マフラーを拾った。学校の帰り道のことだった。
 普段ならマフラーが落ちていようが、ああ誰かの落とし物なんだろうなと思ってそのままにしてしまう。

 でもそのマフラーは、なぜかわからないけれど非常に心惹かれた。人通りの少ないアスファルトの上に放置されたそれを拾い上げる。

 柔らかい。とろりと肌の上に乗るようで、しかしふわふわと空気を含んで膨らんでいる。毛糸で編まれている訳ではなく、何か動物の毛を使って作られているようだった。

 ずっと触っていたい。そう思わせるほどにそのマフラーは心地よく、不思議な魅力があった。
 しかし勝手に持ち帰る訳にもいかない。とりあえず警察に持って行く事にした。

最近多いんだ、マフラーの落とし物

 警察の人はそう言って、溜め息をついた。

一応預かるんだけど、誰も取りに来ないから、溜まっていく一方でね…

そうなんですか

 目の前のマフラーを見つめる。どうしようもなく心惹かれた、不思議なその白いマフラー。

あの、じゃあこれ、引き取ります

え?

学校に持って行ってみます。もし落としたのが学校の生徒だったら、持ち主が見つかるかもしれないし


 警察の人は少し悩んでから、わかった、君に任せるよと言ってマフラーを渡してくれた。


 帰宅して、少し汚れたそのマフラーを洗濯した。乾いてから改めて触れると、洗う前よりもずっと気持ちが良い。もしこの素材の寝具があったなら、それはそれは夢のような心地で眠る事が出来るだろう。

 枕元に置いて眠る事にした。夜起きて水を飲みに行ったり、トイレに行く時に、マフラーが傍にあると、この寒い時期はありがたい。
 その日は、そのまま眠りについた。


 夜中のことだった。喉が渇いて目が覚めて、枕元に置いたマフラーを探す。
 しかし、マフラーはどこにもなかった。昼間拾った事が嘘のように、跡形も無く消えていた。どこを探しても見つからない。諦めて、寒い中、震える体で水を飲み、喉を潤してまた布団に入る。やはり枕元には何も無い。

 だが、朝になると、マフラーは枕元にしっかりとあった。なくなる夢でも見ていたのだろうかと思うくらいに、当たり前のようにそこにある。触っても、癖になる心地よさがあるだけだ。
 そんなことが何日も続いた。

 このマフラーは、夜中になるといなくなる。いつも寝落ちてしまって、マフラーがどうやって消えるのかわからないところが悔しい。いつも夜に目覚める時には、マフラーは既にない。目が覚めると、元の場所に戻っている。

 夢なのだろうかと何度も思うけれど、それは現実で起きている。最初は不気味さを感じたけれど、それはマフラーを手にすると、その心地よさに一瞬で掻き消される。
 取り憑かれでもしたのだろうか。それでももう、このマフラーを手放す気はなくなっていた。



 学校にマフラーを巻いていくことにした。息の白い季節だった。
 マフラーの暖かさは驚くほどだった。
普段はネックウォーマーで済ませてしまうせいで、マフラーを巻く習慣がない。こんなに暖かいなら、ネックウォーマーにしないでおくんだった。
 教室に入り、自分の席に座る。暖房の効いた部屋だというのに、首元に暑すぎる不快感が一切ない。軽くて、つけていないみたいで、それでいて気持ちが良い。

 その日はそのまま授業を受けた。1日が終わり、席を立って帰ろうとする。
 鞄を肩にかけたとき、後ろから声がかかった。

あの


 その姿を見て、心臓が飛び上がるほど驚いた。

 目の前の少女は、数ヶ月前からずっと片思いしている相手だった。小柄で、ふわふわと柔らかそうな髪が肩にかかっている。穏やかに笑う笑顔が好きで、でも話しかける事は出来ずに、ただ遠くから眺めているだけだった。

あの、ちょっといいですか

え、あ、うん

ここじゃあれなので、屋上で


 もしかして、と期待するのも仕方ないと思う。ただでさえ好きだった女の子と初めて話すことに精一杯なのに、そう言われては心臓が破裂しそうだ。
 彼女が身を翻して屋上に向かう。慌ててそれを追いかけた。

そのマフラー、私のなんです


 彼女はそう言った。まさか自分の拾ったマフラーが好きな女の子のものだったなんて、なんという偶然だろう。

あ…そうだったんだ。ごめん。あの、これ


 彼女は、形容しがたい顔をしていた。少し迷うような表情を見せたあと、彼女はすっとこちらの瞳を真っ直ぐに見た。

多分、絶対信じてくれないと思うけど、私、羊なんです

羊なの。人間じゃないの


 はっきり言って、何言ってるんだろうと思った。いつも見ていた少女はこんなに電波だっただろうか。
 しかし、少女の瞳は真剣だった。冗談を言っているようには思えない。

これ見て。角よ。羊の角。いつもは隠してるけど、耳もあるの

 
信じられなかった。ほら、と少女の分けた髪の間に、くるりと巻いた、角以外の何者でもないものが生えていた。角の下には小さな動物の耳があって、自分が何を見ているのか、だんだんわからなくなってきた。

