ゼエ…ハア…
ゼエ…ハア…
静かな山道に響くのは、
鳥の声とアタシの呼吸音だけ。
険しい山道をアタシは徒歩で登っていた。
ゼエ…ハア…
ゼエ…ハア…
静かな山道に響くのは、
鳥の声とアタシの呼吸音だけ。
険しい山道をアタシは徒歩で登っていた。
やがて密集した木々に薄暗かった視界が開けてきた。
そこには見たこともないような豪邸がそびえていた。
はー、もう、やっとついた!
何でこんな山奥にあんだろなー
って、でっけえ家!
あたしは鴻上ハルカ。19歳。
高校卒業して地元の企業に就職。
家を出て今は一人暮らししてる。
それがなんでこんな山登りしてるかっつーと…
それは姉ちゃんからの電話が発端だった。
もしもーし
何? 姉ちゃん
もしもしー? ハルカ?
あたしあたし! あたしだよ、ハルカ!
いや、そういうのいいから
姉ちゃんだろ? わかってるよ
なんか用?
つれないなぁー
あのね ハルカ 頼みがあるんだけど…
姉のミサトは23才。
両親を幼い頃になくしたアタシとミサト姉は、
はっきり言ってすげー苦労してきた。
でもって、姉は高校中退して水商売の道に入って。
今はなんと
クラブをふたつも経営するやり手のホステス。
そりゃあ人に言えた商売じゃねえけど、
アタシは半分ミサト姉に
育ててもらったよーなもんだから。
すげー尊敬してる。
でもって、その姉貴が頼みたいことってのは、
こーゆうことだった。
こ、子守ぃ?
姉貴の店のナンバーワン人気のホステスは、
実は子持ちなんだそうだ。
売れっ子ホステスの人気を保つには、
その子のシフトを増やすしかない。
けど、そのホステスさんっつうのは、
急に人気が出てきたらしい。
もともと子持ちで
しかも家は駅からかなり遠い郊外にあるから、
そこそこの人気でもやっていけた。
だから、今まではちょっとくらい夜遅くても、
一人で待っていてくれた。
けど、最近母親が店で人気が出たもんだから、
なかなか家にいられない。
そのせいか、不安がることが多いらしい。
本当は母親がそばにいてあげるのが
一番なんだろうけど…
病気がちで医療費もばかにならないらしいの
稼げるときに稼いでおきたいって気持ちと
そばにいてあげたい気持ちの板鋏みたいで…
相談されちゃったのよね
そりゃーそうだな
子育てってのが金かかるのは知ってるよ
姉ちゃんの断れない性格もさ
じゃあ受けてくれるのね!?
あー ま、まあな…
でもよ あたしガキなんで
どう接したらいいかわかんねえよ?
いくつくらいの子なの?
わかってるわよ
その子はアマリちゃんって言ってね
12才よ 今年で小学校卒業でね…
…ってワケで、
アタシは会社に内緒で、
夜の間だけ、
その家で家事手伝いってのをやることになった。
つっても、報酬はない。
トーゼンだ。
姉ちゃんはバイト代を払うってきかなかったけど、
親代わりの姉ちゃんから金なんかもらえない。
それに、ちょっとキョーミあったんだよな。
そのアマリって子。
いくら小学生つっても、まだ全然子供だ。
母親がいない家で一人ですごすなんて、
心細いだろうし…
アタシも、中学に入ってからは、
もう姉ちゃんは夜の街に出入りしていたから、
狭いアパートんなかで、
一人で飯作って就寝するってことが多かった。
結果グレちゃってレディースに入って、
バイク乗り回して無茶したり、
むやみに喧嘩して警察沙汰起こして、
人様に迷惑かけまくっていた。
さみしかったんだよな。
その頃はずいぶん、姉ちゃんを恨んだりもしたけれど…
今はただ感謝しかない。
だから、あの頃のアタシみたいに、
アマリって子がさみしい思いしてるんなら、
ちょっと励ましてやりたいって気持ちもあった。
でも…
郊外っつーか
もう完全に山んなかだよな
これ!!
