ぐわん、ぐあーんと、頭に鈍い痛みがあった。






ぼんやりと見える視界にはゆらゆら、
赤い光がとめどなく踊っている。









気付けば、ここは凄くあつい。








目の前に広がるのは燃え滾る炎だった。






体を起こし見回して、
そこがどうやら異常な空間であると理解した。


木製の本棚や、カーテン、書物はめらめらと燃え、
嗅ぎ慣れない臭いが充満している。


意識がじきにはっきりしてくる。

呼吸が苦しくなってきた。

はやく、ここから脱出しなくては。


出口はどこだ。


ここは何処だ。


いや、待てよ。


混濁する記憶を辿るが、

ああ、そもそも。







僕は、誰だ。








目覚めた部屋から、
壊れかけの扉を辿って建物の中を走った。



見た限りでは窓がなく、
どうやらここは地下室のようだった。



幸いにも扉は全て開け放たれていて、
部屋に閉じ込められるようなことはなかった。






廊下のあちこちで、倒れている人がいた。








数人の身体をちらりと見たのだが、
その全てに鋭利な刃物で切り裂かれた外傷があった。


助けようという気持ちは持たなかった。


あの出血量ではもう助からないだろう。



僕は必死に廊下を走りつつ、
その陰惨な風景にさしたる抵抗も感じずにいる自分に、
多少の違和感を感じていた。











廊下の先の階段を上がると、鉄製のドアの前に出た。


最初にいた部屋から出火していたようで、
出口に行くにつれて炎の勢いは弱まっていった。


しかし、今になって思えば、
この地下室は普通の家にしては広すぎるような印象を受けた。


例えば学校や、ビル、図書館の様な。


長い地下通路を走ってきた僕は人並みに呼吸が乱れていた。
そこが出口に繋がっていることを祈り、



ドアを開けた。






ひやりと、夜風が涼しく頬を撫でる。


少し湿ったような雨の日の匂いがする。


今日は梅雨なのだろうか。


なんだっていい。
どうやらここは、待ち望んでいた外界であることは間違いない。


目の前は意外にも木々で覆われ、
見れば地面もしっとりした土が広がっていた。


森の中だろうか。


所々に街灯があり、夜中であってもぼんやりと周囲が見渡せる。











…女性の悲鳴が聞こえる。
そこまで遠くない。





今まで走ってきた非現実の中ならば、
女性の悲鳴だってありきたりな事象にすら思える。


悲鳴。

すると、近づくのは危険かもしれない。


が、しかし。
僕は不思議と足を進める。


もしかしたら、僕はその人を助けられるかもしれない。


いや、僕だからこそ助けなければいけない。


武器はない。


武術の心得もない。


しかし、根拠のない自信だけはあった。


その感情が一体何処から湧いて来るのかわからないが、
僕は使命感に駆られ、森の奥へと進んだ。


やがて、僕は見る。






それは二人の人影だった。



一人は地面に倒れ、ぴくりとも動かない。


もう一人は、とても大きな、軍服を着た男だ。


帽子をしているため顔は見えないが、
口髭を生やしている。


はじめは、男は両手を大きく上げて、
木を掴んでいるように見えた。


しかし、じきにそれは間違いであると知る。



影になっていてよく見えなかったが、
男と木の間にはもう一人の少女がいた。


少女は男に首を絞められ、宙に浮いている。


ここに来てから、
悲鳴が聞こえなくなった理由がそれだった。


幸い、男は背後を向けていて僕に気付いていない。

かちゃり、と、男は腰に掛けた長いモノに触れる。


それは今まで映画や絵本でしか見たことも無いような、
長いサーベルだった。


持ち手には拳を覆うように護拳がついている。


恐らく、それで建物の中の人々も切り裂いたのだろう。


少女が死ぬのも時間の問題だ。


ただ、男は左手で少女を持ち上げているため、
なかなかサーベルを持つことが出来ないでいる。






一瞬の隙があった。


僕は木の影から身を出し、男に向かって走り出した。


がさりと音が立ち、
男もこちらに気付いたようだったが、
両手の自由が利いていない。


僕は渾身の力で肩から体当たりをする。


不思議と怖くはなかった。


少女を助けねばならないという一心が
恐怖心を消していた。


僕を含めた3人はバランスを崩して転倒した。


男は少女を放し、両手が自由になった。
じきに男は体勢を整え、サーベルを抜くだろう。


武器を取られたら成す術もない。
即ち、それまでが勝負だ。


僕はあたりを見渡し、何か使えそうな物を探す。


何でもいい。大きな石でもいい。


武器になりそうなものなら何でも。


しかし、この辺りの森には土と植物しか見当たらない。


男はゆっくりと立ち上がろうとしている。



何か無いか。
何か無いか。
探せ。探せ。探せ。



目に付いたのは、仰向けに倒れたもう一人の男だった。


見ればそいつも、軍服の男と似たような風貌をしている。


男に対抗する手段であれば、何だっていい。


倒れている体をうつ伏せに転がすと、
背中に大きなライフル銃を背負っていた。


振り向くと、男はサーベルを抜き、
ゆらゆらとこちらへ近づいている。



あと5メートル。



使い方はわかっていた。
銃を握れば自然と手が動いていた。





僕はその体に覆いかぶさるようにして銃を持ち、
ボルトを操作して、狙いをつけた。

続く

000遠い記憶

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