信じてくれた?いきなりこんなもの見せられて、びっくりしてると思うけど…


 その通りだ。正直、どう受け止めてよいかわからない。

あ、あの。ごめん、今ちょっと混乱してる…

うん、いいの。普通そうだと思うから


 少女は腰を下ろした。座って、と促され、少し距離を開けて腰を下ろす。少女はぽつぽつと話し始めた。

きっと私が、馬鹿みたいなこと言ってるなと思うと思うけど、最後まで聞いて欲しいの。私達は、夏が来ると毛を刈るの。そして冬が来る前にその刈った毛で、マフラーやセーター、手袋を作るの。今私が人の形を取っているから、自分の毛を刈ってそれで何かを作るって、ちょっと気持ち悪く聞こえるかもしれないね。でも、ウール百パーセントだからね。気持ち悪くはないのよ。逆にそのマフラー、驚くほど心地が良いでしょう


 大きく頷いた。首元にそっと手をやる。味わった事の無い手触りが、触れる度に伝わってくる。離したくないと思うほどに、気持ちが良い。

羊達が作ったものはね、好きな人に渡すものなの。そういう相手がいなかった場合は、感謝している人に渡すの。本当に好きな人にしか渡せないし、感謝している人にしか渡せないようになってるの。自分の分身だから。私から、感謝と愛情を込めて出来たものだから


 少女はこちらを見た。

こう言うと失礼に聞こえるかもしれないけれど、好きだと思った人にしか渡せないから、あなたが持っているとだめなの。私は、お母さんにあげるつもりで作ったけど…ねえ、夜中にそのマフラー、消えるでしょう。私の元に来ているの。あまり話した事の無いあなたに、失礼ばかり言ってごめんなさい。あなたがそのマフラーを持つべき人ではないから、夜中にマフラーは逃げ出してしまうの。私がうっかり道端に落としてしまったから…迷惑をかけてごめんなさい


 
 失礼になる、と何度も彼女は挟んでくれたけれど、自分のことを好きではないとはっきり言われたも同然だった。胸がずくんと腹まで落ちるような感覚を覚える。確かに話した事などほとんどないし、彼女が自分のことを好きになってくれるとは微塵も考えてはいなかったけれど。

 この流れだと、マフラーを彼女に返さなければならない。
 返したくないというのが本音だった。彼女が気持ちを込めて作ったものなら尚更だ。


あの、好きです

え?


 思わず口走っていた。何もかもすっ飛ばしてだ。言った自分で激しく動揺し、あの、ちがう、ちがわな、えっと、なんて、しどろもどろになる。

でもあの、本当なんだ。マフラーのことを抜きにして、前から、その、ずっと好きで。今言っちゃうなんて自分でも思ってなくて、その、ごめん


 少女は驚いた顔のままでいる。

このタイミングで言ったら、嘘みたいに聞こえるかもしれないけど。でも、君が羊だということを信じて欲しいというのと同じ気持ちで、君が好きだと言う事を、信じて欲しい

…ふふ。あはは!


 突然少女が笑い出す。小さな笑い声はだんだんと大きくなり、彼女は腹を抱えて笑い出した。

あなた、面白いわ。ねえ、こういうのはどう?夜中、マフラーと一緒に私の元に来るの。あなたに興味が湧いたわ。もっと話をしたい。そして信じるわ、あなたのこと


 少女は目を細めた。

ありがとう。私人間じゃないけど、まさかそんなこと言ってもらえると思っていなかったから、すごく嬉しい


 まさか話すきっかけをさらに貰えるとは。早いうちに死んでしまうのかと思うほど、幸運が一度に襲ってきた。

マフラーが動き出す時間は夜中の二時よ。頑張って起きていてね

うん

 また今夜ね。そう言って彼女は屋上の階段を降りて行った。


 その夜から、彼女との密会が始まった。
 早い時間に眠って、夜中に目覚める。マフラーはふわりと浮き、すっと窓をすり抜けていくように見えた。
 音を大きく立てないように、玄関から出て、時折姿を消すマフラーの後を追って行く。マフラーが着く先は、決まって小さな丘の上だ。

こんばんは

こ、こんばんは

ねえ、早速話を聞かせて。いつから私のことが好きだったの?

ええ!?そんな質問から始めるの!?