すげー鬱蒼とした森の中だし。
っつうか、はっきり言って不気味だ。
静かなのはいいんだけど、
これじゃあ、
近所で友達をつくるってわけにもいかないだろう。
こりゃー
ますますほっとけねえな
呼び鈴を押したが、反応がない。
もっぺん、押してみた。
返事なしだ。
っかしーなー
もう日も暮れかけてる。
はっきり言って、
今から取って返すわけにいかないし。
だいたい、
会社のあとはもうここに
毎晩泊まるってことになったんだから
お泊りセットだって持ってきてんだ。
アタシのことは、
そのアマリって子に伝わってるはずだし…
するとスマホが急に鳴り出した。
着信を見てみたら、
アマリって子からのSNSだった。
文字を打つと連動して
会話みたいに連絡がとれるやつ。
ミサトから聞いて
登録したばかりのアカウントだ。
入ってきて
ハアー?
何このガキ!
何様だよ! ったく!
ショージキ言って、あたしはむかついた。
初めて会う人間を迎えもせずに入ってこいだァ?
こりゃあ
ジョーシキってもんを教えちゃらんといけないな…
勝手に入れないよ
ドア開けて
アタシはそう返信した。
だめ、開けられない
ドア壊してもいいから入って
なんだ?
このガキ…
さすがに帰りたくなった。
はっきり言って、
こんな生意気なお嬢様の世話なんかしてらんない。
自分でドア開けらんないって、失礼にも程があるだろ…
ん?
でも、そーいやこの子病弱なんだっけ
もし単純に体が動かねーとか
無理できねー状態だったら
逆にやばくね?
わかった
鍵預かってるから入るね
…ん?
ビミョーな感触。
アタシは鍵をまわしてみたが…
手ごたえがない。
ヤッベー
これってもしかして…
ためしにまわしてみたが、
すっかすかで、全然あわねえ。
こ、壊れてやがる…
わっりー
なんか鍵壊れてんだわ
やっぱ中から開けられねえかな?
だめ 開けられない
壊していいから入って
なんだ、このガキ。
っつうか、この家…
最初から鍵が壊れてるってことか?
それで、この子も自分で開けられない、とか?
なんだ、この状況…
第一、壊せったって、
アタシがやってるのがバレたら
家事手伝いどころか強盗じゃん。
いいのかなー…
ちょっと考えていたら…
そのときだ。
…ん?
明らかに屋敷の裏手の側から、
妙に陽気な女の笑い声が聞こえてきた。
なんだー
アタシ以外にも誰か手伝いきてたんかな?
でも、その声はちょっと外人っぽい気がした。
しかも、一人じゃない。
二人か、もう少し多い…
そう、数人の陽気ながやがやした雰囲気だった。
まるで、
裏庭でホームパーティでも開いてるような音だ。
でも、そんなはずはない。
だって、このあたりに家はここしかないし、
この世帯はアタシの姉の店のホステスと、
その子供のアマリの、
二人きりの母子家庭のはずだ。
…なんだ? 今の。
不思議に思ってたら通知がきた。
早く入って
お姉ちゃんを待ってたの
壊していいから早く
お願い
アマリちゃん…
どういうこっちゃかわからんかったが、
なんとなく必死な雰囲気は伝わってきた。
しかも、裏庭からは足音が聞こえてきた。
ザクッ…ザクッ…
ザクッ…ザクッ…
明らかに、誰かが一人、こっちに向かって
歩いてきている。
お姉ちゃん、お願い
はやくはいって
後半がひらがなになっていた。
なんだか焦ってるっぽい。
足音の主が気になるし、
かといって、アマリちゃんの急かし方も
尋常じゃない。
ウーン
ま、いっか
売られた喧嘩はマストバイ!
やったろうじゃねえの!
