあたしだって他人事だ。直そうなんて思っちゃいねえし、あたしが迷惑じゃねえ範囲なら好きにしろってなもんだ

いわゆる実験動物(ラット)のようなものだね

アイギス

保護観察とか、そういう言葉を使えよ。あたしのが経歴でも年齢でも、まあ上官だろ。べつに上官っぽく振舞ったこともねえけど

なんだ、そうだったんだ

アイギス

知らなかったのかよ……

察してはいたけれど、直接聞いたわけじゃないから。僕はあなたと違って、真正面から堂堂と、こうして訊けるほどの度胸はないよ

アイギス

感情はちゃんとあるんだよな? そのあたりが麻痺してるわけでもねえ

あるよ。ちゃんと制御してる

アイギス

違うな。お前のはコントロールし過ぎてるって云うんだ、クソッタレ

せっかくぼかして言ったのに

アイギス

自覚してんのかよそれも!

後付けの理由だけどね。僕にはそもそも感情らしい感情がなかったんだ。捨てた……のか、それとも自覚がなかったのか、それすらどうでもよかったのか。ともかく、後から表面上だけでも感情を表現して他人と合わせないと余計に面倒だと気付いて学習したんだ

アイギス

お前ね……破天荒にも程があるぞ

睨まないでよ、怖いなあ。だいたい感情って面倒じゃないか。己へ向かうものも、他人へ向かうものも、疲れるだけだと僕は思うね

アイギス

アッパー系もか?

あれこそ最たるもので、疲労の度合いからすれば僕は真っ先に回避したいね。しかも一時的じゃないか。ハッピーになれば周囲も見えなくなる

アイギス

……怖いな

え?

アイギス

話を聞けば聞くほどに、お前が怖くなるぜ。つーか、お前が生きていることが一つの奇跡じゃねえのか?

そう――でもないと、思うけどなあ。模倣だけでも生きて行ける証左みたいなものでさ。でも、確かにそうだね、簡単に言ってしまえば僕は、一言で済ませるのなら、もうずっと、最初から、僕は満足しているんだ

アイギス

それでも目的くらいは抱くんだろ?

そうだね。それがどんなくだらないものでも、持つことはある。達成してやろうと行動することもあるね。でもそんなこと、自覚の有無は別にして、人なら日常的に行ってるものじゃないか

アイギス

他人から与えられたものと、てめえで見つけた目的とじゃ違うだろ。後者の方が意欲的になる

同じだよ。それともあなたは、自分の居場所は自分で創らないと我慢ならないクチかな? けれど、僕はそうじゃない。場所は場所だ、その経過がどうであれ同じじゃないか

 やっぱりお前は間違ってるよと言われ、僕はそうなんだろうねと頷いて肯定を示した。

アイギス

ま、そうだな。お前が間違ったままどこへ行くのか、老後の楽しみにでもしておくか。今のところは、それでいい

そうだね。僕はきっと正しくなることはなく、ずっと間違ったままのような気がするよ

 けれど彼女は、途中でリタイアしてしまった。脱落し、僕はもう逢うことはない。そして、まだ間違ったままだ。
 僕は相変わらず友人を持てずにいて、真正面から間違っていると否定しながらも、それを肯定した人物は彼女をおいてほかにはいない。だからきっと、その時から僕の中での彼女は友人になった。
 彼女が死んだ時に僕はその場にいなかったけれど、ただ連絡を受けて。
 やはり死んだのかと思っただけで、それきりだ。そんな態度をもし彼女が見ていたのなら、苦笑して言うんだろう。
 ――お前は間違っている。
 僕は、何が間違っているのかわかっていて、直せない。また治そうともしていない。
 だから、間違っているんだ。

否定でもなく肯定でもない

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