 彼女は教室で見ていたよりも、ずっと笑う子だった。いつもはしまっているらしい角、耳を、自分と話す時は隠さないでいてくれる。
 無邪気。まさにその言葉通りの子だった。

 彼女に惹かれた理由は、まず第一に容姿があった。いわゆる好みだったのだ。そうして彼女を見ているうちに、彼女の笑う姿や、怒る姿、様々な表情に心が動かされるようになっていった。話しかけられない、でも見ていたい。

 こういうの、ストーカーっていうのかなと言ったら、彼女はまた笑った。私、なにも被害受けてないわ。そう言って、憧れていたあの笑顔で笑ってもらえると、心がぎゅっとするのだった。
 毎日のように交わされる、とりとめのない言葉。幸せだった。


 マフラーはずっと巻いていた。彼女がそれを許可してくれた。だから、外で会っても、ちっとも寒さを感じなかった。
 彼女はというと、

私は羊だから。今着てる洋服だって、全て私の毛皮のようなものだもの。羊がもこもこしてあったかいの、知ってるでしょ?

 だそうだ。本人が言うなら、心配ないんだろう。

 

 それから何度も、何度も彼女と会った。彼女はお喋りだったけど聞き上手で、会話をつなげて行くのがうまかった。
 どんどん彼女を好きになっていく。好きで、好きで、毎日この夜を楽しみにしていた。

ねえ、今日はね、プレゼントがあるのよ


 まさにいたずらを企んでいる目。うふふと笑って、彼女はマフラーに手をかけると、するりと取ってしまった。丁寧に畳み直し、最後にぽんぽんと叩いて形を整える。

はい。あなたに

え…

私、最初に言ったわ。好きな人にマフラーを渡すんだって。お母さんに渡したかったけど、あなたに受け取って貰いたくなったの

…本当にいいの?

ふふ。そんな弱気に聞くけど、ほんとは手放す気なんてなかったのでしょ


 うふふ、と彼女がまた笑った。

ほんとはあなたが好きだって言ってくれた時から、もう興味は強くなっていたの。だって面白いんですもの。でも、本当に、嬉しかったのよ


 くるりと丸まった角、人と違う耳。彼女の一部を分けてもらえる事に、言い表しようの無い感情を覚えた。クラスに知らないうちに紛れ込んでいた、羊の彼女。めえ、なんて、おどけて言う事もあった。
 受け取ったマフラーを、もう一度広げる。自分の首にかけ、残りを彼女の首に巻いた。


寒いから、もっと近くにきて


 彼女が無言で、密着するように隣に移動する。肩に暖かい温もりが乗った。

わたし、そのマフラーをあなたに渡せてよかった。渡したいと思う相手が出来て、よかった

うん…ありがとう


 二人はゆっくりと目を閉じた。


 
 夢を見た。あのマフラーと全く同じふわふわした中で、隣にいる彼女と話すのだ。ねえこれ、私の毛皮よ。最高でしょ。気持ちよいでしょ。ここであなたと話せるなんて、楽しいわ。

 辺り一面真っ白で、雪の中にいるように錯覚した。しかしどれも優しいぬくもりだけを持っていて、冷たさなんて少しも無かった。
 柔らかな絨毯の上で、彼女と思った事を自由に話す。綿を少し手に取って唇をつけたら、いやだ、恥ずかしい。と言われた。
 見て、と彼女に言われ、彼女が指差す方角を見る。

 たくさんの羊達が、虹の上を飛び越えて行く。羊が一匹、羊が二匹。眠りに誘うあの声と、全く同じ光景が広がって行く。
 あなたとの話も何もかも、本当に楽しかったわ。マフラー、大切にしてくれると嬉しいな。
 彼女は最後にそう言って、笑った。



 夢から覚めて最初に襲ったのは寒さだった。当たり前だ。まだ冷える丘の上で、大した防寒具も着けずに、思い切り眠ってしまったのだから。
 その時、隣に違和感を覚えて、慌てて飛び起きた。重さがない。
 一人分の長さのマフラーが、首に巻いてあるだけになっていた。彼女の姿はどこにもなく、ただ首元にマフラーだけが残っている。

 意外と驚かなかった。あの最後の夢は、彼女がいなくなることを十分に伝えていたように思う。涙は全く出なかったし、彼女が元々そういう運命なら、こちらがとやかく言う事ではない。君の一部を持っているというのは、なんて嬉しくて、尊いのだろう。

ありがとう。すきだよ


そう伝えた。何も無いところに。彼女が先程までいたそのところに。



 彼女は同じクラスだったけれど、目覚めたあとの世界では、クラスの誰も彼女の名前はしらなかったし、名簿にも載っていなかった。彼女の記憶が、跡形も無く消えている。自分の中ではこんなに、痛いくらい刻まれているのに。 

 首元のマフラーを触った。それは確かにそこにあって、何が夢で、どこからが夢かもわからない。

 それでもこのマフラーの感触は、最初に触れた時と全く変わらなかった。

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