もしアタシがやったのがバレて、
姉ちゃんや、アマリちゃんの母親に怒られたら
謝って弁償すりゃいいんだしな。
もうすぐボーナスも入るし、
困ってるガキの頼みで、
それが吹っ飛んだってたいしたこっちゃない。
アタシは急いでドアを開く方を選んだ。
派手な音が森の奥の屋敷に響いた。
すると、あっさりドアのノブは壊れた。
と、同時に…
静かになったな…
あの足音や笑い声もおさまった。
そして目の前のドアがゆっくり開かれていく。
あ…
……
ドアの向こうには、
多分おそらく、
これがアマリって子なんだろうけど、
いかにもおとなしそうな子が
一人でぽつんと立って
こちらを見ていた。
アタシは同時にむかついた。
こんな近くにいたんなら、
どうして何とかしようとしなかったんだ?
この子!
あっ、あのなあ!
いるんならいるで
自分でドアあけろっつの
大変だっ…
けど、そこでアタシの声は途切れた。
……
その子がいきなり黙って、
ぽろぽろ泣き出したから。
え、ちょ…
……ありがとう…
泣きながら、抱きつかれたから。
アタシはびっくりしてなんも言えない。
子供ってこーいうもん?
生意気だと思ってたけど、
なつっこいっていうか…
なんだか、小さい生き物に懐かれて、
びっくりしつつも、
怒れない雰囲気になっちまった。
ま、いっか…
頭をなでなでしてやる。
本当はいけないことしたって、
教えなきゃいけないんだけど…
それにさっきの物音のこともあるしな…
ところで、お姉ちゃん…
ん?
ドア、それで開けたの?
あ。ああ、まあ、な…
しっかりとアタシの手に握られたそれを、
アマリは凝視している。
さすがに、素手でドアは壊せねえかんな。
アタシの手には、レディス時代から、
持ち歩く癖がついちまってる…
スパナが握られていた。
はっきり言って、
バイクの修理にも喧嘩にも役立つ
優れもんだ。
まあ、社会人になった今も持ち歩いてるのは、
どうかと思うけど…
癖ってのは、なかなか抜けねえ。
ま、まあ、アマリちゃんのママには
内緒にしといてくれよな
かっこいい…
へっ?
お姉ちゃん、かっこいい
ヒーローみたい
親にバレたら大目玉くらいそうな、
あたしの工具を見て、
惚れ惚れとアマリちゃんはそう言った。
どうやらバレる心配はなさそうだ。
だろっ?
このスパナ便利なんだぜー
バイク直せるし武器になるし…
アマリお嬢ちゃんちのドアも壊せっし
でもな、ほんとは大人にこんなことさせちゃいけないんだぜ
ごめんなさい…
よし、その言葉がアタシは聞きたかったんだ。
アマリお嬢
はっきり答えてくんねえかな
……
この家、もしかして…
なんかいる?
……
言ってくれよ
お姉ちゃん、逃げねえから
……ほんとに逃げない?
あったりまえ!
アタシは遂げるのキライだからさ!
……
アマリお嬢は、
またぽろぽろ泣きながら、
小さく頷いた。
いるの…
知らない人たちが
けど、ママには見えない
だから、ママには言わないで。
ママが苦労して買ったおうちだから、と。
アマリお嬢はそう告げた。
よっしゃわかった
ママには言わない
…本当?
おっ
アタシを信じねえのか?
女と女の約束だ!
約束?
ああ! ハルカさんは絶対約束を破らない!
わかった…
信じる
ヤベー
かわいいな…
ガキってこんな信じやすいもん?
アタシはショージキ、アマリお嬢の純真さに驚いていた。
実際、アマリお嬢の母親には言えねえけど、
姉貴には相談しとこー、
くらいに内心思ってるアタシだったから。
なんつうか、
母親から大切にされてるだけあって、
スレてねえっつうか…
小学校まで養護院育ちだったアタシや姉貴と、
雰囲気が違って、
あどけねーっつうか。
どーんとアタシに話してみなって!
こんときには、アタシはわかってなかった。
この屋敷で、どんだけの怖さを、
アマリお嬢が耐えてきたのかを。
どんだけの理不尽が、
この屋敷で起こっていたのかを…
~つづく~